大日本帝国の暁

竹本田重郎 

異史・太平洋の緊張

第1話 異史・満州事変

【1932年9月15日】


「石川十三中佐!朗報です!日中合作が正式に発足し、大日本帝国と中華民国の間で東亜同盟が結ばれました!」


「これで背後の憂いは断ったわけだ。我々は暫く満州に留まるが、中華民国軍側の要請に従い、順次本土へ帰投することになるだろう」


 私はニンマリと笑みを浮かべた。あの満州事変が起こってから約1年が経過し、我々の関東軍は満州一帯に進駐した。しかし、全ては中華民国政府の許諾を得た上の行動である。我々は政府を介して中華民国軍と共同戦線を構築したのだ。中国から共産勢力を排除する大義名分を掲げ、中華民国軍と連携し中国共産党を挟撃する。そして、ついに撃滅に成功しては日本と中華民国は東亜同盟を結ぶに至った。


 私は関東軍の石川十三大佐である。共同戦線の現場指揮を執った。共産党は長征という逃避行を始め、完全に排除できるか、ギリギリの苦しい戦いを経ている。もう少し、上手い方法があったかもしれない。ひとまず、日本の背後の安全を確保したこで動きやすくなった。


「後の事は政府とお上に任せよう。もしかしたら、共産ゲリラが潜んでいるかもしれない。中華民国軍と連携を密にして対応にあたれ」


「はっ!」


 この背景は1931年9月18日に発生した「柳条湖事件」が存在する。


 同日に大日本帝国が国際的に認められて保有する、南満州鉄道の線路が何者かにより爆破された。設計上の欠陥による崩落などの事故とは判断できない。調査を進めると中国共産党の仕業と判明した。彼らは日本と中国国民党に衝突させ、抗日統一戦線を構築する工作を施したのである。あいにく、日本の優秀な調査団が看破してみせた。


 当時の中華民国は蔣介石が実権を握っていた。しかし、親日派の汪兆銘と対立し始めると権力闘争に敗れる。中華民国は汪兆銘が実権を握り、蔣介石路線から一転して「反共親日」を打ち出した。直ちに日本政府は中華民国政府と交渉を重ねる。そして、日中両国は共産党を完全に排除することで合意した。中華民国軍は北伐を再開し、日本軍は満州へ進駐し、日中軍は協同して共産党を挟撃したのである。


 これを日中合作と呼んだ。


 日中軍は兵の数と武器の質で勝り、共産党勢力を押しに押した。共産党は長征という逃避行を始め、何とかソ連の支援を受けようと試みる。しかし、北伐と南下の挟み撃ちの前には遅かった。中国共産党は包囲され兵糧攻めに遭い、遂には撃滅されている。


 中国共産党の完全排除に成功すると、日中交渉は次の段階に移った。日本政府は宥和外交を展開し、嘗ての対中要求を一度白紙に戻した。日露戦争と第一次世界大戦で獲得した、日本の権益は部分的に認められる。残りの部分は日中共同管理で互いに利益を見出した。関東軍の制圧した満州地方については、日本権益を除いて中華民国に全て譲渡する。ただし、同地方に潜在する資源については、日中共同開発と定め、片方の独り占めは許さなかった。


 かくして、中国は完全に統一される。大日本帝国と中華民国は互いに最高のパートナーと認め、欧米列強を排した自主自立がモットーの東亜同盟を結んだ。東亜同盟内で優遇し合い、経済の発展と軍事拡張を図るだろう。


「満州は日本の生命線というのは傲慢だった。満州は日中の生命線である。両国は親友として共に飛躍を目指す。独り占めというのは、概して成功しない」


「おっしゃる通りです」


「しかし、共産党のゲリラ戦やソ連製の武器は侮れない。全ての兵器を刷新する必要性を痛感したよ」


 中国共産党はソ連から支援を受けており、ソ連製の火器は極めて強力だった。さらに、数的不利を補うゲリラ戦を展開してくる。我々は正面切っての撃ち合いから、各地のゲリラ戦まで苦戦を強いられた。祖国の武器も負けず劣らずと言いたいが、小銃から機関銃、大砲まで全て刷新が必要と見る。


