無常

三輪晢夫

無情

 世間は無常でございます。

 私がこう確信いたしましたのは、二年前の夏———世間では東北の大雨が騒がれている時分でありまして、当時、私は上京して間もなく、都会の暑さに慣れておらず、日射病にやられる前に、ちょうど、大学の夏休みがはじまりましたので、実家のあるI県へと、数日ほど避暑をしておりました。実家は、静かな田舎の、小さな路地を曲がった先にあるきれいな一軒家でございまして、のどかで、とても涼しく、私は日がな一日、リビングにテレビと対坐して置かれた、革製のソファでだらだらと過ごしておりました(テレビには、地域のニュースが無機質に映し出されており、私はアナウンサーの澄んだ声をぼうっと聞き流しながら、ソファの上でごろり、と寝転んで、何も考えず、時折喉を鳴らしながら、部屋を満たす沈黙に寄り添っておりました)。

 遠く聞ゆる虫の、こがね色の鳴き声、壁一面の硝子の向うにある、四角く縁取られた、めらめらと燃えてかがやく稲畑、青空の底に沈んでゆきそうな、重々しく荘厳な入道雲———ぼんやりながら憶えております。ちょうどそのとき、かがやく稲畑と窓の間、庭とも呼べぬ小さな空間に、猫が一匹、横切りました。薄汚く、ほっそりとしていて、まるで生気の感じられない足取りで駈ける、死の匂いを漂わせた猫でございます。

 私はふと横目にうごめくなにかを、はじめは猫とはわからず、そっと窓を開けて、頭だけ出して、ちらちらと確認してみますと、ようやく、ここを抜けてどこかへ駈け出そうとしている、細長い猫の後ろ姿を見つけて、なんだ野良猫か、と安堵のようなものをおぼえて、窓を閉めて、ソファにまた寝転がると、どうにも心持ちが落ち着きません。居ても立っても居られない。脛と脹脛のあいだがむずむずとしてきて、むしゃくしゃと苛立ってきて、なんだか妙な、すこぶる不快な気持ちでありました。

 原因が知れず、とにかく苛々するので、とりあえず、心を落ち着けようと、寝巻きでございましたが、特には気にせず、散歩をしようと思いました。昔から私は散歩が、具体的には、散歩中にみえる自然や、虚しさが満たす沈黙が、好きなのでした。すっぴんではありましたが、平日の昼間ゆえ、人の通りの少ないだろうと思い、そのまま、サンダルを履いて、外へ出ますと、やはり家の中と比べて少し暑い風が、からだにしっとりと絡みついてまいります。七つ下の弟は学校、両親は、早朝からショッピングに行かれてしまって、にぎやかな家に今日は私以外に誰もおりません。

 ———しっかりと鍵をかける。意識して行うのは、散歩中に鍵をかけたか無駄に心配しないためでございます。

 路地を抜けて、時折車の通る細い通りをまっすぐにゆくと、しみじみと、私は夏を思いました。

 暑くなりはじめると、夏でございます。夏だから、暑いのではございません。暑いと夏になるのです。冬も同様。春夏秋冬、一月二月三月……月火水木金土日、午前午後、朝と夜、一分一秒一時間、全て、下界の都合に他ならぬ———われわれの勝手でくだらぬ定義に過ぎぬのだと、ふわふわと思われました。無意味の考えでありました。

 私はほんのりと額と背中に汗をかき、淡い蝉の声に、覚えのないおぼろげな懐かしさを憶えながら、ゆく宛のない細道を、まっすぐと、歩き続ける。あのおかしな不快感も、陽光に焼かれて、コンクリートの地面へと溶けてゆき、次第に私は、夏の思い出をぽつり、ぽつりと思い出しながら、空想と現実の曖昧な夏の道を、冷たい影と共に進んでおりました。かげろうに入道雲がゆらゆらと揺れておりました。

