第9話「蟹 ーKaniー」☆

 ディディーは脇目も振らず、全速力で逃げていた!

 その後ろから急速に迫ってくる数匹の犬の影……!


 ──"泥犬"マッドドッグと呼称される下級の魔物モンスターである。


 その名の通り、模倣コピー元となった生物は当然、犬だ。やる気になった時の足の速さは人間など軽く凌ぐ。ディディーも身軽な方だが、根本的に相手が悪い。


 全速力で逃げるも見る見るうちに距離は縮んで背後に迫り、泥犬マッドドッグがディディーの太腿を噛み付こうと口を開けた瞬間──!


「ギャゥ──!」


 泥犬が短い悲鳴をあげて、もんどりうって倒れる! ジュリアスの掌から放たれた魔法の飛礫つぶてはまるで容赦なかった、魔物モンスターの顔面を潰すつもりで放たれていた。


 事実、魔法を食らった泥犬マッドドッグは倒れた後、微動だにせず土くれに戻っている。


 ディディーはその間も足を止めず必死に走り続け、ジュリアス達もまた彼と合流を果たそうと動きだしていた。


 二匹、三匹とその背に迫る魔物どもはジュリアスが魔術で速攻排除する。


「うおっ! ……っと、ゴメン!」

「いや、大丈夫……!」


 あまりに必死だった為、減速し損なって危うくぶつかりそうになる二人だったが、その直前にゴートが手を伸ばし、受け流すようにしてディディーと体を入れ替えて、なんとか衝突は回避する。


(これが全部って訳じゃないだろうが、それでも本戦前に数を減らせるなら僥倖ぎょうこうだ)


 ……繰り返すが、この世界の人類は魔物モンスターに対して慈悲の心を全く持たない。

 魔物モンスターの撲滅は人類の使命であり、傍目には残忍、冷酷な行為でも魔物が相手なら人類は何も疑問に思わない。そのように創られている。


 ──風がうなる!


 ジュリアスは不可視の飛礫つぶてを乱射して尚も迫り来る魔物を足止めし、或いは倒し、それでもくぐってきた魔物モンスターはゴートとディディーの二人で迎撃する!


 敵の数は多くない。強さも連携が取れれば、そこまででもない。

 ──ゴートは襲い掛かる一匹を長剣で打ち払い、ディディーは噛み付きにきた魔物の顎下を咄嗟とっさに蹴り上げる!


 両腰の舶刀カトラスを抜く暇さえあれば、この程度の魔物、なんとでもなる。


 ……ディディーは落ち着いていた。

 突進してくる魔物モンスターと正面で向かい合い、激突寸前に半身になってかわす──いや、躱しながら舶刀カトラスで斬り開く!


 彼の横を通り過ぎた魔物は勢いのまま転倒し、そのまま動かなくなった。

 魔物の顎から上を斬り飛ばしたのだ!


 そうして──


「……よくやったな! ご苦労さん!」


 ジュリアスが二人に労いの言葉をかける。結局、抜けて迫ってきたのは三匹。

 うち二匹をゴートが、一匹をディディーが仕留めた。他にも数匹いたが、それらは近付く前にジュリアスが魔法で撃ち倒している。


「さ、いよいよボスとのご対面だな。鬼が出るか、蛇が出るか……」




*




 ……道の端が見えている。

 手前は断崖のように削れ──奥側を見るに、すり鉢状に穴が開いている。


 縦も横も高さも、人間十人くらいを単純に並べたような幅だろうか。

 そういう広さ、深さの大穴である。


 そして、その底から野焼きの如き白煙がもくもくとのぼり、それは風に流されず一直線に天に昇って消えていた。


 


「──魔孔の周囲には、屍鬼リビングデッドが二十体くらい。その間近には泥犬マッドドッグも数匹。前衛で警戒役だった泥犬マッドドッグはさっき全滅させたから近付いて戦闘に入るまで不意打ちとかもないだろう」


「ここが最後の休息って事ですね」

「……そうだ。お前の回復待ちだよ」


 冗談めかして、ジュリアスが言う。

 ディディーはその言葉に何度か頷きながら自分の水袋を最後の一滴まで飲み干し、また腰の革帯ベルトに戻した。


 ゴートは剣を抜いて泥というか土を、持参した手拭てぬぐいで拭い落している。

 そしてエルナは、一歩離れたところから彼らの様子を見守っていた。


「……じゃあ、行きますか?」


 ディディーがジュリアスにたずね、全員と顔を見合わせた。


 後ろのゴートが、遅れてエルナが前に進み出す。

 ディディーが前を向き、横に並んでいたジュリアスもそれにならって歩き始めた。


「あちらが動き出したら戦闘開始だ……ただし、魔孔には絶対に近付くな。おそらく、戦ってるうちに底からボスが這い上がってくるだろうし、転がり落ちてもつまらん」


「何が出てくるかなぁ……」

「どうせ、ろくなもんじゃねぇさ。楽に倒せるやつが出てくるのを祈ろう」


 四人がある程度まで近寄ると、それまで魔孔の周囲のあちこちで棒立ちしていた屍鬼リビングデッド達が示し合わせたように一斉に、敵対者の方へ向く。

 黒い伽藍洞がらんどうの瞳が四人を捉えた、各々が気合を入れて動き始める──戦闘開始だ!


