第2話「涙の理由」


 ……二人は石塔の図書館から医務室のある学舎に向かう。


 三階の図書館出入り口を閉め、石塔に隣接するよう設置された金属製の螺旋階段を降り始めた。彼女は外側を、エルナは内側に寄って一歩先を進んでいたが不意に足を止め、振り向いて彼女に名を尋ねる。


「貴方、名前は?」

「ヴィ……いえ、リアと呼ばれてます」


「そう。リアね」


 事務的というか、エルナの応答は素っ気なかった。そうして階段を降りようと──


「あの……」

「何?」


「貴方の名前は──」

「エルナよ。エルナ=マクダイン」


「エルナ……」

「知らないなら知らないままでいいわ。わたしにはよくない噂もあるしね」


「よくない噂……?」


 階段を降りるリアの足は止まっている。

 二段ほど降りたところでエルナも気付き、嘆息をついて後ろを振り返った。


「そう、噂よ。おおむね事実だけど」

「あの……」


「どういう噂か気になる? 大したことない話よ?」


 彼女からの明快な返答はなかったが、言い出しにくそうな曖昧な表情からエルナはなんとなく察した。


「勘違いした男子学生おとこを殴っただけ。ただの暴力沙汰よ」

「暴……」


「意外? そうでもないでしょう? こういう性格だもの、有り得る話でしょ」


 そう言うとエルナは階段を降り始めるが、リアの足は動かなかった。

 後ろをついてこない足音と螺旋階段の構造上、彼女がそこで立ち尽くしているのを目にしたエルナは仕方なく足を止め、見上げながら呼びかける。


「何、どうかした?」


 ……リアはエルナに話しかけられると階段の手すりをさするようにしながら一段、また一段と階段をとぼとぼと降りて、お互いの顔が少し見えたところで足を止めた。


「エルナさんは強いんですね……」

「強い? 私が? きっと生意気なだけよ」


 そう言って、エルナは自嘲する。リアも愛想よくしようと笑いかけて、ぎこちない表情を見せた。それを見たエルナはもう一度嘆息をつくと螺旋階段を巻き戻るように上り、彼女の二段下まで来た。


「──貴方の話を聞かせてもらえる? 体を痛めている訳ではないのよね?」


 下から覗き込むような感じになって、エルナがリアに尋ねる。


「はい、体とかは特に……あの、私の家族の話ですけど、ご存知ありませんか?」


「いいえ、ご存じないわね……貴方のご家族の話は。第一、貴方とも初対面だしね。知っていると思ったの?」


「あ……そうですよね……」

「冗談よ、ごめんなさい。……有名なの?」


 わざわざこうして話を振るからには彼女の家柄はよほど名家なのだろうとエルナは推察したが、残念ながら彼女は留学生である。この国でどれだけ有名でも例え仔細しさいに紹介されても、家名すら知らないのではないか? エルナは内心でそう思っていた。


「有名というか、有名に……あの、本当に噂とか知りませんか? 最近の……」

「噂?」


「昨日とか今日とか、噂で……」

「ごめんなさい。興味ないのよ、そういうの。陰口とかと同じでね」


 ……本来なら冒険者や魔術師であれば噂を積極的に集めるのも仕事の内であるが、彼女は魔術師である以前に貴族として育てられてきた。高潔を美徳としている者が、下世話な風聞に惑わされるなど以っての外だろう。環境による意識の違いが性格とも合わさって、ここにはっきりと出ていた。


「だけど、関係はあるのよね? 貴方の涙の理由と」

「それは──」


「聞きましょうか。……貴方が話してくれるなら、聞きましょう。私と貴方はただの行きずりだもの、遠慮することはないわ。別に明日にはお互いに素知らぬ顔でも全然構わないじゃない?」


 ……誰かに話して気が楽になることもあるものだ。

 それにエルナも目の前の彼女ほど思い詰めている訳ではないが、現状に段々と気が滅入めいってきているのは事実だ。些細ささいでも誰かに頼られることで自信を回復したかったのかもしれない。


 この時、リアは当たり障りなく答えることも出来た──


「先日のことです。私の屋敷に何者かが押し入って、父と母が犠牲になったんです」


 普段の彼女なら、間違いなくそうしただろう。だが、敢えてエルナの善意に対して正面からぶつかっていったのはひとえに魔が差してしまったというか……自分たちだけが何故、理不尽なる悲痛に胸をかれ、苦しまなければならないのか。


 意地悪ではないが、腹立はらだまぎれに八つ当たりしようという気がまったく無かったといえば、それも嘘になる。


「えっ……?」

 

 エルナは、彼女にしては珍しく間の抜けた声をあげて絶句した。

 リアも自分でも少し驚いていた。何ら躊躇ためらわず、端的に淡々と説明出来たことに。


「本当にご存知なかったんですね……」

「そうね……知らなかったわ。ごめんなさい」


 知らなかったとしても別に謝ることではないのだが、エルナは思わず謝罪の言葉を口にしていた。


(魔法の国といえど、助からないものは助からないのね……)


 自身も魔術師の端くれなので治療の魔法がどういうものかは知っているつもりだ。

 魔法による治療は病気などには効果は薄くとも突発的な怪我、外傷などには効果は高い。暴漢に襲われたとしても死にさえしなければ、大抵はどうにかなるのだが……死にさえしなければ……


