魔法使いの兄

「ミス、ター? 男性ならそうですけど……」

「男だよ、僕」

 僕? ミス・シラーは私と言っていたはず。

 予期せぬ返答の連続で困惑を隠せない私に、苦笑いを浮かべて彼女は続ける。

「僕はアッシュ。アッシュ・シラー。君の言うミス・シラーがアシュリーのことなら、彼女の兄だよ。ほら、声もちょっと低いでしょ」

 言われてみれば、彼女よりも気持ち低い。

 喉の辺りをじっと見つめれば……まぁ……出ているな、とは。

 私の視線の場所に気付くと、ミス、いやミスター・シラーは吹き出した。

「懐かしいな、アシュリーがいた頃は毎日のように間違えられていたよ」

「すみません、不躾にジロジロと」

 頭を下げると、大丈夫だから顔を上げてと明るい声で告げられ、お言葉に甘えて言われた通りにした。

 御者台から私を見つめる人物は、声を聴かなければ、喉の辺りを確認しなければ、やはりミス・シラー当人と見紛う。

 いや、違うか。

 彼女は常に自信たっぷりの笑みを浮かべていたけれど、彼の笑みは柔らかで、自然と肩の力が抜けていく。

 なんなら、脚までも。

「おっと!」

 彼が急に声を上げたからどうしたのかと思えば、急速に視線が下がっていき、布越しに、あるいは直に、砂利の感触が伝わってくる。

 気が緩んだか結局疲労か、膝から崩れ落ちたらしい。食い込む砂利がほんのり痛い。

「だいじょ……」

 素早く御者台から降りて、私の元まで来てくれた彼は、言葉を途中で止めて動かなくなる。

「だ、大丈夫です、ミスター」

「……僕のことはアッシュでいいよ。後、大丈夫じゃない。ちょっと大丈夫じゃないな、それ」

 ぴしっと指差されたのは胸元。

 宝石のある辺り。

「呼吸の荒さといい、立っていられないことといい、君がすごい疲れているのって、それに体力全部取られているからだと思う。あと、休もうとして邪魔されたりしない?」

「します、ね」

「やっぱり。アシュリー、宝石とか物にそういう効果付与するの好きだったから。……初めて見た時から気になっていたけど、その髪色と瞳でアシュリーと知り合いってことは、君、シェフィールドの吸血鬼じゃない?」

「……っ」

 アシュリーの兄なんだ、当然バッキンガムの子供達について知っているはず。

 地面についていた手が力んだのを見て取り、私を安心させるかのように、両手を振りながら彼は笑ってみせた。

「安心して。僕は魔法使いじゃないから、君をどうこうしようとか思わないよ」

「……え、でもミス・シラーの」

「魔法使いとしての才能を、アシュリーに全部持っていかれてね、君達の涙を口に含んでも、魔法を使うことはできないんだよ」

「……」


『バッキンガムの子供達』は特別な吸血鬼。

 私達の流す涙は瞳の色と同じく赤く、雫の形をし──かなりの魔力を宿している。

 ただの人の子であった者達が、私達の先祖の涙を口にし、数多の奇跡を、いや魔法を行使してみせたことで、自身は魔法使いなりと名乗るようになった。

 魔法使いが魔法を使い続ける為に、吸血鬼はその身を狙われ続ける。それが私達、バッキンガムの子供達の生。


 逃げて逃げて、時に捕まるもやっぱり逃げて。

 その間に関わった人間の中には、彼のような人間もいたのか。会話をするような余裕もなかったから、記憶を探っても該当する人物は見当たらない。

 初めての人間。

 ぼんやりと見つめていたら、また彼は頬を搔いている。

「アシュリーのやつ、君をスピカ様の身代わりにするつもりだったんじゃないかな」

 言葉とは裏腹に、のんびりした口調と声。

 つられて、あらそうなんですかと頷きかけて、内容の恐ろしさに身体が震えた。

「そっ、そんなはずないですっ! 私はただ、貴方達の様子を見に行ってほしいと」

「それだけならこんなの付けさせないよ。これ、無理すれば外せるけど、そうしないよう何か言われてない?」

 ──貴女が私を裏切れば、貴女が酷いことになってしまうような仕掛けをその宝石にしておいたから。

「言われ、ました」

「だよね。魔法使いが魔力を注がないと、解除できないよ」

「……そんな」

 騙されたのか、私。

 手からも力が抜けていくと、入れ替わりに、両肩を掴まれた。

「僕の妹がごめんね。僕がすぐに解除できたらいいんだけど、その力はない。でもね、代わりにどうにかしてくれそうな人は知っているから、案内するよ」

「……その、方は」

 柔らかな笑みは、妹と違い自信ではなく──信頼に満ちている。


「僕の主、アルフェラッツのスカーと呼ばれる魔法使いだよ」

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