第9話 運命の人センサー搭載



「私も熱海さん――千秋さんに妹がいるなんて知らなかったのよ。仕事の話ぐらいしかしたことなかったし。あぁでも、隣に引っ越してきたことは知っていたわよ? だからあの時『途中まで一緒に帰る』って道夏ちゃんが言っていたから混乱しちゃったんだけど……二人とも家が隣だって気付いていなかったのね」


 朝食を食べてから、母親と昨日の出来事について話した。

 ゴキブリを退治したことも、洗濯物を畳んでくれたことも、洗い物をしてくれたことも包み隠さずに。変に隠蔽して後でバレたりしたら、うしろめたいことがありそうだと思われそうだし。

 泥パックに関しては、熱海の名誉のために黙っておいたが。


 食事を終え、悪戦苦闘しながら制服を着ていると、スマホが震えた。通知の欄には、チャットアプリのアイコンと『熱海道夏』の文字。


「なんだろ」


 今は姉がいるだろうからさすがにゴキブリ退治ではないと思うが。

 そう思いつつ、アプリを開くと、


『あたし、思いついたわ』


 なんのこっちゃと思いながら、とりあえず『おはよう』と返す。


『おはよう有馬、それでね、あたし思いついたの』

『ほほう』

『陽菜乃にあんたが真実を伝える方法を』


 余計なことを思いつきやがったなコイツ……朝から俺の悩みの種を増やさないでくれ。どや顔のスタンプを三つも送らなくていいから。一つでも十分だから。


『有馬、あんた今日何時に家をでるの?』

『七時十五分ぐらいだけど』

『じゃあその時間に迎えに行くわ。学校に行きながら説明してあげる』

『結構です』

『昨日私からぐいぐい来るのは我慢するって言ったじゃない』

『我慢するとは言った。だが、拒否しないとは言っていない』

『じゃあそういうことで、七時十五分にインターホン鳴らすから』

『おい! 会話を放棄するんじゃない!』


 俺のメッセージに対する返信は、化粧をする猫のスタンプだった。そういえば熱海、いつもうっすらと化粧しているよな。

 うちの学校では過度じゃない限り化粧の禁止はされていないけど……これも運命の人とやらにどこかで会えると信じてるからなのかねぇ。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 チャットで『出る』という二文字の通知を確認して、俺も家を出た。

 廊下で熱海と合流し、マンションのエントランスを出るまでの間は昨日から今にいたるまでの家族からの追及に関しての話。


 もしかしたら『勝手に男を部屋に入れるな』と千秋さんが怒るかもしれない――と危惧していたけれど、むしろどんどん呼んでいいと言っていたようだ。

 高校生の女の子が夜に一人だと、家族としては心配だからという理由らしい。上司の息子だからなのか、俺は千秋さんに安全な男認定されているようだ。


 閑話休題。

 マンションを出て、最初の信号で立ち止まったとき、熱海が切り出してきた。


「じゃあ、そろそろ本題に入りましょうか」


「入らなくてもいいと思います」


「ダメよ」


 却下されてしまった。

 まぁいい。何か妙案があるというのなら聞いておこう。

 全てが平穏に収まるという案があるのなら、断る必要は特にないのだし。


「有馬は昨日、あたしが階段の下で『知らない人より知っている人が嬉しいと思う』って言った時、その部分には反論しなかったでしょ? つまり、そこは認めてるということでいいのよね? 仲が良ければ、問題ないのよね?」


「まぁ、仲が良いの程度にもよると思うけど」


 相手の容姿とかが気にならなくなるぐらい、親密な関係とか。あとは異性として見ることができなくても、ボディタッチに嫌悪感を覚えない関係とか。


「つまり、有馬が陽菜乃と仲良くなればいいのよ! 陽菜乃と接触したことが気がかりだっていうなら、ちょっと身体を触るぐらいなんとも思われないぐらいに仲良くなれば!」


 俺の胸に人差し指を突き付けて、熱海が言う。

 だからお前はボディタッチが気安いんだって。男子はかなりドキドキするんだぞ。

 俺は気恥ずかしさから一歩後ろに下がってから「そうは言ってもな」と言葉を返す。


「その判定、めちゃくちゃ難しくないか? 仮に俺が黒川さんの手とかを触ったとして、そのまま黒川さんが手洗いに直行して石鹸で手を洗い流し、アルコール消毒とかされたら俺は泣くぞ」


 少しだけ仲良くなっているからこそ、心に深刻なダメージを負ってしまいそうだ。もちろん、彼女はそんなことをしないとは思うし、もしやるとしても影でひっそりとやってくれそうだけど。


