売られた先は異世界の士官学校でした。

壱百苑ライタ

1days「ドナドナ的なあれ」

 売られた先は異世界の士官学校でした。



「いっけなーい! 遅刻遅刻!」


 私はそう言いながら目の前のこんがり焼けたトーストを口に咥え、鞄をふん掴み、四畳半一間の安アパートの玄関へと駆け出した。


「まぁまぁ待つんだ椿ちゃん!」


 が、しかし。

 そんな私の首根っこを掴んで止めたのは実の父だ。

 振り返ったそこにある胡散臭い笑顔に思い切り舌打ちをしてから、ゴミを見るような目で見つめれば、「椿ちゃんったらひどーい」などとふざけた悲鳴を上げやがる。

 ちなみに時計の短針は7を、長針は6を指している。時刻は7時半、実は全く遅刻する時間では無い。

 むしろ余裕である。

 では何故今私はうすら寒い台詞を述べながら家を慌てて出なければならなかったのか。


「今日から高校は行かなくていいんだよ!」


 そう、それはこの目の前の親父が起きぬけに欠伸をしながらそんな訳の分からないとち狂ったことを言い出した事に起因する。


「何!? 入学初日からまた転校!? それってあんまりじゃないですか!?」


 最早半泣きで私は親父に持っていた鞄を投げ付けた。ちなみに口を開いたせいで落下したパンはしっかりとキャッチした、食べ物を粗末にするやつには天罰が下る。

 さて、鞄を顔面で受け止めた親父のぶふぅなどという情けない声を後ろ背に、私は制服のまま玄関を出て駆け出した。

 向かうは近所の公園、そこで思う存分砂場を掘りまくりその穴に向かって文句を叫ぶ、それが私のストレス発散方法である。

 分かっている、親父の仕事の都合でもう何度となく転校してきた。

 一年同じ場所に居れたら良い方で、ほとんどが半年も経たずに引っ越さなければならない人生だった。

 そんな親父がいったいどんな仕事をしているのかというと、実はそれを未だに教えてもらったことがない。

 まぁ、この安アパート節約暮らしからして碌な仕事では無いのだろう。

 私が学校に行った後に出かけて、夜遅く寝静まった後に帰って来る毎日だ。

 たまの休日だってほとんど何処かに出かけてしまって私は一人で家事や宿題。

 けれども中三の夏から引っ越してきたこの場所で、高校受験をして良いかと聞けば親父は勿論だと答えたのだ。

 その言葉に舞い上がり、高校に行けるのだという喜びで私は必死に勉強し、見事公立の高校に合格。

 今日がその入学式という晴れの日に!


「クソ親父がぁ!! 入学式に転校ってなんじゃぁ!! もうちょっと考えろボケェ!!」


 最早職人芸に達した即席の深い穴に顔を埋め、叫んだ。

 桜舞い散る朝の公園、早起きの老人の乾布摩擦の背後で叫ぶ。


「………いや、待てよ」


 だがしかし、そんな長閑で春爛漫な景色を背に、私は顎に手を当てて考え込む。


「あいつ行かなくていいって言ってたな………いやまさか、いやもしや?」


 そう、行かなくていいと言ったのだ。

 いつもは「転校だよ!」とか「今日から別の学校だよ!」とかそういう言い方だったのに。

 よく考えれば高校の転校は中学までと違い編入試験など必要なのでは?

 私は試験など全く受けた記憶がない。

 それはつまり、もしかして、気が変わってやっぱりお金が無いから高校は行かずに働いてねとかもしかしてそういう?

 いやいや、確かにあの人はクソ親父だ。妻に逃げられ稼ぎも悪い甲斐性なしだ。

 けれども私を何とか普通に育て上げる為に必死に働いてくれていたのは本当だ。

 高校だって、心配するなと塾まで行かせてくれて、お蔭様で家事ばっかりやっていたせいでろくに勉強も出来なかった私が何とか合格して今日から入学、その筈だ。

 必要とあらば私は一人暮らしだって辞さない、もう高校生なのだからそれくらい出来る。

 だって今まで家事はほとんど自分でしていたのだ。

 あぁ、でも確かに家賃や生活費まで稼ぎながら学校もとなると夜間高校でないと無理だろうか。

 いやだから、つまり?


