第13話 泥沼に差し込む光

 足元がおぼつかないまま宿の自分の部屋に入り、そのまま寝具に倒れ込む。


 動きたくない。


 考えたくない。


 何の気力も湧かない。


 まるで泥沼に沈んでいるみたいだった。


「…………ぅ」


 言葉にならない声が零れる。


 脳裏に浮かぶのはクレイズの言葉。


 精神が限界になりながらも力を振り絞って謝ろうとした私を、暗黒な谷に突き落とした。


 王子が私を婚約者にしようと思っているなんて……拒否しないにしても、難色を示してくれると思ったのに……。


 何も躊躇うことなく許可を出した。


 信じていたのに。


 私を見てくれていると思っていたのに。


 怒っているけど私の傍にずっといると思っていたのに……。


 しかし現実は異なり、どうやら全て私の独り歩きだったらしい。


 クレイズを学園の入学に誘った時や数年ぶりに再開して入学した時に描いていた未来は全て幻想で……。


 いや、たぶん、私が潰したのだ。


 私が私の理想の未来を潰したのだ。


 いまだに何で怒られたのか分からないけど……たぶん、私が悪い。


 よく考えてみればわかる。


 まず前提として私は性格が悪い。


 自分とクレイズ以外どうでもいいと思っているし、そもそも考えてすらない。


 この年齢にもなれば自分の性格は少し分かるのだ。


 だから、クレイズ相手に好き勝手な言動を繰り返していたのも分かる。


 たぶん他の人だったら、一言言葉を交わしただけで私を避けるのだろう。


 けどクレイズは私を避けなかった。


 私がどんなことを言っても、自分勝手に振る舞っても、呆れながらも付いてきてくれた。


 だからクレイズは寛容である……というのが私が出した結論だ。


 なのにも拘らず、あの時、クレイズは怒った。


 私がどんな言動をしても怒らなかったクレイズが怒った。


 つまり……あの時、私が言ったことはクレイズにとって許せなかった内容なのだろう。


 いまだに何が悪いのか分からない。


 けど私が悪いのは分かった。


 だから力を振り絞って謝りに行ったのに……この結果だ。


「…………ぅぅ」


 仮にいつもの私だったらあの二人の前に出て行って……婚約を拒否してついでに罵り、クレイズに文句を言ってついでに罵ったのだと思う。


 でも気力がなかった。


 ギリギリを保っていた均衡が崩れた。


 隠れて聞いていたことを誤魔化す余裕もなく、ただただ目から弱音が零れないように堪えながら歩いた。


「…………」


 どう考えても自業自得である。


 私が全て悪いのだ。


 ずっと、ずっと、あの時……あんなことを言わなければよかったと後悔が体の中で渦巻く。


 もう少し私が自重していたら。


 賢かったら。


 いや……そもそも誕生祭の時、クレイズに話しかけなければ……。


 こんな気持ちにならなかったのに。


「もう……いい……もうぜんぶ……どうでもいい」


 クレイズの気持ちを知ってしまった以上、もう一縷の望みもない。


 未来永劫、私とクレイズの関係が元に戻ることはない。


 


 ……いやだ……いやだ……いやだ……!


 前みたいに話したい。私が皮肉を言ってクレイズが呆れながら笑って欲しい。


 前みたいに手合わせしたい。剣を振って楽しそうな顔を私に見せて欲しい。


 前みたいに…………。


 前みたいに一緒にいたい。


 別に何もしなくて良い。何もしなくて良いのだ。


 ただ、離れたくない……。


 


 …………私は馬鹿だ。


 いくら願ってももう無駄だと言うのに。


 無駄だと分かっているのに。


 理性では分かっているのに……感情がそれを許してくれない。


 真の感情が湧き出る泉のように次々と溢れ出してくる。


 私の心が訴えてくる。


 理性を壊そうとしてくる。


「やめて……もう……」


 寝具の布を硬く握って堪える。


 この感情はいらない、私を苦しめるだけ。


 大丈夫…大丈夫…あの時…母が亡くなった時のようにすれば良いだけだ。


 心を囲えば大丈夫……。


 湧き出る感情を潰して……深く深く潜って……押し込もう……。


 もう生きる意味はないけど……未来は全て潰えたけど……あの頃に戻っただけだから……。


 この記憶を消してしまえば……私は大丈夫……。


 そうすれば……。


「おかあさん……」


 あぁ……やめて……これ以上はやめて……。


 私の心に入ってこないで……。


 次の名前が零れると……。


「クレイズぅ……」


 意味がないのに。


 もういないのに。


 私の隣にいないのに。


 なんで零れてしまうの————





「おう。なんだ」





「………………ぇ?」


 私は振り返る。


 あり得ない、幻聴だ。


 そう思っても……奥底に眠る感情が期待してしまった。


 ぼやけた視界に映るあの顔。


 一つ瞬きをして晴れた視界で確かに見えた。


 手を伸ばして腕に触ってみる。


 ……温かい。


「酷い顔してんなぁ……」


 間違いない。


 幻ではない。


 この声、この姿、この体温。


 現実だ。


「よう。二十日と一日振りか?」


 私の目の前にいるのは……クレイズだ。

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