第58話 電撃
数時間後。ナナはここで診療が行われるとはにわかに信じられない環境で、怪しげな器具を取り付けられていた。
「火星人かフランケンシュタイン博士しかこんな装置使わないと思っていました」
診察台と呼ぶか迷うような椅子は、背もたれもアームレストも直角で、クッションも硬い。
そこに座れば必然的に背筋は伸び、手足はロボットのように綺麗な角度に定められ、固定具でそこから動けなくなる。
ここが自分たちの命の恩人クリアの拠点でなければ、ナナは本気で臓器売買の被害者になったと思えただろう。
「俺も使う。それに俺は医者じゃねぇし、衛生兵でもねぇからよ。その装置の事を電気椅子って呼んでる」と、ドクは出無精な器具を工具箱から引き抜くついでにボヤいた。
「でも、ドクって呼ばれてますよね?」
“ドク”がドクターでなく、毒だったら、そちらの方がこの男にはぴったりと合いそうだった。
彼の診察室は大きくカビ臭い倉庫で、太陽光は窓ガラスをぴっちりと保護する埃で白熱球と同じ色をしており、辺りを見回すと何かの大きな機械がそこかしこで分解されて放置されている。
床は、黒ずんだコンクリート製で、そこにオイルの溢れた跡のせいで少しだけ大理石のように見えなくもない。
診察台は、言葉を選べばアンティーク調で、座り心地はリクライニングのついた棺桶。
唯一衛生に気を遣っている事が感じられるのは、診察台の周囲を囲む、手慣れた殺人鬼が用意したみたいなビニールカーテンだけだった。
「俺は元々……というか今も整備要員だ。兵器のドクターなんだよ」
「それは、サイボーグも兵器だから?」
「違う。俺は戦闘支援兵器の専門家だ。少なくともここ100年の間に製造された戦車なら全部修理できる。
でも、人間は無理だ。修理どころか正しい使い方も分からん。
少なくとも2回離婚したし、長女の結婚式にも呼ばれてもない」
「でも、独身の医者さんだっていると思います。統計学的には」
ガチャと一際大きな音で、計器で一杯の引き出しごと抜き取ったドクは、その引き出しをナナの足元に起き、その中からよく使い込まれてボタンの表示すら消えている計測器を取り出した。
「だから、俺は医者じゃないんだ」
取り出した計測器は、水切りボウルのような装置から伸びる電線に接続されると、一度メーターがマックスまで振り切れ、続いて明らかに壊れかけているスピーカーからひび割れた稼働の合図を発信した。
「じゃあなんで、医療設備を持ってるんです?」
「使うのが仕事になったからだ……。
そら、この金具を顎に固定しろ」
水切りボウルに見えた装置は頭部につける検査器具だったらしく、すっぽりとナナの頭に被さると側から見ると私的な電気椅子処刑の実行前という感じになっていた。
「なんだっけな?
そうだ。メキシコにいる時、俺のいた部隊には補給が来なくなったんだ。物資もそうだが、人員もな」
ドクは身の上話をしながら、ナナの両手に電線のついた金属の棒を握らせる。
言われるままに従うナナだが、とても嫌な予感がふつふつと湧き立ってくる。
「そんで、機械工学と人間工学なんて似たようなもんだと思ってるめでたい上官殿が、下っ端の俺を軍医の助手のした。
血管の接合手術とブレーカー回路を迂回させるのは、同じバイパスだが、中身は全く違うだなんてナメクジでも分かるだろうに、そいつには分かんなかったらしい。
悲しい事にあの時の軍はまだ真っ当な組織で、真っ当な組織ってのは上の命令が絶対だ」
医療従事者にはない豪快さで、スイッチを端からオンにしていき、問診は受け付けないつもりなのか、機械の不調には平手打ちで答えた。
「で、だ。俺は言われるがままちゃんとやった。人間と機械は全く別モンだが、とりあえず動けばヨシってのは同じだ。軍のサイボーグはだいたい手術じゃなくて部品交換で済んだし、サイバネならそれなりに修理もできた。
そんで、ここらの道具は全部その続きなんだ」
ナナは彼の言葉を、自身は向けた皮肉なのだろうと考えた。
ドクの不衛生な見た目と粗野な言動に反して、彼の内面には慈悲深さがある。少なくともナナの知っている人物の中でもトップクラスに優しい人間だ。
「………ドクは私のドクですよ。少なくとも私がここにいるのはあなたの助けがあったからです」
肥えた丸い顔の半分を覆っている積もった埃のような無精髭は、気恥ずかしさの紅潮をそれとなく覆い隠し、ドクは笑い声をあげ、ブタと同じ音で息を吸った。
「そうかい。じゃあ、医療ミスは見逃してくれよ」
機嫌を良くしたドクは、検査機の中で、唯一安全カバーが取り付けられているスイッチに手を掛け。
「俺が思うに、この世界の創造主たる神は、大地と海を作り、そこで使う発電機の配線を終えたあとに、こう言ったんだ。“光あれ”ってな」
ドクは毒々しい赤に稲妻のアイコンが描かれたそのスイッチを押した。
「ぎゃあっ! ドクッッ!」
ナナの頭の中で“バンッ”と大きな音が生じ、鼓膜ではなく脳で感じる衝撃、 目の奥で電灯の明滅に似た閃光が走り、全身の皮膚はなめされるように引き攣った。
ナナの悲鳴は、完全に不随運動として放たれ、目尻が引き裂けんばかりに開いた目でドクに視線を送ると、ドクは唇の端を噛みながら、露骨に目線を逸らした。
「ビリッとしたか?」
自分が感電した事と、こうなる事を知っててドクが黙ってたのは間違いない。
「はい。それも、ものすごく」
「なるほど。思った通りだ」
「そうですか。私は信頼を裏切られ、冤罪で電気椅子処刑に掛けられた気分なんですが、何が思った通りですか?
