湊 と 義姉 と 思い出の店


 とりあえず駅前まで出てきた湊だったがどこに食べにいくかが決まらない。

 どうしたものかと駅前をブラつていると、聞き覚えのある女性の声に呼び止められた。


「湊?」

「ん? あ、静姉しずねぇ!」


 声のした方に振り返ってみれば、長身でスタイルもよくシュッとした美人がそこにいた。

 パンツスタイルのビジネススーツをビシっと着こなした彼女は、湊の兄の奥さんである。


 妹的には、冴えないオタク気質の兄には勿体ない美人だなと、密かに思っていたりする。

 義姉は、長身で中性的でやや男性寄り容姿の女性――と、要素だけ切り出すと、涼とは対極のような人物だ。


 白凪よりもさらにデキる女度が高そうな雰囲気と、実際にデキる女であることから、湊は勝手に義姉のことをデキる女の最終形態だと思っている。

 実際、どこかの会社の若い女社長のところで秘書をしているそうなので、そのイメージも間違っていないはずだ――などとも思っていた。


「どうした湊。こんな時間に駅前をフラフラして」

「母さんが夜勤だもんで、夕飯食べに出てきたんだけど、何食べようか決まらなくて」

「なるほど」


 クールな面差しに小さな微笑を湛えて、義姉はうなずく。


「なら、一緒にどうだ?」

「え? いいの? 兄さんは?」

海咲ミサキは、今日は付き合いで出かけていてな、遅いらしい。だから、今夜は私も一人なんだ」


 義姉の容貌で言われると何やらナンパされているような気持ちになるが――ともあれ、そういうことなら、と湊もうなずいた。


「何か要望はあるか? 無いなら行きつけの鉄板焼きの店にでも行こうと思うんだが……ああ、払いはもちろん私が持つ」

「鉄板焼き!」

「どうした?」

「あははは……お昼寝してたら、昔に兄さんに鉄板焼きのお店に連れて行ってもらった夢を見たもんだから。

 しかも、これからお肉を食べようって時に目が覚めちゃったんで」

「それなら丁度いいのか?」

「うん!」


 力強くうなずく湊に、義姉は「そうか」と優しく微笑んだ。




 義姉に連れられて向かうのは駅ビルを抜けた裏手側。

 そこから少し行ったところに、昔ながらの一軒家のようなお蕎麦屋さんや定食屋さんなんかのお店と、飲食店が多く入った雑居ビルが、まばらに入り交じって立ち並ぶエリアがある。


