第55話 有望株
アリッサたちは依頼を完了し、帰路についていた。
映像を巻き戻すように、地下道、整備庫、基地、ゲートと順にクリアの拠点から去り、ネオンシティへと解放される。
「死ぬ予定はなかったけど、生きて出られるとちょっと充実感があるわね」
治安の悪さ故の危険性でいえば、軍事施設然としたクリアの拠点の方が何倍も安全だが、アリッサにとってはネオンシティのサイケデリックで退廃的な雰囲気の方が馴染んでいる分心地よい。
「あんたは何度も死んでもおかしくなかった……」と説教の声色で話しかけるツルギに、彼女は顎を突き出す。
「だから、死ぬ予定はなかったって。私は誰にも私を殺す理由を与えてないわ」
「なんで、皆んなあんたの思い通りに動くんだろうな」
「私の魅力よ。私は罪なほど魅力的。
部屋の中に実際にゾウがいたとして、誰に何ができるのよ?」
最近の傾向から見て、ツルギは、アリッサの抽象的な文句には、なんとか上手い返答をしようと長考する気らいがある。
それを逆手に取ったこの言葉はツルギを封殺する為に選んだ言葉だった。
ツルギは案の定ムスッとアリッサを睨みつけ、頬の筋肉を不自然に強張らせて口を止めるが、アリッサは勝ち誇るより先に、目線をナナに吸い寄せられる。
「では、あなたがゾウの調教師ですか?違いますね。
あなたは別に他人を操ってるわけじゃありません。
競技でのフェイントや釣りでの疑似餌みたいに相手が取れる選択肢を読み取って、誘導したり、混乱させたりして、予想範囲を絞ってるに過ぎません」
“鋭い”とナナの洞察力を評価しつつ、アリッサはナナに目線の高さを合わせ、みずからの胸に手を添える。
「解説を代替わりしてくれて、ありがとう」
ナナの洞察力を待ってすれば、その恭しい礼儀作法と言葉が皮肉と看破するのは容易い。
「………どう致しまして!
冗談はさて置き、そんな事よりも聞きたい事があります」
苛立ちを見せるが、すぐに声色を平常に修正するナナ。分かりやすい隠した本題への導入に、アリッサは自ら飛び込んだ。
「いいわ。今回は歪曲も嘘も無しで答えてあげる。
アントン・ケーファ。それがあなたの生物学的な父親。ドイツの大金持ちで、ドイツの有名な人物の例にそぐわず、頭脳明晰で世界に多大な影響を与えた人物よ。良くも悪くもね」
ナナは顔に出さないが、手を握り直す仕草を忙しく繰り返し、知りたい事がいざ出てくると理解よりも動揺が体内の占有率を高くしているようだった。
「み、妙に素直に教えてくれるんですね」
「当然でしょ、結論はもう出しているのだからね。
それにアントンの一族は財団になってる。名前は忘れたけど調べればすぐ出てくる。
もしかしたら、あなたはそっちから支援を受けられるかもしれないわ」
「支援? 財団?」
「ケーファ一族ってのは第一回十字軍遠征にも出資したような古い一族で、その強みを活かして現代に至っても絶大な資産を蓄えている。
彼らはその時代ごとに、後の歴史家からみても正解の決断を下してきたわけだ。そして、アントンも持ち前の頭脳を活かして、これから先の資産して天才を培養する理論を考えだした……」
ここまで言うと、アリッサは自分がナナが傷つく事よりも、真実を告げる使命感を優先していると気がついた。
人間とは本来隠し事にストレスを覚え、嘘というのは脳のリソースを多分に使う行為だ。
意識が緩めばアリッサですら口を滑らしてしまう。
「まるでスドウ博士みたいに?」
ナナがこの結論に至るのは当然だった。
アリッサは、自分にはそれを阻止する方法があったのに油断していと胸の中で自分に向けて舌を打つ。
「ある程度はね、でもむしろ博士が、彼の理論に影響は受けたのでしょう。アントンと博士では本質は真逆だわ。
アントンの言う天才ってのは、頭が良いって意味じゃなくて、字が読めて、意思疎通に難がなく、社会道徳を備えた、善良な人って意味。
地に足のついた理想というか妥協点というか、とにかく実践的ね。
で、そんな彼に言わせればこの天才は、遺伝子に関係なく世界人口の8割は、適切な教育により基準に達しえるのだとか」
続けて話したのは、ナナがいずれは知る事だったとしても、今知る必要は無い追加情報だ。彼女の心を救うものではないだろう。
「それじゃ、私の存在は完全に否定される。
私って無駄なコストを掛けた試作品じゃないですか」
これも誘い水に乗った当然の結論だった。ここまで来たのなら、もう誤魔化しても意味はない。
「見方によってはね」
「でも、それってあなたにとって重要な事?」
「重要だと思いますが」
「思う、ね。あなたはそう思うと、私も思ったから、私はあなたに父親の事を話すつもりがなかった。ただイタズラに混乱を招くだけだからね。
あなたの生まれは特殊だから、説明する言葉が見つからない」
「だから、……知らなければ幸せだったと?」
「海を知らなければ、蛙は王を自負していられる。それは見方によっては幸せだわ。
でも、海を知った蛙は不幸だろうか?
