第32話:渦巻く陰謀

「ううむ……何故、私の代で……」


 はぁ、と頭を悩ませる男はどうしたものかと今後のことを考える。


 ここはグレーアイル王国王都の王城。

 そんな王城の中の執務室。


 見た目は質素ながらも、使われているのは魔物の皮やトレントと呼ばれる木の魔物の素材を使った高級品ばかりだ。


 いつもなら捗っていたはずの仕事も、今は手につかない様子の男は、再度深いため息を吐いた。


 男の名はマスティノフ・オ・グレーアイル。

 ここグレーアイル王国の現国王であった。


 そんな折、誰か来たのか扉が叩かれる。


「入れ」


「はっ、失礼します」


 マスティノフの許可で開かれた扉から現れたのは白髪交じりの長い茶髪を後ろで一つにまとめた男だった。


「随分と頭を悩ませていますね、陛下」


 入室早々の言葉に、マスティノフは「まったくだ」と三度目のため息を吐く。


「そんな大きなため息を吐かれては、やってくる幸せも逃げてしまいますよ」


「もうすでに逃げ出しておるよ。禁止されている魔暴走の灯スタンピードランタンによる魔物の大暴走スタンピードに加えて、竜種がこれで二体目だぞ? 被害はないに等しいからよかったものの、そうでなければいったいどうなっていたことか……」


 想像するだけで恐ろしい、と身を震わせたマスティノフ。

 そんな彼に、男は同意するように頷いた。


「それで、何の用だヘグエル」


「はっ、実は――」


「その話し方もやめい。私が許す。こんな誰も見ていない場所でお前にかしこまられたら寒気がする」


「……では、お言葉に甘えて。面倒なことになっているな、マスティノフ。どうするつもりだ?」


「どうするも何も、今は何もできん。せいぜいが魔物の領域と接する諸侯に万が一の対策と調査を命じることと、魔暴走の灯スタンピードランタンの出所を探るくらいだろう。……素直に出て来るとは思わないがな」


 先日開いた緊急会議にて、王城へと集まったグレーアイル王国の諸侯たち。

 そこではボーリスの『帰らずの森』にて出現した地竜と、その地竜を屠った魔法使いについて、情報共有と意見交換及び今後の対策の話し合いを行った。


 当然ながら、地竜が出現した『帰らずの森』を含む東の領地を治めるガーデン伯と、その地竜と相対し、そして件の魔法使いとも言葉を交わした娘のアイシャ・ガーデンも参加していた。


 そんな会議中に入ったボーリスでの魔物の大暴走スタンピードと二体目の地竜の出現報告。そして再び現れた魔法使いによる討伐報告。


「なぜこんなことが起きているのか、皆目見当がつかんよ」


「だろうな。誰に聞いてもそう言うだろう」


「竜種など、そうそう顔を出すようなものでもないだろうに。なぜこんな短期間で二体も……討伐されたからよかったが、勇者召喚すら視野に入れる案件だ」


「その場合、金も資材も必要な魔力も、とんでもないことになるがな。その魔法使いには感謝した方がいいだろう」


「だな。……しかしこの魔法使い、いったい何者だ?」


 マスティノフは手元にあった資料を手に取ってその中身を読む。

 書かれていたのは出現した地竜と、それを討伐した謎の魔法使いについての情報だった。


「ガーデン辺境伯の娘とボーリスのギルドマスターから上がってきた情報だが……魔法使いの男であることはわかる。が、竜種の討伐に使われたのがどういう魔法なのか、現場に居合わせた魔法使いたちにもわからないときた」