「生憎とエレベータのない建物でな」

「こういうところはそういうの少なくないですよね」


 やや古ぼけた、階段の狭い雑居ビル。

 初めて来る場所なのに、夢を見たせいかひどく懐かしく感じる。


 三階の踊り場にやってくると、非常口を思わせる重たそうな鉄製の扉に、マジックペンで書き殴ったような店名が書いてあった。


 鉄板ビストロ

 Ipercalorico


 英語の苦手な湊には、筆記体で書かれたアルファベット部分が全く読めないが――


「あれ、ここ……」


 記憶の中では五階だったはずだ。

 そもそも、住んでいた町が違う。当時も電車やバスに乗った記憶がないから、当時住んでいた家の近所だったはず。


 だというのに、この既視感はなんだろう。


「海咲だけでなく、私の友人のグルメな小説家もお気に入りの店だ。もちろん私もな」


 ドアノブに木の札が掛けられていて、そこにopenと書かれている。


「よし、やってるな」

「静姉――お店の名前、何て読むの?」

「ん? イタリア語でイペルカロリコだ」

「イペルカロリコ……」

「ちなみに意味はハイカロリーだ」

「えぇ……」


 お店の名前としてそれはどうなんだろうか。

 もっとも、日本人の感覚だと、よくわからないイタリア語という時点でオシャレ感のようなものを覚えてしまうのだが。


「ちなみにここの姉妹店で、吉祥寺に肉汁喫茶ハイカロリーという店もあるぞ。あそこもステーキやハンバーグがうまいんだ」

「えぇ……」


 それは店名でだいぶ損していないだろうか。

 そんな湊の困惑をよそに、義姉は入り口のドアを開けた。


「入ってすぐに段差があるから気をつけるように」

「うん」


 中に入ると、義姉の言うとおりすぐに一段下がっていた。

 それに気をつけながらドアをくぐって店内を見渡す。


 内装は記憶とは違うものだった。

 だけど、お洒落で落ち着きがあって、鉄板が置かれたカウンター席もある。その雰囲気は夢の中で見たお店とそっくりに感じた。


 中に入ると、お肉や野菜の焼ける匂いがする。

 何人かいる店員さんが、カウンターの前に広がる大鉄板でお肉を焼いたり、野菜を焼いたりしているのが目に入った。


 奥に厨房のようなものもあり、テーブル席のお客さんには、あちらで作って提供しているのだろう。


 こちらに気づいた店員さんが声を掛けてくる。


「いらっしゃいませー」

「二人だが、カウンターは大丈夫か?」

「大丈夫ですよ。どうぞ」


 夢のせいだろうか。

 横にいるのは義姉のはずなのに、とても懐かしい心地で、湊はカウンター席に着いた。


 あの時と同じ、やや背の高い椅子。

 でも当時と違って、今の自分の足はカウンターの下側についた足を置くための鉄棒に届く。


 そのことに何か誇らしいものを感じていると、兄夫婦と歳の近そうな男性の店員さんがやってくる。


「いらっしゃい静音シズネ。そのお連れさん、もしかして海咲の……」

「ああ。彼の妹の湊だ」


 どうやら店員さんは兄夫婦の顔見知りらしい。

 義姉に紹介された湊は慌てて会釈をする。


「こんばんは。ご来店ありがとうございます。ディアーズキッチン、見てますよ」

「え? あ、ありがとうございます!」


 お店の人に自分が知られていること、さらには現役の料理人さんに、料理配信を見られているという気恥ずかしさに赤くなりながら、湊はお礼を告げた。


「ふふ、海咲がいつも自慢しているしな」

「シスコンだしなぁあいつ。でも、静音も結構、湊さんのコト自慢するように語ってるよ」

「そ、そうだったか……」


 兄が店員さんに自分を自慢している?

 義姉も負けずに自慢している?


 その事実に湊の頭がついていかない。


 というか兄がシスコンといったか?


