第108話 ただの偶然とは思えない




「君は今から七年前、ここで女の子を助けた覚えはないかい?」


 きっちりとスーツを着こなす男性はそう言って、俺の肩に手を置いた。


 もしかしてこの人……あの時あの場にいた、女の子の父親か? あの場所にいたのは他に俺と同年代の子供だけだったし、それ以外に選択肢が無い気がする。というか無い。


 まさか七年越しに会うことになるなんて――しかし、良く気付いたなこの人。俺の体形とかめちゃくちゃ変わっているというのに。


「え、えぇ……そんなことした記憶はあります。いちおう確認しておきますけど、その時の子供って太ってましたよね?」


 本当に俺のことだよね?


 確信を得るためにそう問うと、彼は「あぁ、本当に君なんだね」と感動している様子だった。どうやら、人違いではないらしい。


 この人、わざわざ毎年このあたりで俺を探していたのだろうか? さっき『百回近く来ている』とか言っていたし。だとしたら申し訳ないな……。引っ越しちゃったよ俺。


「君は娘の命の恩人だ。あの日のことを何度感謝したかわからない。そして、気付けなかった自分を何度責めたかわからないよ。再び君に会えて、本当によかった。何度でも言わせてほしい――本当にありがとう」


 スーツの男性は俺の手を両手で握り、二十歳にもなっていない若造の俺に頭を下げた。後頭部を見下ろせるほど、がっつりと下げた。


 いやいや、二回りも年上の人に頭を下げられたら気まずいわ! 勘弁してくれ!


「あ、頭を上げてください! たまたま俺が見つけるのが一番早かっただけですから……それに、溺れていたとはいえ、女の子には申し訳ないことをしちゃいましたし」


 そう、泣かせてしまった。俺の心の傷の原因だ。


 空いた左手の人差し指で頬を掻きながらそう言うと、男性はぽかんとした表情を浮かべる。


「すまない。申し訳ない、とは?」


「いまはそこそこ普通になれたと思うんですけど、あの時の俺って、容姿でいじめられるような奴だったんで。ほら、あの時娘さん、泣いていたでしょう? 周りにいた男の子たちも、『ブタが女の子を襲ってる』とか、からかうようなことを言ってましたし」


 俺がそう言うと、彼は――、


「……そんなことを言っていたのか?」


 憤怒の形相に変わった。そして一瞬俺の手を握る力を強めたかと思うと、焦ったように手を放す。どうやら、無意識に力が入ってしまったらしい。「申し訳ない」と謝っていた。


 目を瞑って顔を横に振った男性は、大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。

 そして、「そうか」と独り言のように呟いたのち、話を続ける。


「君がこの七年間、どんな気持ちで過ごしていたのか――もしあの時のことを悔やんでいるのだとしたら、私は地に頭をこすりつけよう。私も、妻も、娘もだ。願いがあるのなら、私のできる範囲で聞き届ける」


「いやいやいや! 別にいいですってそんなの! 助けたのだって、俺が勝手にやったことですし」


 再び頭を下げる男性の肩を掴んで、俺は無理やり体を起こさせる。なんかこの強引さ、熱海を思い出すな。『君は幸せになるべき人間だ!』とか言い出しそうな感じ。


 顔を上げた男性は、困ったように眉をハの字に曲げていた。そして、口を開く。


「七年も経ってしまった。今更過ぎると思われるかもしれないが――私も、娘も、君が言う周りの声なんて聞こえていなかったんだよ。娘が泣いていたのは、単純に死ぬことが怖かったからだ――あとは、恥ずかしかったそうだ。私はそう聞いている」


「…………いや、でも、そんなはずは」


 俺が助けた女の子は父親相手に本当のことを言えなかっただけかもしれない。命の救われた相手のことを悪く言えば、怒られるんじゃないかと思ったとか。そういう可能性もあるし。


 何よりも、もし彼の言い分を認めるとしたら、それは俺がいままで過ごしてきた七年を否定するということだ。すぐに納得することはできなかった。


 歯切れの悪い俺を見て、男性は悲しそうな表情を浮かべる。カウンセリングでも受けている気分だ。そんな経験ないけども。


「そうだ! もしよかったら、喫茶店で昼食なんてどうかな? 妻にも会って欲しいし、もう少し君と話したいんだ」


 場の空気を変えるためなのか、彼は明るい声でそう言った。


 昼食か……母さんに連絡しておけば、別に問題はないだろう。帰りの電車があるし、じいちゃんばあちゃんともう少し話しておきたいから、長居は難しいが。


 そっちはいいんだけど。


「…………」


 この人の話を聞けば、俺は過去のトラウマを消し去ることができるのかもしれない。


 だけど、いままでずっと嫌な思い出として残っていたあの出来事が、もしも『間違い』であったとしたら――なんだかいきなり俺が立っていた地面を奪われたような感覚になりそうで、自分という人間が壊れてしまいそうで、少し怖いのだ。


 トラウマが自分を支えているというのも変な話だけど……本当に、奇妙な感覚だ。


「わかりました……あまり時間は取れないと思いますが、とりあえず母に連絡してみます」


「そうか! ありがとう!」


 男性の返事を聞いてから、スマホで母親に『知り合いに会ったから昼ご飯一緒に食べて来る』とチャットを送っておいた。即座に『了解』というスタンプが返ってきたので、こちらは問題なし。


 まぁ熱海に散々『感謝をしっかり受け取れ!』って言われてきたしなぁ。あの女の子の親であるこの人も、そして母親も、俺に一度会って話をしたほうがスッキリするんだろう。良い人みたいだし。


「タイミングが会えば、娘にも会って欲しいんだがな……なにせあの時の話になるとすごく早口になるし、一時間ずっと話し続けてることもあるぐらいなんだ。残念ながらいま娘は少し離れたところに――あ、もしよかったら、連絡先を交換しておいてくれないかい? 今後のためにさ」


 ははは……どうやら俺は、女の子にめちゃくちゃ感謝されてるみたいだ。


 そして彼の言葉を聞く限り……やはり俺の七年間は、間違っていたのだろう。間違い続けて、勝手にひとりで苦しんでいただけなのだろう。バカなのか俺は。


「ははっ、なんだかその話を聞くと恥ずかしいですね。連絡先、大丈夫です」


 心が乱れるのを悟られぬように、平静を装って俺はスマホを差し出した。お互いにコードを読み取って、連絡先の交換を完了させる。


「よし、ありがとう。君は――有馬優介くんと言うんだね。優介くんと呼んでもいいかい?」


 スマホから顔を上げて、にこやかに男性が言う。

 俺も彼の名前をたしかめるためにスマホの画面を見て、自分の目を疑った。


「あ、あた、み……熱海、ですか?」


 ……俺が七年前助けた女の子の名前は熱海で、俺が告白した熱海は、七年前に誰かに助けられていた……?




 

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