「椿ちゃん」


 びくり、肩が跳ねた。


「クソ親父………」

「またパパって呼んでほしいなぁ~」


 甘えたような声を出す、何を言われてもどれだけ反抗してもクソ親父はいつだってそうやって満面の笑みで私を撫ぜるのだ。

 鬱陶しくて、腹立たしくて、そんな親父を疎ましく思っている思春期現在進行形だけれども、だけどその笑顔は狡いと思う。

 私はいつだって、その愛しそうに私を見つめる瞳に何も言えなくなってしまうから。


「今日までありがとう、だけどもうこんな苦労はしなくてもいいんだよ」

「………何言ってんの? 苦労って何だよ、別に苦労なんか………」

「僕が不甲斐ない所為で、転校ばかりで友達も作れず、家事ばっかりで遊ぶことも出来ず……子供らしいことをさせてあげられなかったね」


 言葉に詰まり、私は俯いた。

 そんな事を今言うのは狡い。しかも親父からそれを言うのは、余りにも狡い。


「だけど、それも今日で終わりだよ」


 弾かれたように顔を上げた。

 親父は笑っていた。けれどその笑顔はいつもと少し違って、どこか寂しげな様子だった。

 心臓が高鳴る。

 桜が風に舞う。


「全寮制で三食昼寝付き!!」


 親父が叫んだ。


「しかも毎月お小遣いまで貰えます!!」


 私は目を見開く。


「パパとは離れ離れになっちゃうけど……」

「最高!」


 父が言い終わる前に食い気味で親指をぐっと立てた。

 それから静かに拳を握り「っしゃ」と肘を引きガッツポーズ。


「さすが椿ちゃん、僕が育てただけのことはある………パパ泣いちゃう………」

「で? その天国のような学校は何処なの? いつが入学式? 試験無しで入れちゃうの?」


 親父に歩み寄りながら私は矢継ぎ早に問う。けれどもふいにそれを聞いた父の表情が曇った。

 その表情に疑問を覚えるよりも父が私の手を引いて自分の背に隠す方が早かった。


「もう、嗅ぎつかれたか………」


 まるで父のものとは思えない低く静かな声が聞こえた。

 同時に父が私を何かから庇うように手をかざしたので、私の視界は遮られ父が何から私を守っているのか分からない。


「何度来てもお前にこの子は渡さない!! いい加減目を覚ませ!!」


 直後私は背を押され「走れ!!」という初めて聞く父の緊迫した絶叫に反射的に押された方へ走り出す。


「お前こそ、いつまで夢を見ているつもりだい?」


 背後から父の声とは別の声がする。

 それでも私は取り憑かれたように振り返れず、気付けば公園の外へと辿り着いていた。


「分かってもらえないなら、実力行使しかないなぁ」

「絶対に、あの子に手は出させない」


 肩で息をした、ぜいぜいと苦しくて、けれど背後の会話に聞き耳だけ立てて。

 一体何が起こっているのだろう、一体なんの会話をしているのだろう。

 私たちはちょっと貧乏な普通の家庭の筈だ、まさか借金取り!?

 わたしは借金のカタにどこかに売られそうなのか?!

