学校のホラー短編

欠伸

透明人間

 …………。

 ……。


 ……え? ……あぁ、そうか。

 もう僕の番だったっけ?

 ごめんごめん、忘れてたよ。


 ……うーん。

 そうだなぁ……。


 え? ……いや、違うんだ。

 用意はしてきたんだ。

 大体、今日の〈怪談を語らう会〉を主催したのは、他でも無い僕だよ。

 だから、怖い話自体は、いくつか用意してきたんだ。


 ……うーん、でもね。

 用意してきた話とは別に、どうしても皆に聞いてもらいたい話があるんだ。


 ……いや、拍手は止めてくれ。

 そんな大した話じゃないんだ。

 むしろ、先に謝っておきたいくらいだ。

 今からする話は、怪談ですらない。

 当事者である僕でさえ、まったく怖くなかった話なんだ。


 ……じゃあ、始めるよ。


 ……。


 これは、僕が高校生だった頃の話だ。

 僕は当時バスケ部に入っていた。


 バスケ部では、曜日ごとに活動前の準備をする当番が決められていた。

 その日は当番だったんだけど、たまたま教室の掃除当番と被っちゃったから、僕は少し遅れて体育倉庫へ向かった。


 走って行こうかとも思ったけど、当時は七月中旬で、湿気と暑さで気怠くなっていたからか、とぼとぼと歩いて向かうことにした。


 途中、老朽した自転車置き場の屋根が、ミシミシと鳴っていたのが、少し鬱陶しかったのを覚えている。

 それだけでなく、校庭でサッカー部が楽しそうに騒いでいるのも、普段は慣れきっていて気にも留めない蝉の声も、遠くから聞こえた車のクラクション音も、全てが鬱陶しくて、邪魔くさく感じていた。

 人の気も知らないで、ってそんな気分だった。


 まぁ、そんなことを考えていても、歩いていればいつかは目的地に着いてしまうもので、僕はようやく、体育倉庫前まで来た。


 どうしてなんだろうね。

 ここへ来るまでといい、そして体育倉庫の扉を開けるときといい、何故か僕は、やけに気が進まなかった。


 部活前の準備と言っても、部活で使う道具を運ぶだけだ。

 まぁ確かに、暑い中それをやるのは面倒くさい。

 でも、誰かはやらなければいけないことで、皆平等にやっていることだ。

 当番には、先輩後輩関係なく、部員全員が組み込まれている。

 それをサボりたいなんて思うほど、僕は無責任ではないつもりだ。

 だけど、その日はどうしても、扉を開けたくなかった。

 このまま引き返して鞄を取りに行き、部活すらサボって帰ってしまいたかった。


 本当に、何でだろうね。

 未だに分からない。


 ……え? この先で恐ろしいことが起こるって予感がしたからじゃないのかって?

