同日、零と一

 研究所の中は、ほとんど人がいなかった。戦闘に行ってしまっているのか、誘い込まれているのか。おそらくその両方だろう、と零は結論付けた。


 最上階、大きな窓のある部屋の扉を、零は蹴破った。なんの術もかけられていない。


「あら」


 窓の外を眺めていた一花が、ゆっくりと振り返る。


「想像以上に早かったわね。下は何をしているのかしら」

「僕たちの仲間が倒しました」

「そう」

「……そちらの仲間でしょう、少しは悲しんだらどうです?」

「ただの駒だもの」


 悲しむなんて馬鹿らしい。

 一花は鼻で笑った。幼いころ、無邪気に笑っていたときとは別人のような笑い方だった。


「さて、お喋りはここでお終い。折角敵が来てくれたんだもの、目的を果たさないとね」


 銃を構え、零の心臓に狙いを定める一花。だが、零は少しも怯まなかった。


「ただの銃で、僕が殺せるとでも?」

「魔導文字を書くのと、私の射撃と。どっちが速いと思う?」

「もう『魔導』ではありませんよ。魔法が復活しました」

「清水夏希、あの女……っ!」

「お前の義姉ですよ」

「そんなの認めない。あの女が魔法も破壊すればよかったのに!」


 荒い息を吐くと、一花は何かを思いついたように笑った。そのまま、銃口を自身に向ける。


「作戦変更よ。私に死んでほしくなければ、貴方が死になさい」

「……お前が、ただの妹なら救いましたよ。けど、お前は罪を犯しすぎた。何人もの人の命を奪い、傷つけた。直接手を下したわけではないでしょうけど、罪は罪です」

「何!? いまさらお説教!? お父さんとお母さんを殺した原因のくせに、よく言えたわね!」

「お前が怒っているのは、それだけではないでしょう」


 苛立つ一花とは対照的に、零は落ち着き払っていた。静かに言葉を紡ぐ。


「僕が天才魔導師ともてはやされて。双子の妹である自分に、まったく魔力がないことがわかって。それで、僕に嫉妬したんでしょう」

「うるさい、黙れ黙れ!」


 それは肯定したのと同じだった。一花は幼い子どものように地団太を踏む。怒りのまま、あちこちに向けて銃を乱射した。それは零を掠りもせず、ただただ壁に穴を開けるだけだった。


「本当なら、生きて罪を償って欲しかった」

「黙れ!」

「けれど、お前を裁ける者はいない。魔導考古学省も、最早機能していないでしょう。それに、お前は生きている限り、魔法を滅ぼし、僕と夏希を殺そうとする。だから」


 零は右手を構えた。黒い魔力が集まっていく。


「せめて、僕の手で終わらせます」


 涙をこぼしながら、それでも零は前を向いて一花に狙いを定めた。脳内には、攻撃のイメージ。夏希と天音が魔法を復活させて僅か数分で、零は魔法を使いこなしていた。


「さようなら……一花」


 本来ならものの数秒で終わるはずなのに、零はなかなか発動できなかった。例え悪人でも、大事な妹なのだ。


 だが、相手は何度も罪を犯した敵。仲間が死ぬ原因となった相手。零はそれを何度も念じながら、震える右手を押さえて構えた。


「……させない」


 零が魔法を発動させる、その瞬間。一花は自身を銃で撃った。驚きのあまり、零は反応が遅れてしまう。


「一花!」

「ふっ……ざまあみろ……貴方は仲間の仇も討てずに、終わるのよ……」

「何を言って……」


 一花のもとに駆け寄った零は、違法だとわかっていながらも医療魔法を使おうとした。だが、その手を一花が掴む。


「犯罪者は、私だけでいいわ……」

「お前、まさか……」


 僕を殺人犯にしないために、自死を選んだと言うのですか。そう問うと、一花は答えずに薄く笑うだけだった。


 ゴホ、と一花が血を吐く。生温かい液体が、一花の白い衣装を汚していった。


「一花、一花! どうして、お前は僕が憎いんでしょう! こんなところで死を選ぶなんて! お前の目的は僕たちを殺すことじゃないんですか!」


 零の叫びが室内に木霊した。それを聞くと、一花は兄の服の袖を引き、そっと囁いた。


「お兄ちゃん……私ね、ずっとさみしかったの……」


 それは、「白の十一天」のリーダーとしてではなく、零の妹、一花としての言葉だった。父が殺され、母が亡くなり、兄とは引き離され。辛く苦しい幼少期を過ごした一花の、心からの言葉だ。


 才能がないと社会にも見放された一花は、兄や魔導を憎むことでしか生きていられなかったのかもしれない。けれど。最後の最後、彼女は兄が罪を犯すことのないように自死を決断した。どんなに憎くとも、彼女は零を兄として思っていたのだ。それに気づいてしまい、零はやりきれなくなった。


「……もっと早くに言いなさい。ギリギリまで言わないのは、お前の悪い癖ですよ」


 こんなに泣くのは何年ぶりだろう。零は涙を溢れさせながら、妹の遺体を抱き上げた。そのまま、ゆっくり歩き出す。


「零!」


 愛しい人の声が、名前を呼んだ。夏希もまた、大事な人との別れで涙を流したせいで、目が赤くなっていた。


「すみません、その……」


 少しだけ、2人にさせて欲しい。そう言おうとした。このまま、一花は罪人として世界中から非難され、弔うこともできないはずだから。


「あたしは残党いないか見てくっから」


 夏希は何も聞かず、その場を後にした。


 残党なんて、1人もいないというのに。


「……お前の義姉は、世界一美しくて、可愛らしくて、気遣いのできる女性ですよ。僕が家族を亡くしたと知ったら、一緒に泣いてくれるような、優しい人です」


 本当は、生きているうちに紹介したかった。

 零は、誰もいなくなった研究所で声を上げて泣いた。

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