第53話 コップのゆくえ
もしかしたら今日はこのまま駄弁っていたらいつの間にか夜の十時を過ぎ、『勉強はまた明日頑張ろう』とか誰かが言い出すんじゃないのかなぁと思っていたけど、そこはさすがの成績上位者。話がひと段落したところで、二人はテーブルの上に教科書やらノートを置いて、勉強モードに移行していく。
「有馬も陽菜乃も、ここは使う公式が違うのよ」
勉強を始めて十分ほどが経過したころ、まったく同じ場所で躓いていた俺と黒川さんに、熱海が呆れた様子でそう指摘してきた。
現在はみんなで数学の勉強をしているのだけど、熱海は得意教科とだけあってスラスラと問題を解いていっているようだ。
「あはは~、躓くとこも一緒なんだね私たち」
「ここまで被ると逆に被ってないところを探すほうが大変そうだよな」
ニコニコと嬉しそうに言う黒川さんに釣られて、俺も笑いながら答えた。
――で、こうなると毎度のことながら仲間外れ状態になってしまう熱海はご機嫌斜めになってしまう。といっても、それはよく見ないとわからないような些細なものだから、きっと彼女としてもあまり感情を出さないように努力はしているのだろう。ため息はちょこちょこと出てしまっているが。
「はいはい、イチャイチャしてないでちゃんと勉強するわよ」
熱海はからかい半分、呆れ半分といった様子で、手を二回叩いてから言った。
「イ、イチャイチャとかじゃないよっ! も、もう道夏ちゃんったら、からかわないでよ~」
黒川さんはあまりこういうからかわれ方をしたことがないのか、顔を真っ赤にしてから抗議の言葉を口にした。熱海の肩をぺちぺちと叩いて、視線を彼女に固定する。
目や体の動きが、なんだか俺から必死に目をそらそうとしているようにも見えた。
「あ、う、うん。そうね」
そして熱海にとっても、黒川さんのこの様子は想定外だったようで、目を丸くして親友のいつもと違う様子にビックリしているようだった。
恋愛に興味がないとはいえ、こういう揶揄の仕方をされると恥ずかしいらしい。
いままでは、こうやって近しい関係になる男子がいなかったんだろうな。俺は由布がいたから、ある程度からかいとかそういう類のものには慣れているが。
十数秒で落ち着きを取り戻した黒川さんは、俺の目を一瞬ちらっと見たあとに、「さぁ勉強頑張ろう!」と教科書に視線を落としたまま口にした。そして、ペンを手に持ってノートにカリカリと文字を書き始める。
俺はそんな黒川さんのつむじを見たあとに、熱海に目を向けた。
彼女もまた、俺と同じような視線の動きをしていたので、ばっちりと目が合う。
「やるか」
「……そうね」
そんな短い言葉を交わして、俺と熱海も教科書や問題集に目を向ける。
なんだか感情がいろいろな方向に動きすぎて、すでに精神的にかなり疲れてしまった。ここで勉強をやめて他のことをしようぜなんて言ったら、彼女たちはいったいどうするのやら。
それから夜の十時まで、俺たちはもくもくと試験勉強をこなした。
集中の度合いとしては、ファミレス以上図書館以下といった感じ。ちょこちょこ会話はするけれど、勉強以外の内容の話題は一切出てこなかった。
全員が全員、誰かが勉強以外の話題を話し始めるのを待っていたような気もするけど、結局みんな真面目だったな。
「んん~、意外と集中できたね!」
ぐっと背伸びをして、胸に抱える爆弾を猛アピール(俺視点というか男視点での話)した黒川さんは、へにゃりと力を抜いて背にあるソファにもたれかかる。
やはり俺は黒川さんをどこか神聖視してしまっているらしく、彼女が触れる部分の価値が上がっていくように感じてしまった。
「『友達と集まって勉強する』ってお母さんに言ったら、本当に集中できるのかーって疑問に思われてたけど、この光景を見てもらいたいよねっ! すごく頑張ったもんっ!」
自信満々にそういった黒川さんは、熱海に向かって「ねー」と同意を求めてから、コップに注がれたリンゴジュースをゴクリ。
「でも有馬がいるって言ったらどうなるかしら? 男子がいるとは言ってないんでしょ?」
「泊まる家は道夏ちゃんの家だから問題なしだよ! たぶんね!」
ぐっと親指を立ててから、黒川さんはもう一度リンゴジュースをゴクリ。喉が渇いていたのかなぁ。
黒川さんが気前よくジュースを飲んでいる姿に触発されて、俺の喉も渇きを訴えてきたので、手元のコップを――って、ん?
「……あ、あの~、大変申し上げにくいんですが、それ俺のじゃない?」
テーブルに置かれているコップは、オレンジジュースが入ったもの一つとリンゴジュースが入ったものが二つ。
言わずもがなオレンジジュースは熱海のものなのだけど、現在俺の付近にコップは一つもなく、黒川さんの近くに残り僅かになったコップが一つ。そして今彼女が手に持っているコップが一つある状態だ。
ぴしりとコップを手に持ったまま固まる黒川さんと、二つのコップを交互に見て、茫然とした表情を浮かべる熱海。
「あ、あわわわわっ!? ご、ごめん有馬くんっ! ごめんねっ! ど、どうしよ――あ、私のとやつと交換とかする!? しょ、消毒とかする!?」
状況を理解してボンっと顔を真っ赤にした黒川さんは、まるで俺よりも自分のほうに問題があるかのように話していた。本当に消毒が必要なのは、俺のコップに口をつけてしまった黒川さんの口ではないのだろうか。モンダ〇ンを洗面所から持ってくるべきか否か。
「いや俺のほうこそごめん――というか、熱海は何をしてるんだよ」
熱海はなぜか、俺のほうにスススとオレンジジュースの入ったコップをスライドさせてきていた。
「あ、あんたが飲むものが無くなってるから、あ、あたあたあたしの分をあげようかなって思っただけよ! あたしはもう喉乾いてないし? もうお腹たぷんたぷんだからっ! ほら、喉が渇いてるんでしょ!」
冷蔵庫にまだたっぷりあるから、別に困ってないんですが。
どうやら熱海は俺の喉の渇きを心配してくれたようだけど、それよりも間接キスとかの心配をしてくれよ……なんだか俺だけ熱海を意識しているようで言いづらい。
「お、おう。そりゃどうも」
というわけで、彼女の好意をそのまま受け取ることにした。
女子二人からの視線がどういうものになるのかが怖くて、俺は二人を見ないようにしながら熱海からもらったオレンジジュースを喉に流し込むのだった。
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