 顔を上げた、直後目の前に立っていた人物に私は驚いて思わず眼を見開く。

 一体いつの間に居たのか、少し変わった服装でとても中性的な美しさを持つ綺麗な女性が目の前に立っていた。

 その人が、何故だか無表情でじっと私を見つめている。

 私は後ずさった、そして目の前の人物の得体の知れなさに恐怖を覚え父の下へ戻ろうと踵を返そうとした、その時。


「秋奈!!」

「………分かったよ」


 振り返るよりも先に私は手首を掴まれ強制的に引き寄せられる。そして気付けばその何者なのか分からない人物に突然顔を胸に押し付けるように抱きしめられていた。


「な、何!? 何なの!?」

「椿、先に行っててくれ! 必ず後から迎えに行くから!」

「父さんっっ!?」


 磊落な父の声に振り返った瞬間、視界の端でこちらを向いていつも通りに笑顔を浮かべている父がまるで映像が乱れるように搔き消える。


「………っ放せ!!」

「もう遅い」


 秋菜と呼ばれたその人の体を押し退けて、父の様子を確認しようと体ごと振り返った。


「………っへ?」


 そこは、先ほどまで居た公園などでは無くて。


「ここはリヒテンシュタイン、君にとっては“異世界”と言うべきかな?」


 背後で声がするが、私はそれどころではなかった。

 その言葉は今目の前で起こっていることを処理するのに精一杯で、右から左へ抜けていく。

 私の目の前には、桜舞い散る長閑な公園が広がっている筈なのだ。

 そしてそこで、父が訳の分からないことを言っていて、誰かと会話していて。

 だから。


「なんで………」


 ぽつり呟いた。

 目の前には見たこともない光景があった、しかも小さな田舎町の家どころの規模ではない。

 どこかの工業地帯、と言った方がイメージは近いだろうか。

 そこに東京タワーよりもスカイツリーよりも高いであろう高層ビルがまるで空をも食い散らかすように何棟も聳え立つ。

 いつかニュースで見た東京か、いやむしろニューヨークか。

 とにかくその都会と工業地帯ふたつを掛け合わせたような、そんな光景が目の前には広がっていた。


「さっきまでド田舎だったのに!!」

「………説明に骨が折れそうだね」


 背後からの声に大袈裟な動作で振り返ろうとした瞬間、急に足の力が抜けてべしゃりと尻もちをついてしまった。

 情けない話だが、それくらいには動揺していたらしい。

 そんな情けのない姿で見上げれば、そこには先程の公園を出たところで出会った女性が仏頂面で私に手を差し伸べて立っていた。

 人を馬鹿にするのか助けるのかどちらかにしてほしい表情と行動の乖離っぷりに口角をひくつかせながらも、その手を取って立ち上がり、私は「ありがとうございます」とだけ言ってその女性と距離を取る。


「怪しいものではないよ、貴方の父親とは旧知の仲さ」

「は!? もしやアナタ………!!」

「愛人などという薄っぺらな関係ではないので二度と口に出すなよ小娘」

「怖い」


 ここまでの間、目の前の女性の表情はぴくりとも変わらなかった。それが怖い。怖すぎる。


「そもそも私は女ではないよ」

「え!? 男なの!? 髪の毛長いし睫毛長いし私より綺麗な顔してるのに!?」

「まあ、そうだね」

「そうだね!?」


 いつもの調子で自虐を交えてみたが気持ち良い程に肯定されてしまったので、こちらも潔く認めるしか無い。

 拳を握りしめ「くぅ」と目を閉じた私をそいつ………そうだ秋奈はやっぱり無表情で見つめていた。


「て、そうじゃなくて!! 親父は、親父はどこ!? どうなったの!?」

「………さぁ、とりあえず椿だけ連れて来たからね」


 その言葉に私は思わず眉間に皺を寄せる。


「父さん、借金とかですか? お人好しだから誰かの保証人に? それとも私の学費のために!?」

「ああ、うんそうそんなところ」


 私は秋菜を見つめた、真顔で見つめた。

 秋菜は動じなかった。嘘を吐いているのかそうじゃないのかいまいち読み取れない。


「借金のカタに自分の娘を売るわけにはいかないからね、自分の臓器でも売るんじゃないかな?」


 そのブラックジョークなのか本気なのか分からない秋菜の言葉に私は顔面蒼白させる。

 いやそんな訳はない!絶対にない!

 この人は嘘をついている。

 表情からは無表情すぎてとても読み取れはしないが、受け答えが適当すぎるのでそれは間違いない筈だ。

 まぁ、今現在自分が置かれているこの状況自体が荒唐無稽であまりにも現実離れしていて信じるもくそもないのだけれど………そう考えると泣けてきた。


「もう嫌だ………何なの? 今日は高校の入学式で新たな生活がスタートする筈じゃなかったの?」


 半泣きで崩れ落ちた。

 哀れかな我が人生、普通の生活がしたいと願い続けて15年、ついに降りかかってきたのはどこかの物語で読んだようなあれだ、あれ。


「異世界トリップかよ………」


 夢なら早く醒めれば良い。どうせ夢なら開き直ってとりあえず流れに身をまかせるべきだろうか。


「………あの、説明願えますかね?」


 ならばもう、この場所で私が縋れるのは目の前のこの人しかいない。

 立ち上がり真っ直ぐに見つめた。

 まるで女性のようにしか見えないその人は、確かに胸はぺったんこで男性に見えなくもない。

 少しだけぽってりとした唇が女らしいが、骨格はどこか中性的だ。


「その話だけど、場所を変えてもいいかな?」


 名乗りあっていないがもう勝手に呼ぶが、(多分)秋奈(であろう)は言いながら私に周囲を見ろと目配せした。

 見ればいつの間に現れたのか、数人の制服のような同じ服を着た男達がこちらを好奇の目で見つめている。


「こっちだよ、着いておいで」


 その視線に居た堪れず身を縮こませた私は、素直に秋菜に従って歩き出した。


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