(3)

「おまえっ。生きていたのか!!」

 思わず駆け寄ると、下男は土間に膝をついて法師に頭を下げた。

まっこと、ご心配をおかけしました――」

 下男は雪に塗れ、顔は蒼白を通り越して土気色だった。ひどく憔悴しているその姿に、法師は言葉を失った。

「……身も心もあやかしに囚われておりました。どこかの雪ばかりのいわやで寒さも感じずにおりましたが、ふと遠くに法師様のお声が聞こえ、我に返ったのでございます。吹雪の中、右も左もわからぬまま彷徨い、ようやくこちらの屋敷に辿り着けました」

 法師は胸が熱くなった。吹雪の中、呼ばわりながら探したのは無駄ではなかったのだ。

「して――」

 下男はそこで一度言葉を切ると、ひどくすさんだ眼差しで女をじっと見据えた。

「――おさん、何処どこもんだや」

 下男の口から唐突に出た里言葉に、法師はぎょっとした。下男はさらに鋭くハツを見据える。

「こんげごうぎなゆきんなか、あいぶてきなさったけ。おんなしょひとりでかや」

 やはり何を言っているのかはさっぱりだったが、強く問い詰める口調なのはわかった。

「この者は城の者が手配してくだされたのだ」

 法師は思わず口を挟む。驚いたように目をしばたいていたハツは、おずおずと微笑んだ。

「へえ、なんぎしましたてぇ。ことしのゆきはじょんならんですろう。おらもうええばんねえて。あんにゃさもせつねえめしなすったろう。ちいとばかだどもうおにせんざいもんありますけえ、ばんげにおぞろこしらえますけえのう。あがってくんなせえ」

 ハツは気遣うように下男に言うと、法師に向き直った。「失礼いたします。お勝手お借りします」と上品な口調で告げ、楚々と屋内に入ってゆく。

 下男はしばらくハツが向かった廊下の先を睨みつけていたが、不意に――法師様、と顔を寄せてきた。

「あの女、本当に城から来た者でしょうか」

「何?」

 見返した法師に、下男は厳しい表情のまま言った。

「雪女は、美しい女の姿にけて、己の姿を見た者をとり殺しにくると言われております」

 息を飲んだ法師に、下男は重ねて問うた。

「御屋形様は女を寄越すとおっしゃっておりましたか?」

「いや……。だがハツはどう見ても人の女にしかみえぬ」

 しかも、たいそう気立てのよい娘だ。それがあの怖気立つほどに恐ろしい雪女だなんて――。

「人か雪女か――確かめる方法がございます」

「何」

 ――まさか火炙りにしてみろなどとは言うまいな。

 そんなことをしたら、只人でも命はないだろう。

小千谷おぢやのほうに伝わる話では、湯浴みをさせたところ正体を現したとか」

「それはまことか」

 ――危害を加えるわけでもなく、湯浴みくらいならば試してみてもよいのではないか?

 法師はごくりと生唾を飲み込んだ。

「……わかった。試そう」

 下男は頷くと、框にあがり、真っ直ぐ勝手に向かった。法師も後に続く。

 勝手の引き戸をがらりと開けると、米を研いでいたハツは驚いたように顔を上げた。

わありいのう。夕飯ばんげめえ風呂ぼちゃ沸かしてくんねか。法師さまがさあぶい申されるすけ」

 下男は先ほどと一変し、穏やかな声音で言った。

 ハツは「はぁい」と愛想よく答えると、研いだ米を水に浸し、勝手を後にした。一方で下男は座敷に行く。囲炉裏から燃えた炭をとって注器に移し、湯殿に向かった。

「燃えしゃれ取ってきたすけ、火ぃ興しますけぇのう」

 そう言いながら竈の支度を始めた下男に、ハツは「わありぃですのう」と礼を言うと、桶を持って出て行った。

「……本当に雪女であれば、湯など沸かせぬのではないか?」

「雪女は女房として男と何年も共に暮らしていたという話もございます。騙されますな」

(騙される――)

 そこでふいに、城での男たちの会話が思い起こされた。


 ――しまんですむよう、法師さまにゃかんべしてもらうしかねえろう。


 自分のことを話しているようだった。しかも、あのようにこそこそと。

「……のう、とは何だ?」

「しまん……? でございましょうか。こちらでは死を死と訛るのですよ」

 死――法師は息を飲む。

「死ぬ死なぬなどと、誰かに言われたのですか?」

 下男は顔を強張らせた。法師が侍たちの台詞をぽつぽつと思い出しながら告げると、その表情はさらに厳しいものとなった。

またきゆえ正確ではないかもしれませぬが――」

 下男はそう前置きし、侍たちの会話を訳してくれた。


 ――この季節にこのような積もる雪だ。今夜、雪女は彼の元に再び訪れるだろう。

 ――可哀想に。何とかならないだろうか。

 ――情けをかければ自分達の身も危ない。

 ――我々にるいが及ばぬよう、法師様には犠牲になってもらわねば。

 ――誰もどうすることもできぬ。


 法師は顔色を変えた。城の男たちは、雪女が法師を襲いにくるとわかっていて、自分を急ぎ帰したのだ。

(……なにが文人墨客を大切にするだ)

 怒りが込み上げた。――山神のにえになど、なってたまるものか。

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