2days「その名は士官学校」



「………はぁぁ」


 そりゃ溜息だって出る。

 生まれてこの方安アパートしか知らなかった私は、まず高層ビルの中に入りエレベーターに乗った時点でテンションが上がっていた。

 しかも恐らく最先端なのであろう、宙に浮いてるみたいにエレベーターである球体は何もない吹き抜けの空間に剥き出しで上がったり下がったりしているのだ。

 いったいどこに吊るしているワイヤーがあるのか私には見つけることが出来ない。

 球体だけで上がったり下がったりいったいどうやっているのだろう。

 リニアモーターカー的な磁力かなにかだろうか。

 秋奈に連れられそれに乗り込む。

 すると外からは真っ白な壁だと思っていたそれは中に入ると透明で外が見える、めちゃくちゃ見える。

 高所恐怖症だったら死んでいたであろうレベルで見える。

 それから目的地の階が最上階だったことにもボルテージは最高潮である。

 パネルみたいなものでピコピコ光が一番上まで動いていたので間違いない。

 そして階に到着して降りた瞬間に、そこはもうそのフロアになっていたのだ。

 エレベーターに乗っていた時は吹き抜けなのか1階のロビーまで見えたのに降りた途端にもう見えない。そこは床だ。まるで急にこのフロアが現れたような感じだった。

 それから秋奈は目の前にある丸っぽい扉に向かって迷いなく歩き出す。

 けれども私はそれに動揺する。だってその扉は取っ手が無いのだ。どうやって開くのか、思っていたら秋奈が近づくと同時にシュっと横に開いた。

 なんだ自動ドアか、それなら知っている、貧乏人でも自動ドアくらい慣れ親しんでいる、エレベーターで驚きすぎて感覚が馬鹿になっている、落ち着こう。

 これは知ってる、驚いた私が馬鹿だった。

 そして冒頭の溜息である。

 自動ドアをくぐったそこは秋奈の自室なのか観葉植物やソファなどが置かれていてここはモデルハウスかと言いたくなるほどお洒落で綺麗で広いのだ。

 私が入り口で立ち尽くしていると、秋奈はどこからいつの間に持ってきたのか何か飲み物の入ったコップをひとつ持って部屋に戻ってきた。

 それからソファの前のテーブルに置いて私を手招く。

 遠慮しつつも呼ばれたのだからと私はソファまでやって来ると秋奈の無表情を伺いながらそのソファに腰を掛けた。


「秋奈ってお金持ちなんだね」

「………」


 秋奈は何も言わなかった。

 けれども少しだけ私をじっと見つめて、ほんの僅かにその口角を上げた気がした。

 その表情に大口を開けたのは今度は私の方だ。


「秋奈が笑った………」

「なんだい、狐につままれたような顔して。笑うのがそんなに可笑しいかい?」

「あ、すいません………失礼なこと言いました」


 普段からこんなに失礼な訳では無いが、秋奈がどうも人間離れしていたので礼を欠いてしまっていた。

 発言もそうだが、年上(であろう)に対して呼び捨ても失礼だった。

 私は改めて秋奈に向き直ると「私は藤堂椿、椿でいいですよ!」と一応度重なる転校で培った好感度の良いお得意の笑顔を浮かべてみせた。


「知っているよ、椿。私も秋奈で良い」


 すると秋奈はついと視線を逸らしてしまったけれどそう返事をしてくれた。


「それで、椿に説明をしよう」

「あー、そうそう。それなんですけど」


 目の前のコップを取って遠慮なく飲み干した。

 どうやらホットミルクだったようでほのかに甘くとてもおいしかった。

 それのおかげで少しだけ落ち着いた私は、コップを置きながら秋奈の言葉を遮った。


「難しいことは聞いたって分かんないし、異世界だかなんだか理解出来る気がしないからさぁ………簡潔にこれだけ教えて下さい!」


 ここに来るまでにたくさんの不思議なものを見た。

 それは私が見たこともない想像も考察も出来そうにないものばかり、私の知る限りの知識にはないものばかり。

 そんなもの、いくら考えたって私に理解出来る範疇を超えている。

 異世界だとか見たこともないこの世界の建物だとか機械だとか、それはもう慣れればいいのだ。

 こんなの今まで散々経験してきた転校と何ら変わらない。

 私にとっての問題はそこじゃない。


「全寮制で三食昼寝付き、お小遣いまでもらえる学校というのはこちらにあるんですかね!?」


 そう、問題はそれだけだ。

 私は今日から高校生になる筈だった。初めてスクールライフを謳歌する予定だった。

 そして親父は言った、全寮制で三食昼寝付き、お小遣いまで付いて高校生活が送れると!


「衣食住の心配せずに通える高校があるって、親父がそう言ってたんですけど!! どうなんでしょう?!」


 勢いで立ち上がり、鼻息も荒く秋奈に詰め寄る。

 これにはさすがの秋奈も眉を潜めて身を引いてみせた。

 けれども私は引かない、引いてたまるか。


「いざ来い! 私のスクールライフ!!」


 そう、私はその為に今日この日を迎えたのだから!