これも見方による。王としての自我が崩れるかもしれないし、諸侯として名を馳せるかもしれない。
あなたは井戸の中で生まれた。子供は生まれる場所を選べない。
それならあなたが唯一自由に扱える、将来くらいは自分で扱えば良い」
いずれ知る事だったのだから、今知っても大きな間違いではない。
傷つけた分は、何度も彼女を騙した自分か、不器用にズレた言葉を選ぶツルギがフォローするしかないだろう。
アリッサは頭の中で次に出す優しい言葉を探していると………。
それが顔に出てしまったのか、ナナはニヤリと笑った。
「私を見くびらないで欲しいものです………」
「?」
「要約すると私はドイツの資産家の私生児で、母親は不明。少しイカれてるけど、それだけです。
生物学の系譜としての親は誰なのか? 私のこの疑問は知的好奇心に寄るもので、優先順位は相当に低い。
低いので情報収集は受動的に行うつもりです。 ただ在処が分かったら鍵を壊してでも押し入るくらいはしますけどね。
ただ今回に限っては、扉をノックしたら招き入れてもらえました」
今アリッサが抱いてる感情は、Mリミッターを外されたナナと同じ気持ちだ。
騙された怒りなどは微塵も感じないが、自分の十八番を、しかも完全に再現して繰り出されたやり返しに、アリッサは最大出力のポーカーフェイスで効いていないフリに走る。
「…………なるほど、これはしてやられた。いえ、またやり返されたわね」
ナナは目を細め、露悪的なまでに勝ち誇る。
「あなたは粗野に扱っているようで、私に細心の注意を払って私を強くしてくれようとしていますね?」
「買い被りすぎよ」
「そう言うと思ってました。あんたも、ツルギさんも大尉さんもみんないろいろな方法で、私を鍛えようとしてくれる。
そして、私はその期待に簡単に応える基礎スペックを有しています。
だから、あなたに関しては、恩を仇で返してやろうと、あなたの行動を予測してみました」
「そうね。さっきまでのあなたは、この私が見誤るほど、つい手を差し伸べたくなるほど傷ついた子供だったわ。
強かさを上手く隠していたわ、“まだそこまで強くない”と誤認してしまったもの」
「恩を仇で返してました。ただこの手は2度と通用しないのでしょう。
それでも私もそこそこやると思いませんか?
少なくとも私の人生の師が最初に教えてくれた“人の罪悪感に付け入る有用性”は上手く応用できたと思います」
傷心のフォローは不要で、むしろ少しくらいの暴行をしてもおつりがあるんじゃないかと、アリッサは無性に、目の前のしたり顔の頬をつねりたくなった。
「えぇ。これを機に悔い改めて、嘘をつかない生き方を模索するようにするわ」
「また見え透いた嘘をつきますね。まぁ、あなたからは、いろいろと学びたいのでその方が私にも好都合です」
「そう。貴女の期待に添えるように努めるわ。
それで、あなたは私から何を引き出せたの?」
「結論を出す為に必要な全ての情報です。
極端な話、ドイツの財団は公な団体ですから、飛行機のチケットがあればいつでも行けます。
ただ、そこで私がどのような影響を受けるのかはわかりません。
この変容のリスクを抑えるためには、思考と精神に及ぼす影響の希釈剤として人生経験が必要だと結論付けました。
母親探しと同様に、とりあえず保留。
私はまた次のステップに登るには未熟です」
「そっか。ならいいわ」となるべく素っ気なく答える。傷ついていないのならそれでいい。むしろ、この不満を前面に押し出した態度こそ、ナナには勝利の美酒になるだろう。
達観して安堵に至ると、その変化はナナはまた読み取り、今度は誤解していた。
「……アリッサ。もう一つだけ質問に正直に答えてくれませんか?」
「内容によるわね」
「本当は私の目論見を見破ったました?」
「正直に答えると、本当に騙されたわ。これは信じてくれていいの」
ナナは目を細め、少し歯を剥き、怒ったチワワのような顔になっていた。
「…………」
“過大評価だったわね”とは心の中だけで呟く。
ナナは傷ついたフリだけではなく、本当は巣立ちまで匂わせていたつまりだったらしいが、その可能性はアリッサの中に無かった。
「特別サービスで教えてあげる。あなたがどんな情報を得て、どんな思考を巡らせたところで、あなたが至る結論は私とツルギの下に残るという選択だと分かっていたわ」
「……………ど、どうして?」
「未熟だと自分で行ったじゃない。あなたがまだ自信を持って強がれるのは、信頼関係で担保されてる私とツルギだけで、自我は固まりつつあるけど、精神の自立には程遠い。
平たく言えば、あなたは私やツルギに甘やかされたいのよ」
「ぐぬぬぬ………」
「おや羞恥心を怒りに変換したけど堪えるなんて、少し大人になったわね、ナナ」
