【旧版・途中完結】最果て聖女と初恋の守護騎士

七草かなえ

第一部 シャボン玉は虹の色に輝く

第1章 灰のように燃え尽きて

第1話 生きていて欲しい

 宙にふわふわ浮かぶシャボン玉をつかもうとして、少女は手を伸ばす。うっすら虹色をまとった無数のシャボン玉は、その小さな手をけるようにふわり、ふわりとすり抜けていった。


 ようやく触れたと思った瞬間には、シャボン玉はぱちんと消えてしまった。


「シャボンだま、きえてしまいましたね」


 少女の鈴を降るように透き通った声に、かたわらにいた少し年上の少年が振り向いた。少年の手にはストローが握られ、彼がこのシャボン玉の群れを作り出したことを示している。


「シャボン玉はきえるものだよ」


 少年が控えめに苦笑する。

 海の色を閉じ込めたような碧眼に、ベリーショートで整えた黒い髪。まだ十二歳にしてあどけなさより精悍せいかんさが目立つ容姿だ。


「でも、」

「きえたら、また作ればいいんだよ」


 そう言ってふーっとストローを吹けば、また沢山のシャボン玉が宙を飛ぶ。だが少女は不服だった。


「さっききえたものとあたらしいものは、ちがいます。さっきこわれたほうのシャボンだまがいいのです」

「それはちょっと……むりだと思うよ。魔法がつかえればべつだけど」


「つかえないのですか」

「この国じゃむりだよ。だってマナがないじゃん」


 この魔法世界アタラクシアは、名のとおり魔法で形作られた世界。世界各地にそびえる『世界樹』から絶えなく発せられるエネルギー『マナ』を用いて人々は生活している。


 だが。神々の悪戯いたずらかなんなのか、世界にはマナの恩恵が受けられない場所もあった。それが『最果て』と呼ばれる島国エテルノ王国だ。


 世界地図では西の端に位置し、少ない人口ながらアタラクシアではトップクラスの発展力と治安の良さを誇る『平和を愛する先進国』である。


「でも『えーてる』があります」

「エーテルは聖者か聖女じゃないと使えない」


 その代わり、エテルノ王国各地には、『大水晶だいすいしょう』が存在する神殿が設置されていた。

 一つの大水晶ごとに一人ずつ、祈りを通して魔法を使える者がいる。男性なら『聖者』女性なら『聖女』。


 エテルノ王国とその周辺海域を包むとされる天界からのエネルギー『エーテル』を通じて彼ら彼女らは魔法を行使できるのだ。


 またマナで電気やガスといった各インフラが成り立つあちらと違い、こちらでは地熱、風力、太陽光といった自然エネルギーを使用して生活をしている。


「ていうかポラリスこそ、聖女こうほなんだろう? しょうらい魔法が使えるかもしれない」


 聖者と聖女になる人物には決まった特徴がある。


 一、来たるべきが来た時に大水晶を通じて名を呼ばれる。

 二、生まれつき銀色の髪と赤い瞳をしている。

 三、何かと困難な人生を送ってきている。

 四、エテルノ王国内での出身である。


 そして少女ポラリス・クライノートは、絹のようになめらかな銀糸ぎんしの髪と、ルビーをはめ込んだかのようにきらめく赤い瞳を有していた。

 彼女は王国王都の出身でもある。ゆえに聖女候補として、行政のリストに登録されてもいた。


「そんなこと、どうでもいいのですっ」


 あまり人に注目されたくないポラリスには面白くないことだ。

 そもそもポラリスにとってはこの世界が、人生自体が面白くないことだった。


「そんなことより、わたしはおかあさまにやさしくされたいっ」


 少女の目の端に、涙の粒。

 彼女が親と上手くいってないことをよく知る少年は、ばつが悪そうに眉を下げた。


「ごめん……、ポラリス」

「…………」

「でもおれは、おれだけはぜったいきみの味方でいる」


 ぽんぽんと、ストローを持ってないほうの手でポラリスの背中をさする。


「ほんとうにみかたなのですか?」

「あたり前だ」

「ならちゅうがっこうに行っても、わたしのそばにいてくれますか?」

「それは……」


 二人は同じ小学校に通っていた。少年が最高学年たる六年生、少女ポラリスが二つ下の四年生。


 そして今日は、少年たちの学年の卒業式だった。

 君の味方だと言いながら、彼は来月にはポラリスとは違う場所へ行ってしまうのだ。


 毎日のように放課後一緒に遊んでくれた男の子が、遠くへ行ってしまう。今まで小学生同士だったのが、小学生と中学生になってしまう。


 ――わたしはそのことがとても、とてもかなしい。


 中学に行けばクラブ活動もあるし、定期的に重要なテストもある。高校受験だって考えねばならない。

 対人関係も広がる。自分がその広がった関係の片隅にしかいられないであろうことを、ポラリスはなんとなしに理解していた。


「生きてればすぐあえるよ」

「生きるの、ですか……」

「生きててつらい?」



「つらいです。おかあさまはわたしに『おまえなんかうまなきゃよかった、きえろ』となんどもなんどもいいます」



 ポラリスはよりによって母親に命を軽視され、軽蔑けいべつされていた。一番に愛情を注がれるべき人に。


「わかるよ」


 あっさりと少年は同調した。彼は彼で大変な身であることを、ポラリスは四年間の付き合いで思い知っていた。だからこそ、自分のことも分かってくれると。


「おれも親父になぐられてばっかだしさ。昨日もメシぬきだった……。でもおれはきみには、生きていてほしい。それならおれも、生きられる」

「おれはさ、ポラリスが生きてくれればいっしょに生きるし、きみが死んだらきっとおれも死んじゃうんだ」


 あまりにも、あまりにも重々しいことを、至って普通に少年は言って退ける。

 その青い瞳はどこまでも真剣だったから、真っ直ぐで嘘の欠片かけらも見つけられなかったから。


「わかりました、リヒトさん。わたしは生きます」


 たどたどしくも答えれば、少年リヒトは涙を流さずに泣き笑いをした。




 これは世界の最果てで紡がれる、彼女と彼が癒やし癒やされるための物語である。

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