「不可視の、と言う話だ。恐らくは風の魔法だろう。あれはそもそも、見えないことが利点だからな」


「だがその代わり威力が他に劣るのが風魔法だ。果たしてその風の魔法で竜種の首を落とせるものなのか……?」


 わからん、と資料を机に放り投げたマスティノフ。

 そんなマスティノフに、ヘグエルは手にしていた別の資料を差し出した。


「……これは?」


「件の魔法使いについての新しい報告書だ、マスティノフ」


「なに?」


 ヘグエルと呼ばれた男はマスティノフの言葉に眉を顰めた。

 そしてヘグエルが手にしていた資料がマスティノフの手に渡ると、その中身の文章を見落とさないようにじっくりと目を通した。


 そうして暫くすると、マスティノフは顔を上げてヘグエルを見た。


「……これは、本当か?」


「少なくとも、今迄湧いて出ていた偽物よりかは信憑性がある」


「ううむ……なるほど……」


 その内容を見たマスティノフも、確かに今までよりは信用ができるだろうと大きく頷いた。

 だがしかし、その報告書に追記されたとある内容に思わず眉を顰める。


「これは?」


「向こうが提示してきたものだ。地竜二体を討伐して見せた報酬として、リュミネール王女との結婚を要求している」


「……バンデラン子爵家嫡子、シルヴァ・バンデラン。女癖が悪いと聞いているが?」


「英雄色を好む、と言う奴なのだろう。バンデラン子爵家は落ち目ではあるが、もしシルヴァ・バンデランがその魔法使いであるなら、地竜を屠るその力をグレーアイル王国王家の血に迎え入れる意味は大きい」


 英雄の血

 そう聞いてマスティノフが考えるのは、数百年前に異世界から召喚された勇者のことだった。


 勇者を呼び出したグレーアイル王家はその勇者の血を取りこもうとしたそうだが、結局勇者は子を成すことなくこの世界のどこかで死んだという。

 伝承では「自分はこの世界の異物であるからこそ、この血を残すことはできない」と語って消えたとされている。


 そんな勇者にも匹敵する、まさに英雄の力。


 もちろん、嘘である可能性もある。

 が、もし本当だった場合。グレーアイル王家は再び強大な力を持つ血を逃すことになる。


 それだけはどうしても避けたかった。


 この魔物が蔓延る危険な世界で、民に安寧を与えられる力は必要であるからだ。


「ううむ……」


 マスティノフは唸り声をあげると、手にしていた報告書を再び机の上に放って目を閉じるのだった。





「忌々しいぃ……! 忌々しいぃ……! 忌々しいぃ……! 忌々しいぃぃ……!!!」


 暗闇の中、男は頻りに拳を壁に向かって叩きつける。

 拳の皮膚が裂け、血が噴き出し、骨が歪になろうとも止まらないその怨嗟の声は、やがて魔物のような呻き声へと変化する。


「ああ……!! 忌々しい……!! 漸くぅ、漸く我らの神が御降臨なさるはずだったのにぃ……!! 役立たず共ぉ……!! 魔暴走の灯スタンピードランタンの恩を仇で返しおってぇ……!!」


 潰れた拳を魔法で癒した男は、しかしその拳で再び壁を殴りつけて拳を破壊する。


 だがそれでも、男は痛みで止まることなく、潰れた拳を振るい続けた。

 グチャリッ、グチャリッ、と拳の肉が辺りへと散らばっていく。


「失礼します、チェラレッダ枢機卿」


「……どうしましたかぁ、我が信徒よぉ」


 しかしその奇行は、深紅のローブを身に纏った男の来訪でピタリと止んだ。


 チェラレッダと呼ばれた男は何事もなかったかのように再び拳を癒すと、ねっとりとした笑みを浮かべて来訪者へと向き直った。


 部屋を訪れた男は、血と肉の飛び散っていた光景に特に何も言うことなく「お伝えしたいことが」と言葉を続けた。


「『王蛇』の件ならぁ、私も把握していますよぉ。忌々しい……実に忌々しい……!! 我らが教団が手を貸してやったというのにぃ、我らが神を呼び出すことさえ叶わぬとはぁ……! 地竜まで現れたと聞いた時にはぁ、今度こそぉ! 我らが待ち望んだものが目にできると確信を持ったというのにぃ……!!」


