4. 新世界の様子を少しだけ

「いつになったら引退させてくれるのかねぇ」


 ダンジョン危機が終焉し、新世界が到来したことをきっかけに探索者協会の会長を辞めようと思っていた温水だが、周囲からの強い期待に押されて逃げ……辞められなかった。


「やることなんか書類にハンコを押すことくらいじゃないか。こんなの誰だって出来るわよ」


 本当にそれだけならば、確かに温水が居なくとも構わないだろう。

 だがダンジョンの仕様変更による探索者の新ルール調整には誰もが頭を抱えるところであり、関係各所との調整が大量に必要となることもあって、協会として素早く行動するためには温水がトップでバリバリと働いてもらうことが一番スマートなやり方だったのだ。


 もちろんそれでは後任が育たないため、普段は後任候補を指導しながらの作業となっているのだが、今日はその候補が別件で会長室にはおらず、これ幸いにと一人で愚痴を言いまくっていた。


「何々、ダンジョン産アイテムの売却価格についてってそんなの専門家に任せなさいよ。経済の話なんて分かるわけないじゃない」


 ダンジョン新時代が幕開けし、日本ではダンジョン産アイテムを民間に開放し、自由に売り買いが出来るようになった。探索者協会でも引き続き売買は可能であるが、これまでとは違いダンジョン産アイテムの価格変動がすさまじいため、適切な価格設定というのが分からず困っていた。協会の運営費にも影響を及ぼすため適当な値付けは許されず、経営のプロを呼び入れてどうにかやりくりしているというのが現状だった。


「まったく、こんなにも早く市場が活性化するだなんて予想外だったわ。あの子ったら、どこまで予想出来ていたのかしら」


 あの子、というのは友3のこと。

 なんと友3はラストダンジョンをクリアすることで魔力をダンジョン外でも自由に使えるようになるのではと予想して研究をしていたのだった。しかも魔石が出現することも予測していて、ラストダンジョンがクリアされてから一か月経たずに魔石の実用化に成功した。そしてその研究成果を独占することなく世界に発信したことでエネルギー革命がスタートしていたのだ。


 また、スタートしたのはエネルギー関連だけでは無かった。友3が研究していたのはあくまでも魔力についてであったため、魔力をふんだんに含んだダンジョン産アイテムについてもこれまでには無かった多くの活用方法を見出した。


 その結果がダンジョンバブル。


 世界中が歴史的な大好況になり、人々の生活が目に見えて豊かになっていった。


 現在友3は救に負けず劣らず世界的に有名な人物となっているのだが、本業は救の生活サポートと言い張っており表舞台にはほとんど出てこない。


「次は……ダンジョン犯罪者の処遇について。また面倒な話を持って来たわね」


 ダンジョン犯罪者。

 ここで示されているのはスライム事変で捕まった犯罪者たちの事。


 スライムに吸収されていた時のおぞましい記憶を呼び起こす特殊なリングで行動を封じ、特に悪質な者は世間から隔離して実験、もとい罰を受けていた。


 ラストダンジョン攻略後、ダンジョンの外で自由にスキルが使えるようになったことで、彼らは自力でリングを破壊して精神を回復して逃げ出すのかと思われたが、彼らだけは依然としてスキルが封じられたままだった。


 それなら何も問題がないかと思われるが、いつまでも隔離しておくわけにはいかない。

 彼らを生かし続けるということは、コストがかかるということ。

 だからといって処分してしまえばそれはそれで色々な問題が噴出する。


 こんなことなら事件当時に処分しておけば良かったと半ば本気で考えてしまうくらい、温水にとって頭が痛い問題だった。


「今は関わっている余裕が無いから後回しね。というより国に任せましょう」


 ダンジョンに対するネガティブなイメージが反転し、社会を豊かにするために積極的にダンジョンを活用する風潮になった今、探索者の数が激増している。

 世界中の多くの人の心が良い方向に変わりつつあるとはいえ、犯罪者になりうる人物はまだまだ多い。そんな彼らが探索者になりスキルを得て事件を起こすことは想像に難くない。

 これまでは外で攻撃的なスキルをほとんど使えなかったから既存の司法の仕組みでどうにか対処できたが、これからはそうもいかない。捕まえる側や守る側もスキルを使えるようにならなければならない。


