Episode.Ⅰ-Ⅲ:Versus Hammer-Fish

鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュの出自は地下ではない。

地上で生まれ、代々続く精肉店を営む平凡な男だった。

彼が歪んだのは、家の敷地に糞をする猫に腹を立て、捕獲し殺したことからはじまった。


生きた猫の両脚の骨を砕いた後、

その体をミンサーですり潰した。猫の悲鳴と肉を潰す言い表せぬ感触に彼は憑りつかれ、そしてのめり込んでいった。警察が気づいたときには彼は自身の妻と子を同じようにすり潰し殺害しており、逃亡の末に地下へとたどり着いた。






荷物を放り出して、そのまま後ろに飛びのいた。

目の前の影に得体のしれない恐怖を感じる。

関わってはいけない人間だと、本能が警鐘を鳴らす。


「ああ、いいね。見たところまだ若い。齢の程は十八…いや七かな?若い肉は張りがあって、キメが細かい…健康的で素敵だ。」


ぼんやりとした視界の中で、墓石にぶつかる。

相手の目もまた既に暗闇には慣れているようだ。


「どれくらいかな、一、二、三…」


男は左手の指を一本ずつ指折り数えながら、ぶつぶつを何かを唱えている。右腕は歪な鉄鎚の形をしており、既に人間の腕としての原型はない。


「七日ぶりだ!女子供の肉をすり潰すのは!君は知っているかい?男の肉は筋肉や骨が太いことが多いから潰しがいがある、だけど女の肉は柔らかくて弾力があって…何より、マシュマロのように簡単に潰れる。とても私の好みだ。」


「(声が出ない…一体何、コイツ…!?)」


「ああ、怯えているんだね。大丈夫。失禁しても嘔吐しても、私は一向にかまわないよ。私に食人カニバル趣味はないから、汚れていても気にはならない。安心してくれ。」


「何を安心しろって…!?」


ようやく喉から枯れた声が出た。

メイヒは地面にあった石を掴むと、それを思いきり男に向かって投げた。鉄を弾く金属音がして、それが全くダメージになっていないことを悟る。


「ああ、それはダメだ。逃げてはいけない。」


力の入らない両足に力を込めて走り出す。

一日中歩き続けた疲れも痛みも、今は感じなかった。


「ずぅっと我慢していた。今日はようやく発散できる。余計なトラブルが舞い込んだせいで私もずいぶんと苦労したが…それで君に会えたのなら、幸運なことだと今は思うよ。」


恋人に語りかけるような甘い言葉を男は続けた。

ぶんぶんと腕を振りながら男がこちらへ向かう度、

感じていた不快な臭いがメイヒに振り撒かれる。そうして、メイヒは気づく。錆びた鉄に腐敗した生ごみに付け込んだような異臭…それは男の歪な右腕から放たれていた。


「来ないで!!」


メイヒは墓石を盾に逃げ回り、砂を思いきり掴んで振りかける。しかし、男の歩みを止められたのはほんの一瞬だった。


「お嬢さん、私のことは知っているかい?見たところ地上の子だろうから、知らないのも無理はない。」


「私は鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュ…この地下で私のことを知らないものはいない。だから、そんな風に逃げたりしても無駄なんだよ。絶対に逃げ切れやしないんだ。」


鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュの振り下ろした鎚が、

メイヒの衣類の端を掠めた。よろけて倒れ込むメイヒを見て、しわがれた声に喜びの色が帯びる。


「君をすり潰したとき、どんな感触がするだろう…!?とてもとても楽しみだよ!」


その時メイヒは、初めて至近距離で、

鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュの振り上げた大鎚を見た。

変色した鉄の塊に、まだ目新しい肉片がこびりついている。人間を生きたまま潰し、飛び散った血や肉片を洗い流すこともなく、次々と新しいターゲットを襲っている。


「いや!死にたくない!!」


異臭の正体が分かった。それが何だというのか。

メイヒは目の前の現実から目を背けるように、両手で頭を抱えて目を閉じた。


「よく響くいい声だぜっ!!」


そういった声とともに、ワタルが風車板エア・シューターごと鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュに突っ込んできた。







ハカセはコンピュータの扱いに長けていた。

工房に昔からあったPCや配線を弄っては改造し、

地下に張り巡らされているネットワークを十五歳にして把握してしまっていた。


地下ここの技術は十年以上遅れてる。地上の最新技術はこんなもんじゃないよ。』


それはハカセの口癖であり、よく地上へと足を運ぶワタルに部品やカタログを持ち帰るように求めていた。


『しらみつぶしに探せっつってもなぁ…この地下にいくつの監視カメラがあるんだって話だけど。そもそも鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュめんって割れてるのか、ハカセ?』


