第41話 料亭にて

「池田さん、女性週刊誌の記者から電話取材が入ってるんですけど」


 秘書室の大井めぐみが社長室に顔を出した。


「分かった、こっちで受ける」


「もしもし、社長は今席を外しておりますので代わりにお伺いします。ええ・・いえ・・こちらでも確認を取って見なければ・・そうなりますが・・いえ即答はしかねます。はい、では」


 電話を切った涼はほとほと疲れたといった表情を見せた。


「今度は何を言って来た? 内縁の妻と別居してるとかなんとか・・」

「いえ、今度は沙耶さんのお父様についてです」


「沙耶の父親は・・誰か分からないままだったな」


「沙耶さんが生まれる前に母親と同居していた人物が沙耶さんのお父様ではないかという話でしたが、その人物が現在刑務所に収監されている殺人犯だそうです」


「なにっ・・殺人犯だって」

「これは早急に調査します・・高野家の事と並行して」


「ああ、すまないな。涼はそっちに集中してもらおう。全く、次から次へと‥。京都ホテルの件は別の者に引き継いでくれて構わない」


 涼は調査の為にすぐ社長室を出て行った。少しすると大井めぐみがコーヒーを持って馨の前に現れた。


「ああ、大井さん。頼んでおいた料亭の予約は取れたかな?」

「はい、本日19時で2名予約が入っております。それでは失礼致します」


 めぐみは社長室を出てすぐスマホを取り出した。

(会食の相手は高野景子かもしれないけれど一応ね・・)



_________




 この日、馨は沙耶を夕食に誘った。静かな料亭の個室で先に着いた沙耶は風雅な中庭を眺めていた。


「お連れ様がおつきでございます」品のいい着物姿の女将が馨の到着を告げた。


「待たせたかな?」

「いえ、私もさっき着いたばかりです。お庭がとても綺麗で眺めていました」


 馨と沙耶が席に着くと、料理が運ばれてきた。


「この料亭のご主人は長野の出身でそばを使った懐石料理が有名なんだ」

「あっ、ほんとですね。これ蕎麦の実ですね」

「君は蕎麦が好きだろう?」


(そうか一緒に暮らしていたんだから私の好みくらい知ってるわね・・)そう思いながらも何か心に引っかかるものが沙耶の中に浮かんで来た。


「あの・・今日はどうして私を? 景子も後から来るんですか?」

「いや、高野景子は来ない」


(やはりあの女から何か吹き込まれたな・・)


(『高野景子』なんて他人行儀な言い方だわ。私の前だから気を使っているのかしら? でも契約結婚なんだからそんな必要はないはずよね)


「その高野について話があって、今日は君を誘ったんだ」


(景子との結婚の話が進んだのかしら・・)


「はい、景子から話は聞いてます。ご結婚の日取りが決まったんでしょうか?」


(やれやれ・・やっぱりそういう話を聞かされていたのか)


「君は高野からどういう話を聞かされたんだ? 俺と高野が結婚するという話の他には」


「私と五瀬さんは契約結婚をしていたけれど・・五瀬さんが景子の事を好きになったから契約結婚は解消になって・・私は池田さんと付き合っていたと」


 馨は大きくため息をついた。


「あの・・私とは契約結婚だったんだし、五瀬さんが景子と結婚する事に反対なんてしません。景子はとても五瀬さんの事を好きみたいだし、お二人が幸せになってくれたら私は嬉しいので」


「俺と高野が結婚する事を望んでいるのか?」

「・・それは・・そう聞かれると、分かりません」


「では涼の事は・・君は涼を好きなのか?」

「はい、とてもいい方ですし」沙耶は深く考えずに答えていた。


(恋愛感情があるかと言われると・・まだそんな気持ちにはなれないのが正直なところだけど・・私が忘れてしまっているだけよね)


(そうか・・もう気持ちは涼に行ってしまったのか・・。俺はどうしたらいいんだ、この先沙耶と涼が結ばれるのを黙って見ているしかないのか? 俺はそんなことに耐えられるのか? ・・だが高野に対する間違いだけは正しておかなくては)


「沙耶、高野が言っている事は全てデタラメだ」

「えっ」

「俺と君が契約結婚したのは事実だが・・」


 馨はラスベガスで出会った話、そこで契約結婚を提案した事、契約内容。そこから現在に至るまでの経緯を詳しく話して聞かせた。


「・・景子はどうして契約結婚の事を知っていたのかしら」

「それは俺も不思議だな。俺と君と涼以外に、あの時点で知っていた人間はいないはずだ」


「じゃあ五瀬さんは景子と結婚しないんですか?」

「しない。もしこのまま君との契約結婚が本当に終わってしまったとしても俺が高野景子と結婚することはあり得ない」


(なんだかおかしな気分になってきたわ・・誰かが前にも同じことを言っていたような気がする)


「それと、君と涼は恋人同士じゃない。涼が君の面倒を見ていたのは俺が頼んだからだ」


(こんな風に言ってしまっては沙耶が傷付くだろうか? でも早いうちに誤解は解いておかないと時間が経ってからではもっと傷が深くなってしまうだろう・・)


「そ、そうですか。それも景子の嘘ですか。どうりで池田さんが妙に他人行儀な気がしました」


「すまないな、君の気持ちを踏みにじる様な言い方をして。でも今ならまだ傷が浅くて済むかと・・」

「いえ、五瀬さんが謝ることじゃないです。私は本当のことを早く知れて良かったと思います。池田さんにもご迷惑をお掛けしなくて良かったわ」


(私が傷付く事はないんだけれど、さっきの返事の仕方がまずかったかしら)



 特別に贅沢ではないが、良質の素材を使った懐石料理も終盤にさしかかっていた。


 

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