契約

 意味が分からない。

「あの、ミスター・アルフェラッツ。どういうことでしょう、それは」

「そのままだ。俺と、君は、その……夫婦になることを誓ってしまったらしい」

「誓った覚えなんてありま」

 ある。

 意識を失う直前に、言った覚えがある。


 ──死が二人を別つまで、共にあることをここに誓う。


 そして、お互いの名前を口にして……えぇっ!

「私そんなつもりじゃ」

「俺もだ。アシュリーがそういう魔法を掛けたようだ。俺が近くまできたら発動するように条件付けて」

「……っ!」

 ミス・シラー!

 急いで指輪を外そうとしたけれど、吸血鬼たる私の力を持ってしても抜けない。抜けない? 抜けない!

「何故!」

「元を辿ると、捕まえたシェフィールドを逃がさない為に作られた魔法らしい。何でそんなものをアシュリーが知っていたのか知らないが……この魔法、人間側が死なないと解除できなくて、その……俺に死ぬ予定は、当分ないんだ……」

「逆だったらすぐにでも死ぬのに!」

「本当に申し訳ない!」

 あぁ、何でこんなことに……。

 あまりのことに我慢できす、瞳からと赤い涙が溢れていく。

 止まらない。そもそも、一度泣き出すとなかなか止まらない性質なのだ。

「ミス・シラー! ミス・シラー!」

 あの時彼女に会わなければ、男達に見つかっていなければ、こんなことにはなっていなかったのに。

 苛む後悔に身を任せ、涙を溢していく。

「……本当に、すまなかった」

 私の泣き声に消えてしまいそうな、小さな声。

 それでも私の耳は、彼の声を拾う。

「君の為に死ぬことはできないが、君の為に生きたまま解除できる方法を探すことはできる。ひとまず、仕掛人たるアシュリーの行方と、手掛かりになりそうな資料がないか本家を探す。……俺に、時間をくれないか」

 時間。

 私には無限に続くであろう時間は、彼のような人間には有限にしかない。その内のいくらかを、私がもたらしてしまった不本意な婚姻の解除の為に割いてくれると。

 怒っても良い状況なのに、彼は一度も私に声を荒げずに、解決の為に動こうとしている。

 ……泣いている場合じゃない。

 目元を拭い、息を調え、再び彼に向き合う。

「私に、できることはありますか?」

「え」

「私のせいでこんなことになったんです、できることは何でもやりたい。これでも一応、色んな国を旅してきた身、お役に立てることもあるかもしれない」

「いや、俺の身内のせいで、俺の責任で……色んな国を旅してきた?」

「え、はい」

 何故かそこに引っ掛かったみたいで、何かを考え出した彼。

「……その、『これは分かるか?』」

 聴こえてきた言語は、水源溢れる大国のもの。

「『それが何か?』」

 同じ言葉で返せば、彼は黄金色の目を見開く。

「『ちなみにこっちは』」

「『火山カカオの産地ですよね、あそこのカカオを使ったチョコ大好きなんです』」

「『これは?』」

「『海の真ん中に造られた小国の! あそこのカキフライ美味しかったです!』」

「『最後に、これ』」

「『芸術の国! あそこの音楽は最高なんです!』」

「……っ!」

 いきなり、手を握られた。

 戸惑う私を無視して、食い入るように顔を覗き込んでくる。

「読み書きは同じくらいできるか?」

「けっこう滞在したので、できるかと」

「……婚姻相手に君が選ばれて良かった」

「えぇっ!」

 何を急にこの人は。

 なかなか手を離さず、口元に微かに笑みを浮かべて、彼は私に告げる。


「俺が解除方法を調べている間、俺の翻訳の仕事を手伝ってほしい」


「……翻訳?」

「家を出てから、主にその仕事をしているんだ。いつもは適度に請け負っているが、今回は少し引き受け過ぎてしまって……それを手伝ってくれると、助かる」

「翻訳、ですか」

「あぁ、嫌だろうか」

「翻訳ということは、物語を!」

 彼が何やら「いやそれ以外も」とか言っていたような気がするけれど、きっと気のせい!

 握られた手に力を込める。


「是非、協力させてください!」


 その後、ご飯できたよと呼び掛けに来てくれたアッシュさんが、私達を見て何やらご機嫌になったのは謎だけれど、翻訳の仕事を通して物語に触れられるのだからいいか。


◆◆◆


 その昔、始まりの吸血鬼の一体に、バッキンガムという名の吸血鬼がいた。


 彼は、ある地では神と崇められ、ある地では悪魔と蔑まれており、とある時、既に名も残っていない神の血を引く五人の王女を同時に娶ったとされる。

 王女達はそれぞれ、側室たる母の姓を名乗っていた。

 スタフォードにヴィリアーズ、シェフィールドにグレンヴィル。

 五人の王女は同時期に孕み、上の四人は無事に子供が生まれたが、末の王女とその子供は、出産に耐えられず共に生き絶えた。

 バッキンガムはそのことを悲しみ、無事に生まれた四人の子供を放って旅に出る。その後の行方は誰も知らない。

 残された子供達は、他の種にはない特徴を持ちながら、強く逞しく成長し、やがて自分達の子供を生み育てる。


 さて。


 生まれ損なった赤子には、吸血鬼の血が流れている。

 母と共に埋葬された赤子は、墓守以外には誰もいない墓場で、力強く声を上げ、自身の生存を訴えた。

 墓守は慌てて掘り起こし、赤子を取り出して産湯につける。

 母譲りの美しき銀色の髪が、既にいくらか生えたその赤子は、母の姓を取り──ホバートの吸血鬼と秘かに名付けられた。


「それが、私が聞いたホバートの秘密」


「なら、私はこっそり生きなければいけないのですか?」

 昔話を教えてくれた吸血鬼に、幼い私が問えば、そうねと彼女は頷いた。

「私はスタフォードだけど、娘達にはそういう生き方を強制してしまった。送ってくれる手紙には、毎日楽しいとか、楽しそうにしていますとか、書いてあったけれど」

 笑みを浮かべているのに、淋しそうに、胸元の宝石を撫でていた。

「だから、悲観しなくていいの。その生き方でも楽しめる方法はいくらでもあるから」

「……分かりました」

 お母様が信じられる方だと言ったから、私は彼女を信じた。第二の母と言ってもいい。

「さ、今日は昨日の続きを読んであげる」

「ありがとう、ウルズさん!」

 大好きな吸血鬼だ、いつまでも。

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