 湊の中にある兄夫婦のイメージが、店員さんの話と一致せずに混乱する。


「ところで湊さん。実は自分の修業時代――君にステーキを焼いてあげたコトがあるんだけど、覚えてる?」

「……え?」


 言われて、湊は店員さんに確認するように訊ねる。


「もしかして十歳くらいの時に、兄さんに連れてってもらった……どこかのビルの五階くらいにあった、ここに似てるお店?」

「正解」


 そんな偶然があっていいのだろうか。

 だとしたら――あの時食べたお肉の正体を、夢ではなく現実で確かめられるかもしれない。


「そしたらその……あの時、兄さんが食べさせてくれたモノと同じステーキって……あります?」


 湊が頼むと、店員さんは少し困ったようにしてから答える。


「あるにはある。肉のブランドは、違うモノだけど。

 ――でも、実はあれ……結構するよ?」


 それは予想していた答えだ。

 だけどそれでも、今日はそれを食べたいし、払えるくらいの稼ぎならある。


 そう思っていると――


「今日は私が持つ。好きに頼んでいいぞ、湊」

「え、でも……」

「気にするな湊。

 何があったか知らないが――義妹いもうとの目に泣きはらした跡のあるんだ。お節介くらいさせてくれ」


 気にするなと言われても――さすがに奢って貰うには高価なメニューだ。

 いくら、優しい義姉からのお節介とはいえ、ためらいがある。


「よし。それならさ、湊さん。ちょっと探索者としての君に依頼を引き受けてもらいたい? それを条件に、半額にしよう」

「探索依頼? えーっと、内容にもよりますけど……」

「ドレイクのお肉ってまだある?」

「さすがにもう無いです」

「ないかー……じゃあ、ダンジョン食材で、湊さんが食べて美味しかったモノをいくつか調達してきて欲しい」


 そう言われて、湊は少し考える。

 自分が美味しいと思った肉を調達するだけならば、難易度はそう高くない。


「探索者同士ならいざしらず――いくら知人相手でも探索者への直接依頼はあまり勧められないぞ。何か頼みたいなら探協たんきょうを通して指名依頼にした方がいい」

「あれ? 静音はその辺詳しい?」

「仕事柄、探索者を相手にするコトもあるからな。秘書として法律もスラングも、暗黙の了解じみたコトもだいたい押さえてある」

「さすが。依頼の仕方とか必要になったら教えて」

「構わないが……何を考えている?」

「ディアーズキッチン見てると、料理してみたくなるんだよ。ダンジョン食材」


 店員さんと義姉がそんなやりとりをしている横で、湊は真面目に考えていた。


 最近、毎度毎度キッチスタジオ万亀マキに集まることに限界を感じていた。

 加えて、涼に美味しい鶏肉を食べさせてあげるのであれば、別に自分の手料理にこだわる必要はないはずだ……という考えも沸いている。


 一緒に食べる側に回るっていうのも、悪くないのでは――と、そう思った。


「あの、それなら……図々しいお願いかもですけど、時々でいいんで、ここで配信とかさせてもらえたり、しませんか?」

「おっと。予期してなかったお願いだな」

「配信で使ったお肉をお分けしますし、何なら……可食の有無を確認しただけで、どう使うか決めてない食材もお分けします。その上で、調理方法とか一緒に考えてもらいたいな、と」

「面白そうではあるな。あの魔法のリーキとかも気になるし。分けてもらえるならそれに越したコトはないが……」


 うーむ……と悩む店員さん。


「そう悩む必要があるのか鉄平テツヒラ? 悪くないと思うぞ。

 依頼の仕方とかは教えてやるし、別に割引も必要ないしな」

「割引は素直に受け取っといた方がいいと思うぞ、静音」


 義姉と軽口を叩きあいながら、店員さん――鉄平はうなずいた。


「よし。詳細はあとで詰めるにして――この時点では、取引成立ってコトにしよう。

 後日、事務所やマネジャーさん込みで話をするとして、そっちで破談になっても、お互いに文句は言わない。それでいいかい?」

「はい」


 思いつきとはいえ、悪くない話のはずだ。

 相談せずに勢いでやらかしてしまったことをあとで、白凪や事務所に怒られるかもしれないが。


「改めて、俺は千道センドウ 鉄平テツヒラ

 静音や海咲とは高校時代のクラスメイトでさ、その付き合いで二人がちょいっちょい店に顔を出してくれるんだよ。

 鉄板越しは危ないので、握手できないけどよろしく」

「はい。こちらこそよろしくお願いします千道さん」

「鉄平でいいよ。二人の妹ならな」

「じゃあ鉄平さん」

「おう」

「それじゃあ焼こうかステーキ。

 静音、本当に割引はいらないんだな?」

「そう言っているが?」


 ふーん……と、鉄平は意味深に笑う。


「あの時と同じ65gでいいかな?」

「……お願いします」


 湊にはまだためらいはあるが、義姉が堂々と気にするなという態度を貫いているので、甘えることにした。


 そして、夢で見たときと同じような手順で肉が焼かれていく。


 肉の焼ける音、香気。

 野菜の焼ける音、香り。

 油や水分が弾ける音、匂い。


 子供の時とは違う――料理人のような視点、だけど同じような光景を見る。


 懐かしくて、新しくて、楽しい。


 そして、夢とは違い、おあずけされることなく、できあがったステーキをちゃんと最後まで口に運べる。


 その味は、ドレイクにだって決して負けない。力強くて、柔らかくて、美味しいものだった。


 ・

 ・

 ・


 お会計の時。


「…………すまない。鉄平を――店長を呼んでくれないだろうか」

「え? あ、はい」


 お会計を担当してくれた女性店員さんは少し困った様子を見せつつも、素直に鉄平を呼んでくる。


「どうした静音」


 女性店員さんに連れてこられた鉄平は、ニヤニヤと笑っている。


「……先ほどの割引の話……悪いが、受けさせてくれ……」

「だから言ったじゃねーか」


 結局、あのお肉がいくらだったのかは分からないが、そのやりとりを見ていた湊は、少しだけ青ざめた。


(十歳の時も今日も、私……どんな金額のお肉食べちゃったんだろう……?)


 決して忘れられない思い出の味。

 高い高い……とても高いお肉の味。


 湊の記憶に、また一つ美味しいが刻まれた――そんな夕食の時間だった。



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【Idle Talk】

 白凪 →

 常にクールであろうとしていて、その立ち回りの結果としてクールビューティと称される

 ただそのクールさはがんばって作り出しているものなので、わりと崩れるコトも多い


 静音 →

 本人は意識していないが常にクールである生粋のクールビューティ

 天然のクールレディなのでそう簡単にクールな態度は崩れないものの、計算や想定が、大きく外れた出来事に遭遇すると、大きく表情や態度が崩れることもある

 もっとも表情が崩れるだけで、首から上はカミソリのように鋭く、氷のように冷たく、状況を確認して正しい対応を弾き出す

 その結果、会計の時に鉄平を呼んだので、彼女はいつだって冷静である


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