「あの親にしてこの子あり………か………随分平馬似に育ったね」


 平馬、というのは私の父の名だ。

 爛々と輝く私の瞳を無表情で見つめ返しながら、ため息交じりに呟くと秋奈は立ち上がり、背後の壁に掛けられた服を手に取った。

 それはそう、制服というよりは男物の………あれだ、軍服と言った方が近い気がする。


「はい、これ」


 そしてそれを乱暴に投げてよこされる。

 私は何とか受け取って腕の中にあるそれをじっと見つめた。

 今着ているセーラー服とは似ても似つかないその制服。


「椿は明日から士官学校に入ってもらうから」


 首を傾げた。ちょっと耳掃除していなかったからよく聞こえなかったらしい。


「えーと? 明日から学校?」

「士官学校」


 秋奈は心底面倒くさそうに私に歩み寄って来ると、なおも首をかしげている私の耳をぐいと引っ張り、耳元で囁いた。


「士官学校に入学するんだよ、君がね、椿」


 軍服を見つめ、士官学校の文字を反芻する。

 それはつまり、どういうことだろうか。

 それはつまり、普通の高校ではないということで。

 それはそうか、全寮制で三食昼寝付きでお小遣いまで付く普通の高校などある訳が無かったのだ。

 私は、つまり。


「え? 私軍隊に売られたの?」

「その結論はどうしたら出るんだい」


 立ったまま灰になっている私にソファにどかりと座ってからテーブルに片肘をついて秋奈が言う。

 さすがに呆れているようだ。

 けれども私はもう少しだけ、憧れていた普通のスクールライフを今回もやっぱり送れそうもないこの呪われた運命を嘆いていたいのだ。


「………平馬と私のことは聞かないんだね」


 ふいにポツリと、どこかに視線を逸らしながら秋菜は言った。

 その様子がどことなく不機嫌なように見えて、私は眉を寄せる。

 秋菜と親父は、一体どのような関係なのだろうか。

 けれどもこの人が親父に頼まれて私の世話してくれている、という私の考察は恐らく間違ってはいないだろう。


「秋菜は親父のことよく知ってるみたいだけど、私も親父のことは分かってるつもりだよ」


 秋菜は少しだけ鋭くした視線で私を見つめた。私はその視線に満面の笑みで答える。


「親父は先に行っててくれって言ったから、私はここで親父を待つ」


 気になることは山ほどある、けれど秋菜は誤魔化した。

 昔から秘密の多い人だったから、大方親父が口止めでもしているのだろう。

 私はそれを無理矢理に知ろうとは思わない。

 その度に、父はいつだってとても悲しそうな辛そうな顔をする。だから、話してくれるまでは聞かないことにしたのだ。

 お母さんのことも、仕事のことも、お父さんのことも、だから私は本当はほとんど何も知らない。

 妻には逃げられたのだろう、というのはあくまで私の予想なのだ。

 誤魔化しの多い人だった、だけど。


「父さんは、嘘吐かないもん。それに父さんを信じてるから、秋菜のことも信じられる。それだけのことだよ」


 秋菜はやっぱり無表情で私を見つめていた。あんまり穴が開く程見つめて来るので、恥ずかしくて誤魔化すように頬をかく。


「えーと、それでその、私はこれからどうしたら………」


 普段親父なんて呼んでイキっているのについ父さんと言ってしまった思春期特有の恥ずかしさで頬を染めていると、急に秋菜は立ち上がったかと思うと至近距離まで近づいて来て私の髪をひとふさ掬い上げた。

 そのいきなりの行動に反応出来ずに居ると、今度はその髪に鼻を近づけて何の遠慮も無くくんくんと嗅ぎ始めたではないか!


「なっななななな!!!」


 恥ずかしさに頭が沸騰した。

 直後である。


「やぁ椿ちゃん!! 到着したと聞いたぞー!」


 シャッと自動ドアが開く音と共に、急に部屋に数人のたいそう立派に見える軍服を着た男達が雪崩れ込んできた。

 急なことに秋菜に匂いを嗅がれたまま私は口を開けてその男の人たちに顔を向ける。

 そうこうして居る間に秋菜は髪を離して今度は私の首元を嗅ぎ始めた。

 私はそれにわなわなと震える。恥ずかしい、恥ずかしすぎる。

 なぜ私は急にこんなセクハラを受けなければならないのか!!

 あとは入って来た人たち誰?!


「やめて! 勝手に嗅がないで! 駄目だから! あと誰ですか?! あなた達は!」


 余りのパニックについ声を荒げて叫んでしまったが、そのお陰か単に気が済んだのか秋菜は離れてくれて、この光景を目撃して静止していた男の人たちもハッとしたように「何やってるんだい!」と代表者らしき男が声を荒げた。


「………閣下自らお出迎えですか?」


 しかし秋菜は何事もなかったように澄ました顔で男にそう言い放った。

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