第99話 あの日、キミを助けたのは
「あの時階段から落ちた私を助けてくれたのは――有馬くんだったの……?」
黒川から急にナイフを突きつけられた――そんな感覚さえした。やったこと自体は悪いことではないと思うのだけど、ずっと隠していたという罪悪感、嘘を吐き続けていたという罪悪感が、彼女の言葉をそんな風に感じさせていた。
「いや、あれは蓮が――「本当に!?」」
黒川は俺に詰め寄り、先ほど近寄ってきた以上に、ぐっと顔を寄せてきた。
「本当はね……少し変だなって思ってたの。道夏ちゃんの様子もいつもと違ったし、最初に駅で道夏ちゃんが指さしたのは、有馬くんのほうだったし。でも、私は覚えてなくて、みんなが『城崎くんが助けてくれた』って言うなら、そうなのかなって思ったの」
俺の目を真っすぐに見たまま、黒川は言う。少しだけ、怒っているような表情で。
「体を包まれてる感覚とか、力強さとか、本当に一緒だった。匂いとか温かさだけでも、あの時のことが頭に浮かぶもん。ねぇ、有馬くん――教えてよ」
ジッと目をそらさず、彼女は俺を追求する。
たぶん、これはきっかけなのだろう。怪しい部分がいろいろとあったけれど、確証に至るものではなかった――そしてなにより、みんなが隠し事をしていないと、黒川は信じたかったのだろう。
俺が彼女に真相を隠し続けていたのは、彼女にとって蓮に助けられたほうが幸せだと思ったからだ。そしてその後は、俺が骨折してしまったという責任を、彼女にわざわざ負わせたくなかったからだ。
前者に関しては解決。後者も、腕が完治しているいま、以前よりだいぶマシだ。
「……本当のことを、教えてよ」
もう一度、彼女は言った。
たぶん、彼女の中ではもう確信しているのだろう。あの時助けたのは俺であると。
そして、それを俺の口から言ってほしいのだろう。
どれぐらいの時間だろうか……十秒か、三十秒か、それとも一分か。無言のなか、考えた。そして――、
「ごめん……あの日、黒川を助けたのは、俺だった」
謝罪し、真実を話す。
俺の言葉を聞いた彼女は、表情を変えないまま口を開く。
「骨折したのも、きっと私のせいなんだよね。家の階段じゃなくて、あの時なんだよね? ……だから隠してたの? 私、有馬くんに何もしてあげられてないよ? そんなの、全然嬉しくないよ! なんでそんな大事なこと、黙ってたの!」
目を潤ませながら、彼女は俺の胸をグーでトンと叩く。
「有馬くんは私のことを想ってそうしてくれたのかもしれないけど、嬉しくないよ! 何も嬉しくないよ! 私のせいで恩人が痛くてつらい目に遭ってたのに、私は何もできなかったよ!?」
「……なにも、ってことはないだろ。黒川はノートを俺の代わりにとってくれたり、色々気にかけてくれてたじゃないか」
「でも私は、それが自分のせいだなんて気づかなかった!」
もう一度トン、と俺の胸を叩く。先ほどよりは、少し強めに。
こんな風に、彼女が嫌な思いをしてしまうのはわかっていた。
だが、あのまま無理やり嘘を吐き続けて、信用ならない人間として彼女の友達を続けるよりは、良いと思ったのだ。
「本当にごめん、黒川。書いてくれた手紙とかは蓮から受け取ってたよ。だから感謝の気持ちは、しっかり俺に届いてた」
俺がそう言うと、黒川は怒り、悲しみ、そして不満そうな顔をしながらも、コクリと頷く。
「……じゃあもう一回書かせてよ。あれは城崎くん宛だったもん」
「別にそんなことしなくても――「書くから」――はい、余計なこと言ってすみません」
ムスッとした表情で宣言した黒川は、そのまま流れるように抱き着いてきた。そして、俺の胸に顔をうずめながら「ありがと、有馬くん」と口にする。
申し訳なさと恥ずかしさと緊張で頭がどうにかなりそうだ。しかし、ずっとだまし続けてきた罪悪感で、彼女から逃れることもできない。
いつまでこの幸せに耐えねばならないのだろうか、そう思ったところで、黒川は俺から離れながら「これぐらいは許されるよね?」と言ってきた。俺は再び、コクリと頷いた。
「優しいのは知ってるけど、優しすぎはダメだよ有馬くん」
相変わらずムスッとした表情、しかしどこか嬉しそうに、黒川は言った。
いや、別に俺は優しくないんだよ。完全な自分本位の理由だったし。
いい機会だから、昔のこともきちんと話しておいたほうがいいか。
いま、黒川だけが仲間外れの状態だもんな。
「あの、それなんだけどさ。実は黙っていたのは骨折が理由じゃないんだよ。俺に抱き着かれたって事実が、黒川にとって不幸なんじゃないかと思ってたからなんだ」
俺がそう言うと、彼女はキョトンとした表情に変わる。
そして不思議そうに首を傾けた。
「小学校のころ、俺は容姿でいじめられてたからさ――そんな奴に助けられたら、嫌だろうなって思ってたんだよ。だからその場にいた蓮と熱海には、なんとか説得して黙ってもらってたんだ」
「外見なんて関係ないよ! もう……なんでそんな風に思っちゃうかなぁ。でも、そうなっちゃうのかなぁ……有馬くんをいじめてた人、私嫌いだ」
むー、と怒りをあらわにして言う黒川。俺に怒りつつ、俺をいじめた人に対しても怒っている。怒る黒川というのもなんだか新鮮で、新たな一面を発見した気分だ。
ともあれ、なんだか少し許された感がある。嘘を吐き続けるのも申し訳なかったから、ちゃんと話せて良かった。
「まぁいじめが直接の原因っていう訳じゃないんだよ。実は俺さ、小学校五年の頃に溺れていた女の子を助けたことがあって、そのときに大泣きされちゃったことがあったんだよ。それがあったから、たとえ誰かを助けても、自分が助けたって言いたくなかったんだ」
苦笑しながらそう言うと、黒川はぽかんとした表情で固まる。
熱海と同じように、黒川も『クソ女』とか言い出しちゃったりしないよな? と思いながら言ったのだけど――、
「…………え? 溺れていた女の子を……?」
彼女は短くそう口にする。しかし依然として、表情は固まったままだった。
いったいどうしのだろうか――そう思っていると、
「――ま、待って。ちょっと待って…………待って、待って、待って、待って、待って、待って、待って、待って、待って、待って、待って、待って――」
なぜか彼女は焦点のあってない目をぐるぐると動かしながら、頭を抱えた。そして、その場にしゃがみこむ。
「ど、どうした黒川!? 大丈夫か?」
予想しなかった反応に驚く。
なぜ彼女がこんな風になってしまっているのかわからないから、焦った。
黒川はその姿勢のまま、うわごとのように「……小学校五年……七年前? ……その頃は△△県……溺れて……」と単語を羅列している。
俺が言った情報を頭で整理しているのだろうけど、正直彼女の頭の中でいま何が起きているのかさっぱりわからない。
彼女がこうなってしまっている理由が、まったくわからない。
どうしていいのかわからなかったから、とりあえず黒川の横で俺もかがみ、彼女の背に手を置いた。そうしたところで、彼女はゆっくりとこちらを見上げる。息遣いは荒く、すがるような目つきだ。
「……そ、その話って、誰が知ってるの? 誰にも言ってないよね? 私だけ、知ってるんだよね?」
そう言ってほしい。そんな願いがこもったような聞き方だった。
その質問の仕方をされてしまうと、非常に申し訳ない気持ちになるなぁ……事実は、真逆だから。
「……いや、蓮と由布には、中学の頃に話してる。熱海にも、四月の終わりぐらいには話したかな。黒川に隠す理由を説明するために、必要だったから」
彼女は目を大きく見開き、一瞬にして顔を真っ青にさせていた。
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