第24話 理解、そして決壊
ギプスをはめた右腕で小学校のアルバムを挟み、俺は熱海家の玄関扉の前に立った。
チャットで『話がある』と送ってみたけれど、見事な既読スルー。予想していたこととはいえ、少しショックだった。
念のため、母親に千秋さんが仕事か尋ねてみたのだけど、案の定スマホを見ることはなかったようで、既読がつかなかった。
というわけで、最終手段、チャイム連打である。最終手段が速すぎないかというツッコみはさておき。
トトトトトトトトトと自分の限界のスピードでボタンをタップすると、いままで聞いた事のないような驚くほどの感覚でチャイムが鳴り始める。これを無視するのはなかなか難しいだろう熱海……さぁ、出てくるんだ!
人差し指に限界を感じ始めて、そろそろ中指に変更しようかと考えていたところで、
「……優介くん、なにしてるの?」
千秋さんが出てきてしまった。
もちろんこの可能性を考えていないわけではなかった。だけどさ、一週間のほとんど仕事なんだし、確率的には熱海だけがいる可能性のほうが高いわけじゃないですか?
「連打してすみませんでした! 熱海はいますか?」
「私は熱海よ、なんの用かしら?」
こ、この人はこの状況で……! 俺と熱海がケンカしていることぐらいわかっていそうなんだけどなぁ!
「……うぐっ、千秋さんではなくて――み、道夏さんはいますか?」
「あぁ道夏ね。はいはい、呼んでくるわ」
うふふと楽し気に笑った千秋さんは、足取り軽く廊下を歩いていく。
そして、千秋さんと対照的に足取りの重い熱海が、上着だけ脱いだ状態の制服姿で玄関へとやってきた。
彼女は目を細めて俺を睨んだのち、「なに?」とぼそぼそした声で言った。チラッと俺の脇に挟んだアルバムを見たが、すぐに興味なさげに壁に目を向けた。
「話がしたい」
「あたしはあんたなんかと話したくない」
お、おう……取りつく島もないな。話をしてくれるシミュレーションしかしていなかったから、どう動けばいいのかわからないんだが。助けて蓮。
「じゃあ五分だけとか」
「嫌」
「聞いてくれたら、もう話しかけないからさ」
もし俺の過去を聞いて幻滅されるようならば、今俺の言った通りそれっきり。
許してくれるのならば、この言葉を取り消すこともきっと許してくれると思う。
熱海は俺を睨むようにジッと見て、諦めたようにため息を吐いた。
「じゃあ五分だけ。それともう一つ条件、陽菜乃に言いなさい」
うーわ、そう来たかぁ……これまた、予想していなかった展開だ。
また傷を負う覚悟をして、熱海と話す機会を得るべきか。それとも自分を守り、熱海を諦めるべきか。
「……わかった。言うよ」
そう返事をすると、彼女はほんの少し目を見開いた。
「あんたのこと、ますますわかんなくなったわ」
「わかってもらうために、話に来たんだよ」
そう言うと、彼女は「待ってて」とぶっきらぼうに返事してから、部屋の奥へ。そしてすぐに玄関に戻ってきた。
「今日優美さんは仕事?」
「仕事に行ってる」
「じゃああんたの家で話しましょう。お姉ちゃんには、隣に行ってくるってて伝えたから」
熱海はそう言って、玄関にあったサンダルを履き始める。
さて、五分かぁ……適当な数字を言ってしまったが、どこからどこまで話せばいいものやら。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「七時五十七分までね」
「細けぇなぁ……」
「帰っていいかしら?」
「待て待て、話すから」
ソファーに座った熱海は、ふんと鼻を鳴らしてから俺とは真逆の方向を向く。
テーブルを挟んで正面に座るつもりだったのだけど、こちらは床、あちらはソファーなので、彼女がスカートであることを考えると少々マズい。というわけで、隣に座っている。
小学校のアルバムは、ひとまずテーブルの上に置いた。
「じゃあまず、俺の父親のことからだな」
そうやって切り出すと、彼女はそっぽを向いていた状態から視線を正面に戻して、ソファに背を預けた。
「父親がいないって話は前にちらっとしたけど、俺が五才の頃に亡くなったんだ」
「……その話、必要なの? 同情を買おうとしてるんじゃないでしょうね」
「必要。同情は買うかもしれないけど」
「わかった」
熱海が返事をしたので、俺は再度話し始める。
「その死因なんだけどさ、溺れていた俺を助けて、父さんは亡くなったんだ」
本当に、なんどあの頃の自分を恨んだことか。
熱海は、何も言わずにじっと俺の話を聞いてくれている。
「それからさ、自分が『助けた価値のある人間』にならなくちゃいけないと思って、人命救助とか、あとは水泳とか、まぁ色々勉強したんだ。俺が誰かを助けたら、父さんも間接的にその人を助けたってことになるから――そう思ってな」
そこまで言ってから、俺はソファーから立ち上がり、自室に行って押し入れにしまっていた荷物を片手で持てるだけ持ってきた。熱海は、険しい表情のまま、俺が積み上げた本を見ている。
いたるところに付箋が挟まれ、ぼろぼろになっている、教本たち。ライフセーバーの物だったり、防災関連の物だったり、人工呼吸のものだったり。