 まぁ、普通の怪談ならそうなんだろうけど……。


 最初に言ったでしょ、これは、当事者の僕ですら全く怖くなかったんだ。

 つまり、この先に怖いことなんて、全く待ち構えていなかったんだ。


 ……まぁ、悩みはしたものの、結局僕は扉を開けた。


 重い足を引きずって、重い扉を押し開けた。


 そんな小さな葛藤の先にあったのは、使い古された体育用具の数々と、先に来ていた先輩が一人、そして、二ヶ月前に入部してくれた後輩の、その死体だった。


 彼の胸にはナイフが深々と刺さっていた。

 そして、刺されたのは一度ではない。

 彼の胸には、いくつもの刺された傷が残っていた。

 少し離れた位置からであっても、彼がもう助からないことは見て取れた。


 ……しかし、それだけだった。

 鉄分の臭いで満ちた体育倉庫には、それら以外は何もなかった。

 そう、何も不自然なことは起きていなかったんだ。


 正直言って、拍子抜けだった。

 僕はてっきり、さっき君が言っていたように、これは、何かよくないことの前兆じゃないのかって思ってたんだ。


 しかし、実際蓋を開けてみると、何もおかしなことはない、普通の光景がそこにあった。


 僕は、先輩に遅れてきたことを謝罪した。


 先輩は、気にするな、と言ってくれた。

 それよりも、と前置きしてから、先輩は後輩の死体を指さした。

 そして、これ誰が殺したと思う? と僕に尋ねた。


 僕は、先輩ですよね、って答えた。

 一目見て分かった。

 先輩には、返り血が着いていたからだ。


 先輩は、そうだ、と答えた。

 そして、だったらどうする? と尋ねた。


 僕は質問の意味が分からなかった。

 僕はどうもしませんよ、と答えた。


 すると先輩は、警察を呼ばなくていいのか? って聞いてきた。


 僕には意味が分からなかった。

 何で警察を呼ぶ必要があるんだろう?

 死体があった程度で警察を呼んだら、誤報扱いされて、怒られるだけだろうに。


 僕は当然、呼ぶわけ無いでしょう、って答えた。

 すると先輩は、じゃあ例えば、死んでるのが俺で、殺したのがこの後輩だったらどうする? って聞いてきた。


 もちろん僕は、それは殺人事件なんで、すぐに逃げて警察に通報する、と答えた。


 本当に、不思議な先輩だよね。

 僕は道徳の授業でも受けてる気分だった。

 人を殺してはいけませんだの、傷つけては生けませんだの、そんな当たり前のことを、一つ一つ確認されてる気分だった。

 というか、されていた。


 先輩は、ひとしきり僕に質問し終えると、諦めたように、そして少し満足したように、頷いた。

 そして寂しげに、笑った。


 先輩は突然、俺は透明人間なんだ、って言い出した。

 そして、こうも語った。


 俺は、子どもの頃から、良くも悪くも普通の子として育てられた。

 家族も、友達も、先生も、俺のことを普通の子どもだと評価した。

 ……俺が何をやっても…だ。


 小学二年生の頃、俺は苦手な算数で初めて満点を取った。

 嬉しかった。

 親も褒めてくれると思った。

 でも、それを見せても、親は褒めてくれなかった。

 それどころか、戸惑っていた。

 この子は、当たり前のことを何でこんなに嬉しそうに語るのだろうか? ってな。


 俺は今まで生きてきて、褒められたことも、叱られたこともない。

 テストでいい点を取っても、悪い点を取っても、友達を助けても、いじめても、誰からも尊敬も、見下されも、憧れられも、忌避されも、好かれも、嫌われも、しなかった。

 誰も、俺を見てくれなかった。


 そう、語った。


 ……うん、そうだよね。

 よくわかんないよね。


 僕には、そんな当たり前のことのどこが、先輩の気に障ったのかは分からない。

 でも、その時の先輩がとても苦しそうだったのは覚えてる。


 そして先輩はこうも続けた。


 後輩の彼には申し訳ないことをしたと思ってる。

 でも、どうしても確かめたかった。

 諦められなかったんだ。

 ……それだけは、言いたかった。


 先輩はそう言った後、今日初めて僕の顔を見た。

 そして僕が、訳が分からず苦笑いしてるのを見て、先輩も諦めたように笑った。


 ……その数日後、先輩が自殺した。

 終業式の日、全校生徒の前で首を吊って死んだ。

 校長が長話をしてる横で、着々と自殺の準備をしてる先輩を止める人は、当然いなかった。

 先輩は準備中も、首に縄をかけるまでずっと、生徒の方を見ようとしなかった。

 首を吊った直後も、絶対に生徒たちを見てしまわないようにと、目を瞑っていた。


 でも、首を吊った数秒後、先輩は苦しそうにもがきながら、思わず目を見開いてしまった。

 そして、何かを見た先輩は、悔しそうに涙を流していた。


 ……え? 先輩が何を見たかって?

 まぁ、目線からして生徒たちだろうね。


 ……他の生徒がどんな様子だったか?

 分からないよ、僕だってその生徒の一人だったんだ。


 …………。

 ……。


 ……まぁ、でも……多分、みんな困ったような、戸惑ったような、そんな苦笑いを浮かべてたんじゃないかな。

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