 にゃあ。

 風鈴に似た鳴き声が、背後から聞こえてまいります。足を止めて振り返ると、先ほどの、猫が、道の真ん中で足を止めて私を覗いており、奇妙ないろをした瞳には、やはり、生への執着というもの、魂というものが、感じられません。毛が、しろく、きらきらとかがやき、うつくしく思いましたが、どうにも、腐臭———猫の上に、ぐったりと横たわり、重く重くのしかかる、生の腐臭が、視覚化されて、刺激臭まで感じられる気がして、堪りませんでした。コンクリートに落ちる真っ黒い影のほうが、まだ、生きているという感じがありました。

 しばらく見つめ合い———突然、猫は、足元のほうへ歩いてまいりますので、私は、猫のどこかに触れて、病気やダニでも移されたらたまったものではないと思い、すぐに一歩、後ずさると、猫は私のいた一歩手前で止まって、静かに、顔をうつむかせました。冷えた影が猫の顔を覆いました。そして、なにかを、咀嚼しているようでございます。ちらとうかがうと、それは、乾涸びたミミズの死骸でございます。ぱりぱりという音を立てて、猫は、汚く、ぬめりのない、カピカピとした、ミミズの死骸を、食うておるのであります。

 これには、思わずぎょっといたしましたが、猫のからだを真上から俯瞰して見て、それが、ひどく細く、下を向いている頭よりも、さらに幅の狭いことに気がついて、あわれに思えてまいりました。この野良猫は、ただ、食べ物を食うておるだけなのです。生きるために、乾涸びた死骸を、栄養を、ただ、摂っているだけなのでございます。

 私は、昔飼っていた犬のことを思いました。黒い毛並みの、小さな犬で、やんちゃでございましたが、散歩中に他の犬と出逢うとめっぽう人見知り———犬見知り、とでも言うべきでございましょうか———を発揮して、私の足元に隠れて、ぶるぶるとふるえる、内弁慶という言葉の似合う、かわいらしい犬でございました。六年も前に死にました。

 私は、目の前の、うすぎたない猫と、その犬を、重ね合わせて見てしまいました。あの、黒くてかわいらしい犬が、こんなに細くなり、身なりを汚くして、大勢に踏みつけられてきたコンクリートに這いつくばっている、乾涸びてどうしようもないミミズの死骸を、音を立てて、食べている———そして、それすら、あの犬にはご馳走であって、貴重な食料であって、巡り会えただけでも幸福であって———そんなことを思うと、ひどく悲しく、猫の境遇を、とても、とても、あわれに思えて、なりませんでした。不快感よりも、気持ちの悪いものが、私の心を、おどろおどろしく、渦巻き、ねっとりと絡みついてまいりました。

 私は来た道を引き返しました。なにが楽しくて、あのような思いをしなければならないのでしょう。気分が悪くてたまらない。そのことで胸がいっぱいでございました。こがね色の蝉の声も、群青の空も、真っ白な入道雲も、真赤な太陽も、緑にかがやく葉や生垣も、なにもかも、どうでもよい。私をついてくる黒い影だけが、私を下からじっと見つめ続け———それは、あの猫が影となって、私に静かな諦観を押し付けているように感じられるのでございます。しかし、何度振り向いても、いつまでも、猫はミミズの死骸を食べ続けているのでございます。

 実家に戻ると、テレビでお笑いがやっておりました。私以外、無人の家に、空しく、芸人のツッコミが木霊しておりました。

 翌る日には東京に帰ることにしました。下界の都合でございます。いえ、私の、都合でございます。

 帰ってから、一月が過ぎて、大学の後期がはじまり、段々と夏の空気が抜けてきたころ、母から電話がかかってまいりました。どうやら、朝、起きると、家の庭に、一匹、野良猫が死んでいたようでございます。たぶん、暑さにやられたのであろうと、母は申しておりました。屍体はちょうど燃えるゴミの日であったので、近所のSさんという方が、善意で処理をしてくださったそうでありました。私は、母の声のするケータイを耳に当てながら、しくしくと、泣きました。

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無常 三輪晢夫 @Hachi0805

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