 無論、この世界には最悪の事態に備えて〝蘇生〟リザレクションという最上級の奇跡が存在する。


 しかし、〝蘇生〟リザレクションの奇跡は一般の神官には非常に難しく極めて有能な神官や高名な大神官でもない限り、安定して成功しない。加えて〝蘇生〟リザレクションを確実に成功させるには厳しい時間制限もある。


 さらに人材と時間制限をなんとかしても今度はそれに見合った高額な寄進を神殿にしなければならないのだ。市井の人間では到底、頼りたくとも頼れない。


「その……」


 エルナはどのように声をかけようか、迷っていた──というより、かける言葉などなかった。思い浮かぶのはなぐさめにもならない月並みな台詞ばかりだ。


「……はは」


 一方、リアは小さく笑った。自らをあざけるつもりで。

 悔しい、情けないといった上っ面の言葉を並べ立てようもないほどいつもの自分に過ぎなかったから。


 僅かでも心の内を吐露とろすればせきを切ったようにとめどなく言葉があふれて止まらなくなるのでは、と思ったが現実は冷たく予想通りにはいかない。甘かった。


 ──可哀想な自分を周囲に訴えようとしても今、渦巻いているのは虚無と諦観だ。


 心は過剰なまでに敏感になることなく、泣き喚くような気力もなく。

 残ったのは普段通りの鈍感な自分のまま。


 ……暫しの沈黙の後、先に口を開いたのはエルナだった。


「貴方はこれから、どうするつもり?」


 リアは首を横に振って答える。


「分かりません……」


 彼女をおもんばかれば、まともに答えられるはずのない質問なのは自明の理だ。

 だが、そのくらい百も承知でエルナは敢えて尋ねている。


「両親以外のご家族は? 親類はいるの?」

「祖父母はいます。妹や、弟も……」


「そう。他のご家族は無事なのね?」


 しかし、その質問にリアはまた、首を横に振った。


「離れて暮らした祖父母はともかく……妹、弟は行方不明だと」

「行方不明?」


「さらわれた可能性が高い、と聞きました……」


「さらわれた……?」


 エルナの鸚鵡おうむがえしにリアは頷いた。彼女の妹や弟ということは年端もいかぬ少年や少女である。犯人は怨恨というよりもものり、人さらいということなのだろうか?


(強盗殺人……略取誘拐……)


 しかし、発作的というより周到な計画性に基づいての組織的犯行という気がする。

 単なる押し込み強盗なら一家は見逃すか皆殺しにされるだろうし、そもそも子供をさらう必要がない。さらう目的にしたって目当てが身代金ならば両親を殺す妥当性がないし、第一、金の引き出し先をくしては元も子もないだろう。


(勿論、犯人が想像以上の愚か者だったという可能性はあるけど……)


 そんなものは考えるだけ無駄だ。エルナは一蹴する。


「……誰が貴方の妹や弟をさらわれたと判定したのか、分かる?」

「なんで、そんなことを聞くんです……?」


「必要なことだからよ」


「あなたに話すことがですか……?」


「そうね。誤解されたくないから、これだけは言っておくわ。私は好奇心から尋ねているのではない。貴方の話を誰かに吹聴するつもりもない。……こう見えても家格かかくは気にしているのよ? 小さな国の貴族でもね」


 冗談交じりにエルナは告げた。だが、リアの逡巡にも理解は示す。行きずりだからといって話せることにも限度はあるだろう。


 ──だけど、「言いたくないなら別にいい」とは言わない。


 つい口を滑らせそうになるが、エルナは言葉を飲み込んだ。

 そんなずるい言い分はどちらにも逃げ道をつくるものだ。だからこそ、それだけは言ってはならなかった。責任とはそういうものだとエルナは思っている。


 ややあって──


「教えてくれたのは騎士の方々です。でも、それがなんだというんですか……?」

「別に、それ自体に何かある訳ではないけれど……」


 そうつぶやいて、エルナは考えを巡らす。


(彼女に話したのは現場検証をした人か、情報を共有した人たち──それに騎士か。この国では上級騎士といえど政治の中枢からは切り離されてしまっていると聞く……とはいえ、実務の面で騎士団を不安視する声はないし、士気モラルに心配はないか)


 魔道士が権力を有して存在を軽視されているといってもそれは他国に比べてという話だろう。現場では依然いぜん、国民から頼られる存在だ。


 しかし、魔道士との関係上、騎士団が立場的に厳しくあるのは事実。

 職務に手を抜くなどあってはならぬが、それ以上に──


「……騎士の方々は有能だけれど、良くも悪くも自国に縛られる人たちよ。国の為にならないことはしないし、非効率的なこともしない。衆人環視といえば国民だけど、でも、この国の騎士なら魔道士の目の方を恐れているかもしれない。厳格な線引きをして職務にあたるでしょうね。彼らは採算度外視で動けないし、はたらけないわ」


「それが……?」


「つまり、義憤ぎふんのみで動ける騎士はこの国にはいない──ということよ」


 エルナは断言した。




*****


<続く>




・「蘇生の奇跡について」

「(実は本編と外伝のようなでは、蘇生の条件が少し違っています。後者は人が死にやすく育ちにくい環境を考慮し、神々の慈悲によって限定的に条件が緩和されているんですね。だから、設定を間違ったわけじゃないんです……)」

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