「あんた考え方が卑屈すぎない?」


 経験談なんだから仕方ないだろ――という暗い発言は喉元で押しとどめる。

 熱海には「自覚してるよ」とふてくされた態度で返事をした。


「まぁいいわ。それなら、陽菜乃から触ってきたらいいでしょ? 嫌がってないってことなんだから」


「……お前が黒川さんに指示したりしなければな」


 やたらとしつこい熱海のことだ。

 黒川さんに『ちょっと有馬と握手してみて』とか提案しそうだし。もしそんなことを言ってしまえば、優しい黒川さんは嫌な想いをしながらもその任務を遂行してしまいそうだ。


「言ったわね? ボディタッチをされたら、言うのね?」


「わかったよ……だが、もし黒川さんに無理やりさせるようなことをしたら、一生言わないからな」


「いちおう録音しておいていいかしら?」


「わざわざ証拠を残さなくても、その時はちゃんと言うって」


 俺がそう答えると、熱海は嬉しそうに「よしっ!」とガッツポーズをする。なぜそこまで喜べるのか俺にはさっぱりわかんねぇよ。


「やっぱり熱海の『運命の人』とやらが関係してんのか?」


 黒川さんの口からも聞いたし、昨晩熱海の口からも聞いたから、特に隠しているわけではないのだろう。教えたくないなら別にそれでもかまわないし――そう思って聞いてみた。

 俺の質問に対し、彼女はこちらを勢いよく見上げる。そして、見たことのないデレデレとした表情で「まぁね」と答えた。


「そう、私の命の恩人、王子様! 名前も語らず、さっそうと立ち去ってしまった運命の人! 今あたしがこうして生きているのは、あの御方のおかげなの! たぶん同年代だと思うし、あれから七年も経っちゃったけど、きっと出会ったらビビッと『運命の人センサー』みたいな感じで分かると思うのよね! 顔は覚えていないけど、あたしの潜在意識が、第六感が、本能がきっと気付いてくれるはず! いつか絶対、どこかで会えると信じてるわ! もし会えなければ、一生独身でも構わないぐらい大好き!」


 お、おう……急に早口だなコイツ。

 やっぱり、こいつは助けてもらった誰かにお礼を言えなかったことがあるんだな。そして、助けてもらった人を『運命の人』呼ばわりしていると。


「それでよく相手のことを好きになれるなお前……顔も性格もわからない相手なんだろ?」


 俺には――というか、一般的には理解できない感覚なんじゃないだろうか。

 普通恋人って、自分との相性とか、性格とか、容姿とか、そのあたりを総合的に判断するもんじゃないの? だというのに相手のことをほとんど知らない状態で――うん、やっぱりわからん。


「『人助けをするような正義感のある人』ってことがわかれば十分よ。顔なんて、おじいちゃんおばあちゃんになったら関係ないし」


 結婚前提らしい。先を見据えすぎじゃないかコイツ。

 熱海は恋に恋するお年頃ってやつなのかねぇ……たぶん、彼女の頭の中にいる運命の人とやらは、記憶がおぼろげであるがゆえに、大層なイケメンで、めちゃくちゃ性格の良い奴として存在しているのだろう。


 現実は、俺みたいなやつが人助けをすることだってあるというのに。

 他にも『幻滅するような性格になっている可能性』だとか『生理的に無理なレベルの容姿である可能性』だとか色々思いついたけど、あまりしつこく言うのも野暮なので黙っておいた。


「相手が熱海のこと好きじゃない可能性も大いにあり得ると思うけど?」


「別に片思いでもいいわよ。仮に相手がいたとしても、諦めたくはないけど」


 その可能性は当然視野に入れているらしい。少しマトモな部分もあって安心した。


「もし運命の人とやらを見つけても『既成事実だー!』なんて言って襲い掛かるんじゃないぞ? クラスメイトの隣人が犯罪者とか笑えないからな」


「なるほど……それもありね」


「おい」


 俺がジト目でツッコむと、熱海は楽し気に「冗談よ」と笑った。好きな人について語ることが出来たからか、普段より上機嫌に見える。


「いったいどこで何をしてるのかしら、あたしの王子様」


「うちの学校にいたりしてな」


 もしそうだとしたら、熱海の『運命の人センサー』とやらは何も役にたっていないことになるが。


「だとしたらそれこそ運命よ。だって、あたしがその人に助けられたのは県外でのことだもの」


 なるほどねぇ。

 もしその王子様とやらが県外からこの高校に入学しているのであれば、それは熱海の言う通り『運命』なのかもしれないな。


 俺も昔助けたあの子と出会うことになったら、運命なんて不確かな言葉を信じることになるのだろうか。

 まぁ俺のも熱海と同じく県外での出来事だし、そんな偶然はないと思うけど。




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