第42話 料亭にて2

 ここで女将がデザートを運んできた。「蕎麦団子のぜんざいとお抹茶でございます」


「うわぁ、ほんとに蕎麦づくしですね。とっても美味しいわ」一口ぜんざいを食べた沙耶は破顔した。


「君は・・ほんとに・・」(なんて幸せそうな顔をして食べるんだ)


「五瀬さんも召し上がってみてください、美味しいですよ」

「うん、餡はあっさりとした甘みで美味いな。甘い物は苦手だがこれはいいな」

「あら、甘いドーナツは平気なのに」沙耶はスプーンを手に持ったままクスッと笑った。


「ん!」

「はい?」


「沙耶‥今俺がドーナツが好きだと・・」

「あっ・・そうですね。私、無意識に喋ってました」


「もしかして少しずつ思い出してきているのか?」

「はっきりとではないんですけど、さっきラスベガスの話を聞いていてチョコレートを買う為に奔走してた自分が脳裏に浮かんできたんです。最近、時たまそういう事があるんです」


(それなら俺との事も何か思い出せるかもしれない! 全てではなくても楽しかった事を少しでも思い出してくれたら・・)


「もし迷惑でなかったらまたこんな風に会って欲しいんだ。どこかへ出掛けたり、食事したり・・」


「はい! 私もずっと部屋に居て退屈だったんです。自分ではもう仕事に出ても平気だと思ってるんですけどストレスが多い仕事だからまだ復帰しないほうがいいとお医者様に言われて・・」


「では無理させない程度に誘うとしよう。行きたい場所があったら遠慮しないで言ってくれ。家に遊びに来てくれてもいい、結花が君を恋しがっているんだ」


「結花ちゃんに会えるのは嬉しいわ。また一緒にドーナツを作る約束をしたんです」

「それは俺も楽しみだな」


 馨はここ最近では久しぶりに心から笑った。沙耶が居てくれたら仕事のどんな難題も軽く解決できるような気がしてくる。


 馨が会計を済ませて沙耶と一緒に外に出ると、なんとまた景子が少し遅れて料亭から出てきた。


「あら、またこんな所でお会いするなんて・・沙耶も一緒だったのね」


 景子の馨に向けた笑顔が、沙耶を見つけてあからさまな嫌悪の表情に変わった。


(沙耶も一緒だなんて思わなかったわ、これじゃ記者にリークした意味がないじゃない)


 またしても物陰から記者がカメラを構えていたが、そんな事はつゆとも知らない馨は景子にはっきりと言い渡した。


「君が沙耶に言った嘘はもうバレているんだ。これ以上俺たちに構わないでくれ。マネージャーも担当を外して貰うように落合社長に申し入れてある」


「な、なんて事言うの。私は沙耶に嘘なんかついてないわ! 沙耶が好きになったのは池田さんなのよ、あなたが知らないだけよ」


(まずいわ・・記者が見ているのに。この流れはまずいわ)


「あの・・景子、私にそう言ったけれど私はなんとなく池田さんは違うと感じていたの。池田さんはいい人だけど、彼には恋愛感情が湧いてこなくて」


「俺も高野さん、あなたに恋愛感情など持っていない。俺が大切なのは沙耶だけだ」


 これを聞いた記者はたまらず姿を現した。「五瀬さん、今の発言は本当ですか? 高野景子と密会現場を撮られてますがあれはどう説明されます? それとも高野さんとはただの浮気だったんですか?」


 記者は早口にまくしたてた。


 記者を無視して馨が立ち去ろうとした時、その目に景子の指にはめられた結婚指輪が目に入って来た。

 景子に近づきその手を乱暴に掴み上げると馨は言った。


「その指輪は沙耶の物だ。返して貰おう」

 

 景子の指から抜き取った結婚指輪を握りしめ、馨は沙耶を守るようにして運転手が待つ車へと乗りこんだ。


 記者はあっけにとられて馨達の後姿を見送ったが、呆然と立ちすくむ景子に向き直り好奇に満ちた目で話しかけた。


「これって高野さんが一方的に五瀬さんに言い寄っていたって事ですかね? しかも嘘までついて」

「ち、違うわ。彼は何か勘違いしてるのよ!」


「そうは見えませんでしたよ、あ、ちょっと待ってくださいよ。高野さーん、もう少しコメント頂けませんか、高野さぁ~ん!」


 足早に立ち去ろうとする景子を記者は執拗に追いかけていった。


(これはいいネタを拾ったぞ。あまりにも高野景子の情報が流れてくるから、本人の売名行為かと思ったがそうじゃなかったみたいだな。今日はカメラマンが間に合わなくて写真を撮れなかったのが悔やまれるな)



「全く、高野景子と週刊誌の記者はゴキブリみたいにどこにでも現れるな」

「ゴキブリですか!」沙耶はあまりにもひどい例えに思わず笑ってしまった。


「沙耶、手を出して。これは君が付けないと何の価値もないただのガラクタだ」


 馨はそう言って景子から取り返した沙耶の結婚指輪をまた沙耶の左手の薬指に戻した。


 沙耶は自分の中に熱いものが込み上げてくるのを感じた。初めてこの指輪を馨にはめて貰った時と同じように顔が紅潮しているのが自分でもよく分かる。


 馨の手を見るとその左手には同じデザインの指輪がはめられていた。


「当たり前ですけど、同じデザインですね・・対なんですね」

「そうだ」


(さっき沙耶は涼に対して恋愛感情はないと言っていたな。好きの種類も色々って事か・・)


 沙耶の言葉を思い返しながら、マンションに到着するまでずっと馨は沙耶の手を握っていた。



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