 ということで対ダンジョン犯罪者向けの新たな組織や法が急ピッチで整備されようとしていた。

 それならスライム事変で捕まった犯罪者達もそっちに任せてしまえば良いというのが温水の判断だった。


 これで考えなくて良くなったと安堵した温水だが、国からどうしたら良いかと泣きつかれて結局自分が考えることになる未来が来ることにまだ気付いていなかった。


「次は……ダンジョン差別について。どうしてうちがこんなこと考えなければならないのよ」


 ダンジョン差別。


 これはいわゆる『変われなかった人達』に対する差別のこと。

 ただし差別する人もまた『変われなかった人達』。


 『変われなかった人達』が『変われなかった人達』自身を差別している。


 『変われた人達』や『変わる必要の無かった人達』は元から誰かを差別するようなことは無い。

 もちろんこれまで差別されていて苦汁を飲まされてきた人達は思う所が無いわけではない。だが彼らはそれを飲み込んで前に進める強さを得ていた。


 差別するのは心が弱い者。


 世間が『変われなかった自分』を責めているのだと被害妄想に憑りつかれ、いわゆる面倒臭い人物となって問題となっているのだった。


 どうせお前ら心の中で俺を馬鹿にしてるのだろう。

 はいはい俺が悪かったですよ。

 俺を責めるのがそんなに楽しいのか?


 誰も何も言っていないにも関わらず、自分で自分を貶めて他者を困らせる。


 あまりにも面倒臭いのだが、それに関わって炎上すると『ほら見た事か』と調子に乗って自虐するから手に負えない。


「結局のところ自分のことしか考えてないのでしょう。こんなのに構っている方が時間の無駄よ。出来るだけ放置推奨っと」 


 『変われなかった人』関連であれば、こんなかまってちゃんよりも静かに悪意を溜める犯罪者候補たちの方がよっぽど問題だ。逆ギレして暴走するタイプもそうだが、自らの利益のために他人を傷つけようとする輩は絶対に出てくる。

 探索者協会としてそちらを最優先に対処しなければならないと温水は様々な角度から対策を検討していた。


「はぁ~もう嫌。探索者に戻りたい。さっさと二心さんにでも会長を押し付けてダンジョンもぐりた~い」


 大量の書類を手に取るのを止め、温水は愚痴を言いながら大きく伸びをした。


 がお~


 しかし休む間もなくLIONに誰かからの通知が届いた。


「日米首脳会談を芙魏野ふぎや村で開催したいって? 馬鹿じゃないの?」


 ラストダンジョンが出現した長野県の廃村。

 そこは今、とある人物の私有地となっていて、そこを探索者協会が借りている形になっていた。


 村の名前も変化したのだが、土地の所有者がその意味に気付くのが遅れ、気付いた時には大反対してもすでに一般的に根付いていて変えられなくなっていた。


 通称ぷぎゃ村。


 急速な発展を遂げつつあり既に村とは思えない有様のその場所が、やがて新たな国になるのではと予想している人もいた。もちろん国王は例の人物である。


 探索者協会としてはあくまでも借りているだけなので、この場所で何かをやりたいと問い合わせをされても許可など出せるわけが無い。貸主はお好きにどうぞと言ってくれるだろうが、彼らの本当の狙いは貸主に参加してもらうこと。そんな話をしたら恥ずかしがり屋の貸主は絶対に許可しないだろうからいつものようにだまし討ちするしかない。


 それはそれで面白いのだが、感謝パーティーのようなものならまだしも、政治的な要因の強いイベントになど参加させられるわけが無い。


 分からせられた日本の現総理がそんな愚かな判断をするとは思えないため、恐らくはアメリカ側の誰かが暴走した結果問い合わせが来たのだろう。

 間に入って連絡してきた部下には悪いけれど、怒りのスタンプで返信しておいた。


「よし、しばらく休憩!」


 時間を確認したらそろそろアレが始まる時間だった。


 書類を片付け、スマホの電源も切り、ノートパソコンを立ち上げて例のアレを表示する。


 忙しくて仕事漬けの温水にとって唯一の癒しの時間。

 どうしても休めない時でも仕事をしながら流していた。


「今日もまた可愛いのお願いね」


 本当の孫のように可愛がっている小さな英雄。

 その姿が画面に映るのを温水は楽しみに待っていた。

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