「さぁて、あとひと踏ん張りだ!」


 ディディーは両腕を交差させるように腰の舶刀カトラスに手をかけ、抜き放つ!

 ゴートも無言で手にした長剣を握り直す。


 ジュリアスの視線は近付こうとする動きを見せる泥犬マッドドッグに向けられていた。前衛を張る戦士に余計な手間をかけさせる訳にはいかない。エルナは──


(前衛の二人は鈍重な屍鬼リビングデッドの対処、泥犬マッドドッグは彼が相手をしようとしている。それなら私が手助けするまでもないだろう。となれば……)


 前衛に二人、中衛に一人。彼女の立ち位置はそのさらに後ろである。

 雑魚には目もくれず、意識を魔孔の方に向けていた。彼の予想通りなら、じきに姿をあらわはずだ……いち早く捕捉して、可能ならば先制攻撃を仕掛ける。


 手持ちの魔法で弱点を突ければ、最良──


(来る……!)


 土が波しぶきのように穴の外へ散ってきた!

 ボスは斜面に何かを叩きつけながら、這い上がってきているのだ!


 ──振りかぶった腕がちらりと見え、再び叩きつけられて先程よりも多くの土砂が道や土手などに降り注ぐ!


 魔物モンスター──そのシルエットは怪物だ、正体は……!


「「かに……!?」」


 そう、巨大な蟹だった。腕──いや、左右非対称の蟹の鋏が斜面を乗り越え、道のきわかる。這い上がってくる。かなりの巨体だ。


 つぶらな瞳は形だけで黒く伽藍洞、見つめ合うと生理的な嫌悪感をもよおしてくる。

 甲羅はくろ褐色かっしょくで、脚は朱色しゅいろ

 馬の脚を甲殻で包み隠したような。それが八本。


 川に生息する沢蟹さわがにをおよそ百倍以上に巨大化したような──

 それが、この魔孔のボスだった。ジュリアスが姿を見て叫ぶ、


「……こいつは"砂漠のディザード・大蟹クラブ"か!?」


 ──この大陸の南方、<希望のフロンティア大陸プレート>にむ怪物でオアシスなどにひそむという。


 長生きした個体はまさに今、これくらいの大きさまで成長すると言われているが、それはあくまで伝説に過ぎず実際の目撃例は半分以下の体格サイズがほとんど。南の大陸は生存競争が激しく、十数年も生き残る事が不可能に近いからである。


(あの脚の色からして西の大陸の森林奥地、川辺に棲むであろう"森林のフォレスト・巨蟹クラブ"の方が近い気がする……)


 ……この大陸から見て西方にある<神秘のミスティック大陸プレート>は面積の約六割を森林が占める、現在も未知の大陸である。


 その奥地には巨大な怪物や強大な魔獣が棲息せいそくしている、と言われている。

 噂や憶測の域を出ない話も多いが、その中でも"森林のフォレスト・巨蟹クラブ"は複数の報告例がある怪物だった。大きさもこれほどではないが、近い体格サイズだ。


(相手は蟹……水棲動物すいせいどうぶつ。堅い甲羅に斬撃は不利でも、電撃なら通るはず……!)


「其は想念と意志の力、奇跡を顕現する根源──」

「……おっと」(仕掛ける気か?)


 魔力を感知し、そちらを見遣みやると彼女は既に呪文を唱え始めていた。


 ジュリアスはひとつ短く息を吐くと、少し本気を出して残った泥犬マッドドッグ三匹を瞬く間に仕留める! 最低限、自分のやるべき事をやり終えるとそれとなく彼女の方へ移動を開始する……!


(仲間あいつらには悪いが、優先順位は彼女が上だからな……気張れよ……!)


 巨蟹ボスがゆっくりと、前歩きで這い上がろうとしている。

 既に前脚は道にかかり、上り切る寸前だ。


「耳をつんざ産声うぶごえ 戦慄のいなずま 空を引き裂き、けては消える──」

「……電撃か!」


電光撃ライトニング!」


 ──選択としては悪くない。堅い甲殻も電撃には無力だ。

 まともに浴びれば体内も傷つき、全身は痺れて感覚を失う。しかし──


(嘘!?)「はや……!」


 エルナの電撃魔法は確かに効果はあった。


 それだけに巨蟹ボスは彼女を最優先に排除すべき脅威と本能的に察し、その巨体からはにわかに信じられぬほどの速さ、で一気に詰め寄ると、一回り大きい右の鋏で彼女を──


 ──殴り飛ばせなかった!? 砕けたはさみ欠片かけらが道に飛び散っていく、


「まるで見掛け倒しだな。身がスカスカだから、簡単に割れちまうのさ……!」


 間一髪のところで割って入ったジュリアスが、巨蟹ボスを前にして不敵に笑っていた。




*****


<続く>


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