第10話 強くなりたい

「二人は夫婦だろ? ベッドは一つでいいよね?」


 夜の食事を済ませると、ナダがそう言った。リオンは慌てたように、

「あ、いや、それは、」

 と言いかけたが、エルフィが被せるように

「大丈夫です」

 と口にする。


「へっ?」

 変な声を出したリオンは一切無視し、

「じゃ、そっちの部屋使って。明日、朝食のあとでまた手合わせしよう」

「よろしくお願いします」

 片手を上げて、ナダは工房へと入ってしまった。リオンは傍らの、まだ幼さの残る妻を見る。結婚したわけだから、そりゃまぁ、同じベッドで間違いではないのだ。それはそうなのだが。


 エルフィが黙って客間に入ってゆく。後を追うリオン。


 中は質素だ。少し大きめのベッドがひとつと、机に椅子。小さめの棚が二つある、簡素な宿屋のようだった。


「リオン様」

 振り向くと、じっとリオンを見上げるエルフィ。その瞳からは、なにか思い詰めたかのような、真剣で深い思いが滲み出ている。

「ひゃいっ」

 思わず噛んでしまう。

「お話があります」

 ゴクリ、と喉を鳴らす。これはあれか。この後の夜の……、


「私、強くなりたいです」

「……はぃ?」

 まっすぐな瞳でそう言われ、一瞬何のことかわからなくなるリオン。


「私、小さい頃からずっと剣を握ってました。でもそれは期限があって、きっと結婚したらそこで終わるんだと思ってました。だって妻には誰もそんなこと求めないでしょう? だけど、リオン様は私が仮面の騎士であることを知ってもなお、私を必要としてくれた。それがとても嬉しかった」

 どこか遠くを見るような目で、続ける。


「私はリオン様の妻として、リオン様を支え、世継ぎを設けることを第一に考えなければいけないのかもしれません。でも……でも! もし許されるのであれば、あと数年、あと少しだけ剣を握って生きてはダメでしょうか?」

 必死の訴えである。

「もしお許しいただけないのであれば、どうか私との結婚を解消していただいて、もっとリオン様にふさわしい、」


 リオンがエルフィを抱き締める。


「ひゃっ! り、リオン様?」

「俺は、エルフィがいいな」

「え?」

「最初に言ったろ? 俺はエルフィより先に、仮面の騎士に惹かれたんだぞ? どうして君から剣を奪うなんてことが出来る? いいんだよ、エルフィはそのままで。俺は今ここにいるエルフィが好きなんだから」

「……リオン様」

「確かに世間的には、結婚して子供を作って、っていうのが普通なのかもしれないね。でも、そんなのは『世間』っていう見えない枠がそこにあるだけだ。俺とエルフィは自由だよ? 少なくとも俺は、そう考える」

 そうして生きてきたことで、周りから変人扱いされたことあるけどな、と心の中で呟く。


「よろしいのですか?」

 涙目で見上げてくるエルフィが、なんだかとてもいじらしい。

「俺はエルフィがいい。エルフィしかいらない」

 頬を優しく包み込む。そしてそのまま、口付けを交わす。

「リオン様…、」

 エルフィの目がトロン、となる。そのままもう一度抱き合うと、リオンがエルフィの背中を優しく撫でる。

「エルフィ……」


 いいムードだった。

 このまま二人でベッドに入ってイチャイチャする流れだと思った。しかし、そう思ったのは、リオンだけだった。


「私、自主練してきますね! リオン様は先にお休みください。おやすみなさい!」

 腕の中で元気いっぱいそう言うと、エルフィは自分の剣をパッと手に取り、外へ飛び出していった。


「……えええええ、」

 情けない声でエルフィを見送るリオンである。


*****


(リオン様、リオン様、リオン様っ!)


 部屋を飛び出したエルフィは、顔を真っ赤に染めていた。外に出ると、深く、辺りを覆っていた霧は完全に晴れ、空には星空が広がっている。

「どうしよう……」

 ドキドキが収まらない。

 あのまま抱き合っていたら、なんだか自分がどうにかなってしまいそうだったのだ。


「こんなことではいけないっ。私はもっと強くならなきゃ!」


 心が弱い人間は、強くなれない。

 剣を握る時、いつもそう自分に言い聞かせていた。一瞬の迷いが生死を分けることもある。平常心であること、瞬間を見極めること。

「よし」

 パン、と頬を叩き、気合を入れる。


 鞘から剣を抜き、構える。建物から漏れている僅かな灯りと月の光を頼りに基本の型を一つずつ丁寧に確認していく。基本に立ち返る、はとても大切だ。心を無心に。


「お、やってるな」

 顔を出したのはナダ。手には二本の剣。

「手合わせするかい?」

「是非!」

 エルフィの顔がパッと明るくなる。

「では、少し軽めにね」

 エルフィが仮面をつけ、ナダの剣を取る。


 ふわりと体が軽くなる感覚が心地いい。なんでこんな風になるのかはわからないが。


「ああ、その剣を持った時の違和感、大丈夫かな?」

 ナダが問う。

「あ、これってなんなんですか?」

 ナダは知っているのか。

「それはね、エルフィがそういう血筋だって証拠」


 パッと駆け出し、上段の構え。エルフィが下から払い上げ、くるりと回りながら水平に剣を繰り出す。

「どういう意味ですか?」

「その仮面ね、ある一族を象徴するものなんだよ」

 ひゅん、と空を切る剣を見遣り、エルフィに向かってくる。下段の構えを取るナダの剣を受け、横に流す。


「ある一族?」

「これ、大事な話だから明日ゆっくり話すね。やってほしいことも出来たし」

「やってほしいこと?」

「そ。君ら二人になら、託してもいいかな、っと」


 キンッ


 という甲高い音と、エルフィの手から弾き飛ばされる長剣。


 まただ。

 エルフィはグッと唇を噛み締めた。

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