これを外したら、家畜用の電気棒を持ってあなたを追いかけます」
衝撃は強烈だった。しかし、身体に痛みは無い。
だが、自分の意思とは異なるエネルギーが全筋肉を拐かした感覚は、鮮烈な不快感として全神経を駆け巡ったままだ。
「悪かった。そう怒るな………」と精一杯の真摯な態度を作るドクだったが、すぐに悪戯心がオーバーラップをしてみせた。
「面白い反応だったぞ。録画しておくべきだった」
ナナは無言で拘束具をガチャガチャと鳴らすと、ドクは、躾とでも言わんばかりに、もう一度電撃スイッチに手を掛けるが、その動作はあからさまにわざとらしい。
「ドク。まだやるなら、怖いので両手を繋いでください。それならどんな高電圧でも耐えられます」
ドクは笑いながら、モニターを向けるが、そこに出ている数値の意味は説明を受けていないナナにはただの羅列でしかない。
「実際に俺とお前が手を繋いで、電気を流したら、どうなると思う?」
「私たちは一つの直列回路として2人とも感電します」
ドクはその返答に、悪戯とは違う種類の笑みで返した。
「実は俺がサイボーグだから2人とも感電しない。これはまだ医学雑誌には載ってない、サイボーグの換装度合いを調べる方法だ」
「感電しない? どうして?」
合意無しに電気ショックを受けされたのはまだ腹立たしいが、それよりも知的好奇心が勝った。
少なくともこの衝撃に意味があったのなら、振り上げるつもりの拳を力を抜けるだろう。
「銅線と被膜のゴムのように………サイボーグは電気が流れやすいのですか? 」
「賢いな。その通り。このカラクリは絶縁抵抗だ。
サイボーグは、人間と機械の中間なんて言うが、実際はトレーラーヘッドと輸送コンテナと一緒だ。それぞれがお互いの用途に寄り添ってなりたってる。
サイボーグのサイバネティクスは、人間の神経と同じように電気信号で動くが、人間の神経系だけでは伝達能力は不足する。俺の思う“ちょっと”と機械が“ちょっと”動作するのにはズレがあるんだ。
だから、サイボーグってのは、生身と機械を繋ぐ信号を変換と制御する中継器を備えてる。
こいつは小指の爪もない小さな装置で、頑丈だが電気には弱い。
非殺傷のEMP弾なんかが狙ってるのはこの装置の破壊だったりする」
「えっ、じゃ、今の電気って……」
「まぁ、待て。この中継器は電気に弱い。弱いからこそ防衛策として、電気が回路内に入らないように、電気の絶縁と分散をする機構が備えてある。簡単に言えば神経から皮膚のすぐ下まで毛みたいなもんが生えてて、そこから一方的に電気が逃げるようになってるんだ。すると電気は体表を通って地面へと流れていく」
「避雷針みたいに?」
「そうだ。ナノテクノロジーの話だがな。だから、サイボーグは電気を感じにくい。逆に言えば流せる電気の量の程度によって換装度合は測定できる」
「私の場合は?」
「脳へのアドオン以外。まるっきり人間だ。一周回って珍しいくらいだ」
「サイボーグだとどうなるんです?」
「民間で生身の2分の1、軍用品では8分の1くらいの抵抗値になる」
理論的には、掃除機のコードをコンセントに挿しても、人間は感電せずにモーターが稼働するのと同じだ。
この理屈は難しくはない。問題はどうやって起きた現象からその理屈に結びついたのかだ。
「どうやって閃いたんですか?」
「基地に雷が落ちた時、落雷は整備兵を避けて、サイボーグに直撃した。持ってた銃は弾倉が吹き飛んだのに、喰らった本人は無傷で、そいつが言ったんだ。“おれが一番尖ってた”ってな」
「………」
電気は抵抗が低くいものに引き寄せられる。金属のような電導体で、電線は太ければ太いほど良い。あとは距離だ。コンセントはコンセントプラグに差し込まれる事で、初めて通電するし、スタンガンも人体に触れるまでは、電極間にしか電流は流れないにように作られている。
だから、ドクの話にでた、“尖ってるかどうか”は関係ない。
「どうやって結びついたのか分かりません」
「んな事言われてもなぁ」
考えが、言葉に変換される際の誤差、そして、考えが脳内で言語化される際の誤差。この2つの要素が、ナナの中に新たな方程式を芽吹かせた。
「たぶん、人間の頭には、条件が備わらないと作動しない思考回路があるのだと思います。空気は絶縁体ですが、雷はそれすらも引き裂いて地面に降り注ぐ。
恐らく、この二つを閃くと称するのは偶然ではありません」
言い切った後、ナナは1人でに失笑した。ドクの説を、捕捉するならば、彼の言う神は、発電機で一度感電したのだろう。
その時に、“光あれ”と閃いたに違いない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます