第77話 責任と覚悟




 由布との電話を終えて、眠りにつき、翌朝目覚めて、熱海と玄関前で合流し、学校へ向かう。こんないつもの流れをたどりながらも、頭の中では昨晩の熱海の声が何度もリピートされていた。


『あたし別に、有馬のこと異性として見てないし、別に好きじゃないから』


 俺だって別に熱海のことが好きと確信を持っているわけじゃない。なんなら、その数時間前には、黒川さんと動物園にいて、彼女のことを好意的に思っていたのだ。

 そんな自分が、熱海から『好きじゃない、異性として見ていない』と言われたことにショックを受けることが、とてもとても人間として駄目な気がして、一人自己嫌悪に陥っていた。その様子は、悟られぬように心の奥底に隠したが。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 学校の授業中、俺の視界にはいつも熱海の後姿が目に入る。

 二学期に入ったら席替えが行われるらしいが、夏休みに入るまでの間はこの位置で固定だ。つまり、前に熱海がいて、隣に黒川さんがいるというこの恵まれた環境も、あと少しで終わるということ。


 黒く艶のある髪で、熱海が動くと髪も一緒にサラサラと揺れる。きちんと毎日手入れしているからこそ、ここまできれいな髪の毛なんだろう。これもきっと、王子様によく思われたくて、熱海が日々頑張ってきた証だと思う。


 ため息が出た。


 彼女の一途な想いも、磨き上げた外見も、人に優しくするという性格さえも、すべては王子様に向けられたものだと知っているからだ。知っているから――というよりも、知っていたことを、たった今再確認したからだ。

「どうしたの?」

 英語の先生が黒板に板書をしている隙を見て、黒川さんが声を掛けてきた。椅子を少し動かし、身体をこちらに寄せて、ささやくように。


「どうしたって、なにが?」


 俺も同じように、小さな声で返答する。先生はもちろん、前の席にいる熱海にも聞こえないような小声で。


「ため息ついてたからさ」


「ほんとか? 無意識だった」


「さては寝不足かな~? 実は、私も昨日、動物園の写真見返してたらすぐ眠れなかったんだよね」


「あはは、今日はぐっすり眠れるといいな」


「うんうん、有馬くんもね」


 そこで会話は終わり、黒川さんはニコニコとした表情で元の位置に戻った。

 罪悪感……だなぁ。黒川さんは、昨日のデートのことを思い返して夜更かししていたというのに、俺はと言えば熱海の発した言葉ですぐに眠ることができなかった。

 救いなのは、黒川さんが俺を好きではないということなのだけど――それも、最近疑い始めている自分がいる。


 もちろん、俺ごときにそんな考えはおこがましいと思っている。だけど、この状況が、黒川さんの表情が、彼女の行動が、『黒川陽菜乃は、有馬優介に異性としての好意を抱いている』ということを証明しているような気がしてならないのだ。


 もし……万にひとつ、億にひとつ、兆にひとつ、そんな状況になっていたとして、黒川さんに告白されるようなことがあったとしたら、俺はいったいどうすればいいのだろう。


 変わらぬ熱海の後頭部を見ながら、俺は再びため息を吐いたのだった。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「今日はね、道夏ちゃんは私のものなのです!」


 放課後、黒川さんは熱海の腕を抱くようにして、俺に宣言した。もともと俺に熱海の所有権はないから、そう言われたら「わかった」と返答するほかにない。

 ちなみに熱海はというと、どうやら黒川さんからのお誘いは予想外だったらしく、「え? へ? なに!?」と挙動不審になっていた。慌てている姿は珍し――くもないか。よくよく考えると、結構熱海が慌てている姿を目にすることがある気がする。


「じゃあ今日は昔の三人での帰宅だね。どこか寄って帰る?」


「あー、じゃあ本屋とか? 漫画みたいし」


「僕はいいよ。紬もいい?」


「もっちもち~。ついでにゲームセンター行かない? 本屋の隣にあるちっちゃいところ」


「「おっけー」」


 俺と蓮が返事をすると、由布は嬉しそうに「やりぃ!」とこぶしを上げる。

 他のクラスメイトの目がある状態ではしゃぐ彼女の姿を、彼氏の蓮は苦笑しながらも、どこかほほえましいものを見るような目で見ていた。

 そして、もう片方の二人はというと、


「え? なにかあたし陽菜乃と約束してたっけ? え?」


「今日は何も用事ないって言ってたよね? ちょっと二人でお話しようよ~。私も門限あるし、そんなに遅くならないから大丈夫!」


「う、うん。それはいいんだけど……」


 なにか意図があるらしい黒川さんと、なにがなんだかわかっていない様子の熱海。

 たぶん、俺たちにはあまり聞かれたくないなにかがあるのだろうけど……こんな状況も、もしかしたら黒川さんが俺に好意を抱いており、それを熱海に相談を持ち掛けているんじゃないか――そんな風に思える。


 だとしたら、熱海が黒川さんとのデートに協力的だったことも、説明はつくんだよなぁ。

 たしかめようとしても、それは爆弾処理のようなものだから、あたりかはずれか――はずれた場合は、俺が目も当てられないぐらい爆発してしまうのだけど。


 そんなことを考えていると、へらへらと笑っていた由布が、熱海に視線を向けていることに気付く。観察するような、探るような視線を向けている。


「最後に――」


 由布はそう切り出して、熱海の隣にいる、キョトンとした表情の黒川さんにも目を向けた。


「最後に恨む相手は……私にするべきだよ。二人はこれからも仲良くしてね」


 そう言い終えた由布は、一度苦しそうに唇をかみしめてから、「よっし遊ぶぞー!」といつもの笑顔に戻った。何の違和感もない、いつもの由布に戻った。

 ……恨む? なぜ由布が二人に恨まれなければいけないんだ? またなにか、一人で抱え込んでいるのか? そして最後ってなんだ? いつのことだ?


 三人だけにわかる何かがあるのだろうか、そう思ったけど、黒川さんは「何も恨むことなんてないよ?」と不思議そうにしており、熱海もふるふると首を横に振っている。

 そして由布の彼氏はというと、


「やれやれ……」


 そう言って、大きなため息を吐いていた。



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