「……なに? あんた、自分が立派な人間だってプレゼンしたいわけ?」
熱海は相変わらず険しい顔つきのまま、俺を睨む。
「いやいや、こっからが本題なんだが……幻滅するなよ?」
そう言いながら、俺は小学校のアルバムに手を伸ばした。
「もうしているから気にしないで」
ページを開いていると、彼女はそんな風にぶっきらぼうな言葉を返す。
たしかに、これ以上嫌われようがないぐらい嫌われているかもしれないなぁ。
そう思えば、意外と気が楽かもしれない。
該当するページを開き、熱海に見える位置にアルバムを持ってくる。
「……これが小学校のころの――チビで、デブで、いじめられていた俺だよ」
「はぁ? あんたがそんな――え?」
指でしめした、ふっくらとしている俺の写真を見た熱海は、戸惑いの声を漏らした。
そして彼女は俺の手からアルバムを勢いよく奪い取り、食い入るように写真を見つめ、そして限界まで瞼を見開いて、俺を見上げる。
「う、うそ、あんた――有馬が、この人――な、なんで!?」
「なんでと言われても……そこそこ運動はしていたから体質だと思うけど、小学校はこんな体型だったんだよ。というか、五分過ぎちゃったんだけど、もう少し聞いてくれないか? 説明しきれなかったから」
そう言うと、彼女は先ほどまでの雰囲気とは打って変わって、目をキラキラとさせてから勢いよく頷いた。
なぜすごく意欲的になっているのかはわからないけど、聞いてくれるならありがたい。
「こんな見た目だったからさ、汗臭いとか、暑苦しいとか、簡単に言うと仲間外れにされたわけだよ」
「……最低ね、その人たち。体型なんて、ただの個性じゃない」
俺もひどいなと思っていた。小学生という免罪符があるのかもしれないけど、俺の心にはしっかりとダメージが入っていたからな。
「それでさ、この小学校のアルバムを見てわかる通り、俺は小学校のころ△△県にいたんだ。じいちゃんとばあちゃんの家が近くにあったからな。母さんの職場も、近くだったし」
そう口にすると、熱海は「△△県……」と、噛みしめるように呟いていた。
「そこで十歳の頃、いまから七年前ぐらいかな。夏休みの時に溺れていた女の子を助けたんだ。女の子の意識はあったし、父親っぽい人もすぐに駆けつけてくれたから、俺がしたことなんて泳いで陸まで連れていっただけなんだけど」
「『だけ』なんかじゃないでしょ! すごく、すごいことじゃないっ!」
やや語彙力が乏しくなった熱海が叫ぶ。俺と目が合うと、なぜか顔を赤くして目を逸らされてしまった。嫌いなやつを褒めてしまったという恥ずかしさとかだろうか?
まぁそれはいいとして、ここからが話しの肝なんだよなぁ。
「間違ったことをしたつもりはなかった。だけどさ、やっぱり……容姿は大事だったんだ。俺が助けた女の子は、俺を見てボロボロ泣き出しちゃって、父親の胸に飛び込んでいたよ。周りにいた他の小学生からは『デブが抱きついた』とか『ブタが女の子を襲ってる』なんて言ってからかってきていたし」
蓮や由布は、その子は『怖かっただけ』とか『恥ずかしかっただけ』なんて色々な可能性を提示してくれたし、その可能性もあると思った。
だけどやっぱり周りの子の声もあったし、俺の容姿を見て泣いた可能性だって、否定はできないんだ。
俺の言葉に、熱海はキョトンとした表情を浮かべたあと、一目見てわかるほど顔を青くしていった。俺が黒川さんを助けたと言いたがらない理由を理解してくれたのだと思うが、説得力を増させるために、自分の膝に視線を落としてからさらに言葉を続ける。
「その時になって、『人助けをしても、嫌がられることはあるんだ』って知ったよ。もしかしたらその子も、あとになって感謝してくれたかもしれないけどさ。やっぱり目の前で助けた女の子に泣かれるってのは、堪えるんだよ」
そこまで言って顔を上げると、熱海は泣いていた。ボロボロと涙を流しながら、俺の目を見ていた。
この涙は……俺に感情移入しているのだろうか? これはこれで反応に困るのだけど。
「父さんのこともあったからさ、元々は『ライフセーバーになろう』って思ってたんだよ。だけど、なんだか辛くなってきてしまって――最近はあまり、この教本も開かなくなったな。これも押入れから引っ張り出してきたんだ」
ぽんぽんと教本を叩きながら言う。
すると、
「――んぁ、ど、どうした熱海!? ちょ、な、なに!?」
ふいに熱海がフラフラと俺の胸に倒れ込んできて、そしてぎゅっと俺の服を掴んだ。
まるで大海原でもがき藁を掴むように――身体が崩れ落ちてしまうのを、必死に堪えるように。
「――ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ! ――う、うぅっ、有馬は、有馬は何も悪くない! 全部、全部あた――その女が悪い! 有馬の人生を捻じ曲げた、その女が悪い――あたしはその女がっ、うっ、心の底から、憎いっ!!」
熱海は声をしゃくりあげながら、涙声でそんなことを俺の胸に向かって叫んだのだった。
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