知らんことにしといて
おくとりょう
「へー、そうなん?」
電話をしていると、外から虫の音が聴こえた。惚気話に相づちを打ちながら、カーテンをめくって窓をのぞく。月がとても綺麗に見えた。
『惚気話ちゃう、片想いやもん』
寂しそうに言うけれど、彼女の話に僕の耳は毎晩甘々になる。
『まぁ、あだ名がハニーやしな』
ふわふわした天パの下の涼しげな顔だち。ギョロギョロとこちらを窺う大きな瞳。口を開けば歯に
だけど、いや。だからこそ、あえてちょっと可愛い名前だと面白いなって。マキさんと僕は『ハニー』と呼んでた。
『――そしたら、ハニーったらな、"キミの方こそ頭冷やした方がええんちゃう?"って。水を――』
「ぶっかけたん?」
『いや、コップについであげてた』
ぶっかけてやればよかったのに。彼は口は悪いのに、根が優しい。僕ならムカつくヤツには水をぶっかけている。
そもそもあのキツい毒舌だって、あとでひっそり反省しているのを僕は知ってる。一緒に帰ったあの夜。街灯に照らさせる伏し目がちな二重まぶたが何だかとても寂しげだったから。
きっと本当はすごく気遣い屋さんなのだと思う。だって、彼はいつも周りをよく見てる。誰かが髪を切ったとき、最初に言うのはいつも彼だ。恋人ができたことにもすぐ気がつく。"羽野くんに会うときは気が抜けない"と言っていたのは誰だったか。
そういえば、彼がすれ違いざまに「鼻毛でてるよ、ハチくん」と言ってくるから、僕は毎朝鼻毛チェックをするようになったのだった。何度押し込んでも飛び出てくるから、鼻毛カッターを最近買った。
……なんて、僕の鼻毛はさておいて。
多少毒舌とはいえ、彼は気のきく優しい男。彼女ができるかどうかは、もはや時間の問題に思えた。
だから、僕は返す言葉を迷ってしまった。
『ハニーに告白するわ』
絞り出すような彼女の声。彼の話で、ひとしきり盛り上がったあとだった。
『私は彼が好きそうな可愛い女の子じゃないけれど』
マキさんは女の子にしては身体が大きくて、何となくクマさんみたいな人だった。まさに苗字に『熊』とつく通り。
本人はそれを気にしているけれど、全部ひっくるめてこそマキさんで、だから僕は彼女が好きなんだと思う。だから、安心させたくて言葉を探した。けれど、言うべき言葉は見つからず、余計なことを思い出して、頭の中がぐちゃぐちゃした。結局何もまとまらなくて、「大丈夫だよ」と明るく言うのが精一杯だった。それすら余計な言葉だったかもしれない。
「熊谷さんみたいなムチムチした身体の女とやってみたい」
彼女との電話を切ったあと。以前、ハニーが言ったことを口にしてみた。二人がうまく行く祈りのつもりで。彼女には言えない男同士の戯れ言。意味なんて別にどうでもよかった。
いつの間にか、外は静かになっていた。少し雨が降ってるらしい。窓を開けると、湿った匂いがムッと流れ込み、のどをぐっとつかんだ気がした。
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