「……はい。なるべく早く一人立ちしたいので、頑張っています」
「ナナ。それは
アリッサの煽りを狼煙と見たのか、ナナは噛みつくようにアリッサに顔を突き出した。
「——ッ! 今、物凄く大人にはなりたくないって思いました」
アリッサはそんな彼女の顔面を手で抑え、無力なりの抵抗を疲れるまで好きにやらせていた。
「ふーむ。大人びたクソガキってとこね」
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しばらくして、ナナが大人しく、しかし、腐った魚を食べさせらた顔のまま席に戻ると、会話の矛先をツルギへと切り替えた。
「そう言えば、ツルギ。クルツカ・アオバって知ってる?」
程度の低い暴力を漠然と俯瞰していたツルギは、その人物の名が出ると、普段の乏しい表情が一点、飛びてそうなほど目を見開く。
「ッ——!? 当然だ」
「じゃ、フジモト・ケンゴとカネダ・タカアキも知ってるわね?」
「久留塚・蒼葉。私の部隊の隊長だった人だ。
藤本・堅吾も金田・隆明は同じ部隊の生き残りで、2人の内のどちらかが私が探している裏切り者だ」
「元々マザーグースにあなたの部隊の周辺を探ってもらってたの。
それが今回の発端なんだけどね。
で、報酬として分かったのは、その生き残りのどちらかがこの街にいる。それもドゥイアン地区新香港にね」
「 新香港」と呟くと、ツルギはギシギシと関節が軋むほど拳を握り締める。「やっぱりこの街にいるのか」
「窓から飛び出して向かわないでよ。新香港はあなた1人じゃ迷って死ぬだけだから。
私には、いくつも考えはある。手段もいっぱいある。みんな誤解しがちだけど、辿り着く結末も何パターンも存在しているわ。
今ならどんな選択でも、ベストを引けそうな気がするけど、今は何も考えないで休憩するわ」
ツルギは指をパッと半分ほど開き、理性で体を強張らせて目だけをアリッサに向けた。
「…………私の思いは無視するだな? その理由は?」
「ふふっ。言わない。私たち以心伝心でしょ? 脳で感じ取ってよ」
ツルギの手はすっとアリッサの顔に伸び、頬の弾力を確かめるように掴むと、アリッサの頬骨が軋んだ。
「あんたの脳味噌は押し出せば出てくるか?」
「分からないけど、脳に喋らせたら今よりうるさいわよ?」
アリッサが交渉人の笑みを浮かべると、頬を下に引っ張り、その口元を崩そうとするが、目論見は果たせなかった。
「やっぱりあんたの狂った頭の中なんて知りたくもない。考えがあるのは分かってる。それが私には賛成も理解も出来ない事もな」
ツルギが解放すると同時に、アリッサの体は座席のクッションから一気に空気を吐き出させた。
「ただ言えるのは私は
だから、号令が掛かるまでは鞘から出る事はしない」
「なら私は剣術の素人だわ。でも、背後から切り掛かるのが一番良いって知ってる」
アリッサはこの会話のキャッチボールを新入りにも投げつける。
「わ、私は、えっーと………その鞘を持つ人?」
そんな返答に、アリッサは失笑。ツルギは苦笑いを浮かべ、ナナは反応を伺うように2人をじっと見つめた。
「いい塩梅よ」
アリッサは窓の外の禍々しいネオンを眺めながら、この一連の出来事の根本を探し当てようと考えを巡らしていた。
目的は達成したとは言え、その過程には勝ったから良かったものの博打を打つ回数が多すぎる。
同じ事をもう一度繰り返したらきっとその時は生き残れないだろう。
完全に不確定要素を取り除いた計画なんてものは存在しないが、ズレる事には何かしらの原因がある。
物だと思っていたモノが人だったからだろうか? それがナナという人格を不完全に有していたから?
確かにそれは予想外だったが、アリッサは即座に有効な軌道修正を見つけ出していた。が、結果的にはそれとは別の決断を下している。
「はぁ。私って自分が思ってるより馬鹿なのかも」
すっと立ち上がり、見上げてるナナの頭を、懐かない犬を懐柔するようにワシワシと撫でる。
「いきなりなんですか?」
「車が揺れるのよ」
そう言いながら、空いている片手でキャビネットをゆっくり開け、タバコを一本取り出す。
「吸いすぎなんじゃないですか?」
アリッサの手が作った空の鳥の巣を頭に乗せたナナが、不満そうに問い掛けると、アリッサは見せつけるようにタバコを口に咥えた。
「吸う必要があるの。これ以上あんたらに絆されない為にね」
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読んで頂きありがとうございます。
とりあえず二章を完結させる事ができました。
よければ次章もお付き合いください。
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