「ええ、チェラレッダ枢機卿の言う通りかと。偶然あの森にいたとはいえ、地竜までもを暴走状態に変えたのは流石メイトーリー枢機卿の御業でございましょう。彼の御仁の手によって作られた魔暴走の灯スタンピードランタンはまさしく奇蹟そのもの」


「ええ、ええ。わかりますよぉ、我が信徒よぉ。メイトーリー殿は流石ぁ、私と並ぶ三大枢機卿の一人だぁ。竜種までもを暴走させるとはすばらしいぃぃぃぃ……!! そして本来であればぁ、無知なる蛇は如何に尊き力であるかも理解せずあの街を滅ぼすはずでしたぁ……しかしぃ……!! それは叶わなかったぁ……何故かぁ……!!」


 ダァンッ、と壁に叩きつけられた拳によって部屋そのものが小さく揺れる。


「そう信仰ですよぉ……信徒よぉ、我らの信仰が足りていなかったのですぅ……!! より深き恐怖と絶望を課さなければぁ、我らの神はこの地にお姿を現さないのですぅ……!! ああ、我らが神を呼ぶ術を、我らが知ってさえいればぁ……! 忌々しい……! 実に忌々しいぞグレーアイルゥゥ……!!」


「……現在調査させていますが、やはり我らが神を呼ぶ方法を知ること能わず。今しばらくお待ちを、チェラレッダ枢機卿」


「いえ、いいのですよぉ。我が信徒よぉ。あなた達は十分によくやってくれていますぅ。ええ、恥じることなどない。あなた方の行動は必ずや我らが神からも称賛されることでしょう」


 その言葉に、信徒の男は「おお……!」と感嘆の声を零した。


「して、何やら用があったようですがぁ?」


「ッ……申し訳ございません。すぐに報告を。かの街にて発生した魔物の大暴走スタンピード及び地竜の暴走、我らの大業を無下にした魔法使いについて詳細が判明いたしました」


「ほぅ……!!」


 その言葉に、チェラレッダは嬉しそうな声をあげると「何者ですかぁ?」と信徒へと問うた。


「はっ、バンデラン子爵家嫡子、シルヴァ・バンデラン。どうやら王都にて、第一王女リュミネール・オ・グレーアイルとの結婚式を執り行うようです」


「……ムフッ、ムフフフハハハハァ! なるほどぉ! それはそれはぁ、我らが神が我らを導いてくださっているようではありませんかぁ……! このタイミングはまさに我らが神からの思し召しでしょぉ……!! アレの性能確認の後ぃ、早速使わせていただきますよぉメイトーリー殿ぉ」


 天井を見上げて不気味に笑うチェラレッダは、すぐに他の信徒を集めるようにと指示を出す。

 その指示に従って信徒の男が部屋を去ると、くるりと後ろを振り返り、本棚から一冊の本を取り出した。

 何度も読まれているのか、すでにボロボロになった本。


 そんな触れるだけでバラけてしまいそうな本をチェラレッダは優しく撫でる。


「我らが神敵を殺すと同時にぃ、彼の術を持ち出す良い機会となりましょう……ああ、まさしく、我らが神は私たちを見ていてくださるぅ……! ムフフゥ……そうですなぁ……あちらにも協力してもらいましょう。万全を期すのですぅ」


 どうか、どうか御照覧在れ。

 チェラレッダはそう本へと語り掛けながら、ニタリと笑った。


「必ずやぁ……必ずやぁ、我らが勇者教がぁ……いえ、この『魔の呼声』チェラレッダがぁ! あなた様をこの世界にぃ……!!」


 その手の本のタイトルは『勇者物語』


 かつてこの地に呼び出された、異世界の勇者による世界救済の物語であった。



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作者の岳鳥翁です。



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