 約1年に渡る満州事変の報告書は、速やかに纏められ上申を為した。


=帝都・東京=


「装備の刷新は急務です。そして、補給の観点から弾薬は陸軍に留まらず、海軍と互換性を持たせるべき。こう進言させていただきます」


「海軍と手を組めとは、随分と無理難題を言う」


「無理難題ではありません。国難を前にして面子に拘る愚かに比べれば、遥かに容易い正義でないでしょうか」


「面子はともかく、確かに、国民党軍の装備は我らを上回った。改革が必要なことは全面的に同意する」


 帝都・東京には非常事態に限り、陸軍の参謀本部と海軍の軍令部を統合した、大本営が設置される。非常時が収束したら休眠に入るが、平時中でも事実上の稼働状態にあった。大本営は陸海軍の隔たりを無くす協同に努めるため、両軍の有望な若手が頭の固い老将を排し、フレッシュさを得ている。もちろん、老獪を知る智将や戦略家には慰留を懇願した。もっとも、此方から願うまでも無く、自ら残留していただいている。


 そんな大本営の内部に設けられる陸軍本部では、若手が老将の後ろ盾を得て「陸軍改革」と称し辣腕を振るった。その一環として、満州事変の報告と言う名目で上申を敢行する。国民党軍との共闘ならびに共産党軍との戦闘を経験し、自軍は多方面で劣っていることを確認した。


 その内容を一つ一つ挙げてはキリがない。


 したがって、以下に重要度の高いものを抜粋した。


~仮称『満州事変報告書』~

・小銃は火力面より7.7mm口径へ拡大する

・7.7mm弾は小銃と軽/重機関銃、車載機銃、航空機用機銃で互換性を持たせる

・海軍と協議し弾薬には互換性を与える

・可能であれば、ドイツ製MG(汎用)機関銃を倣う

・重擲弾筒は素晴らしく、直ちに改良と大量生産に移る

・八九式中戦車は機動力に欠け、軽戦車を吸収した上で快速中戦車を開発する

・戦車は対歩兵に限らず、対戦車戦闘も想定する

・開発が間に合わないようであれば、八九式を流用した突撃砲で間に合わせる

・兵士が円滑に移動できる半装軌車両の開発を急ぐ


「小銃の口径拡大については、直ちに取り掛かれるはずだ。幸い、明治から大正にかけて行った研究が残っている。弾薬の互換性についても、今すぐにも、行うべきである。ただ、海軍と共通化するのはな」


「陸の兵隊は海を渡ることができません。海の兵隊は陸を走ることができません。それでも、なぜ、敵視するのでしょうか。予算の問題は把握しています。しかし、勝たねばならぬ戦いを前にして。なぜ、負けに行こうとするのでしょうか」


「…」


「ごもっともだな」


 共産党はソ連製を国民党はドイツ製を使用した。どちらも実戦で目の当たりにした前線の将兵から、自軍の装備は火力で大きく劣り、撃ち負ける事態が多発したと訴えが届いている。陸軍の主力小銃は6.5mmの三八式歩兵銃で素晴らしい傑作だ。どうしても、火力面では欧米製の7.7mmや7.92mmに劣る。6.5mmを使う正当な理由も存在したが、「そろそろ火力の強化を図るべき。その時が訪れたのではないのか」と叩きつけた。


 この問題は明治期から大正期にかけて研究が行われている。過去の研究を引っ張り出し、かつ、既存のブリティッシュ.303弾(7.7mm口径)を活用した。これなら数年もかからずに新式小銃を開発できる。さらに、7.7mm弾は持ち運び可能な軽/重機関銃、戦車や装甲車の車載機銃、航空用7.7mm機銃へ互換性を与えた。極め付きは、陸軍に留まらず海軍も同様に互換性を付与する。海軍では艦艇の対空機銃から航空用機銃、陸戦隊の火器に採用することを望んだ。


 もっとも、どの国でも共通するが、陸軍と海軍は不仲だろう。予算の取り合いで岩に亀裂が走るのは、当然と言えば当然だ。陸海軍が仲良しこよしであることは、極めて稀有なことである。


 しかし、国難を前にして内部で争っている余裕は皆無だ。


「国民党軍のドイツ製を倣うことは構わない。ただ、どうやって入手して生産する。我が国の工業はドイツにすら及ばんぞ」


「そこは軍ではなく、政府の仕事ですが。履き違えの無いよう、お願いします」


「なら、無策と言うのかね?」


「いえ、忘れてはいませんか。我々が手を組んだ中華民国はドイツと密接な関係にあります。いわば、友の友です。よって、中華民国を介して武器を輸入すればよろしい。工業についても、ドイツから導入すればよろしい。なんせ、今のドイツはもがき苦しんでいます。日本の申し出を蹴ることがありましょうか?」


 何とも悪い笑みを浮かべた。


続く

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