『割れてなかった。もともとはな。伝わっていた情報は、右腕が『からくり』改造された歪なシルエットで、五十前後の大男だってことだけだ。』


『それじゃあ、見つけようがないんじゃないのか。』


『言ったろ、もともとは、だ。抵抗軍の連中に手を出したせいで、あっという間にアイツの情報は地下中に広まってるよ。モンタージュも出来た。』


『どれどれ…気色悪い面だな。異常者だってのが見た目で伝わるぜ。』


ハカセは、工房に住む人間たちの無教養さや無神経さに

時々腹が立つことがある。地下の生活をする上での

重要な情報だというのに、ワタルもカイトも

鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュのことを知らなすぎるし、知ろうともしていなかったからである。


『メイヒは墓場の方角へ向かっていったらしい。人通りは少ないし、隠れて殺しをしたいやつにとっては都合のいい場所だ。急がないと――――』


『それだけ情報が揃ってれば、探すのなんてわけないよ。ちょっと待って…』


「…それで、詳しいことは省くけど、ハカセに頼んでいろいろ調べてもらった!いやぁ、助かったよ。おかげでメイヒを見つけられた!」


頭の中での会話をほとんどかいつまんで説明したので、

ワタルの言っていることはメイヒにはほとんど何も

伝わっていなかった。ただ一つだけ、「助けに来た」という事実だけがメイヒは感じ取り、そしてそれが身体中に広がっていった。


「あ―――ありが…」


「お礼はあと!さっさとズラかろうぜ、こんな――――」


言いかけたとき、瓦礫の中から大鎚が

這い出てきて地面を強打した。ワタルは「おおっ!」と

言いながらそれをよけると、男からメイヒを庇うように間に入った。


「ふふ、ふふふふふふ…!今日は、とってもツイてる!子供と、女の肉…どちらも一晩で、すり潰せるのだから。」


「後頭部思いきり突進したんだけどな…いや、だからあんな感じになっちゃってるのかな?」


ワタルの軽口には、メイヒを安心させようという想いが

込められていた。しかし、目の前で立ち上がってきた凶悪犯を見て、ワタル自身も身が竦む。


「ワタル、逃げよう!こんな奴と戦ったりしたら――」


「俺も同意見。けど…」


先刻の一撃。

身体を掠めただけでダメージはなかったが、

その際に風車板に被弾してしまった。


「(たぶん中のコイルがイカれてる。こりゃメイヒと二人で乗って逃げるのは無理だな。)」


退路は断たれた。逃げる術はない。

ワタルは目の前の殺人鬼と戦う覚悟を決めた。


「いい、いいね…もう成人の身体に近づきつつはあるが、まだ十代と幼い…君の肉は、メインディッシュにぴったりだ。そっちの可愛いお嬢さんは…うん、デザートにしよう。」


「なんで俺の歳までわかるわけ?」


「肉の質を見ればわかるさ。簡単なことだよ。」


「気持ち悪いなぁ。」


言い終わる前に、鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュは動いていた。右腕を振りぬき繰り出してきた一撃を、ワタルは重心を低く保ったまま右腕で応戦した。


「あっ…!!」


「メイヒ、さがってて!」


きりきりとした金属音がする。

折り曲げた右腕の内に左手を添え、ワタルは

大鎚の一撃を受け止めていた。


「おや、君も『からくり』かい?」


地下ここじゃ珍しくもないだろ?」


ワタルはそう言って受け止めていた右腕を下げると、

鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュの懐に潜り込みカウンターを狙った。


「っとぉ!」


鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュは深追いはしてこなかった。素早く身を引くと楽しそうに笑う。


「若いねぇ、素敵だねえ。だけど二度は受けられまい。」


メイヒはワタルの方を見た。

右腕を抑え込んで、痛みをこらえるように眉間にしわを寄せている。


「私の大鎚みぎうでは自重だけで四〇キロある。そこに遠心力をつけて思いきり殴ったんだ。重心を低くしたのは正解だったねぇ、そうでなきゃ、君の右腕は吹き飛んでたよ。」


「どうかな。」


そういったワタルは、メイヒから見ても

強がりを言っているように感じられた。それは鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュも同様だったようだ。


「隠したって駄目さぁ。私にはちゃあんとわかるんだ。なぜって、これまでいろんな肉をすり潰してきたからねぇ。」


鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュは自分の右腕に頬ずりをしながらうっとりと言った。


「君、肉をすり潰すときの感触が何種類あるか、知っているかい?」


「知ってるわけねぇだろ。」


「十人十色さ。人には千差万別、それぞれの感触がある。病気の人、筋肉質な人、肥満体型、骨密度…だから打てば分かるさ。君の腕のことくらい。」


戦闘用からくりには主に二つの種類がある。

それは「からくり改造」と「からくり武装」。

自身の生身を削る代わりに義体を取り付ける「からくり改造」、自分の肉体をベースに装備するのが「からくり武装」である。


「骨までからくりの人間とは、打った時に響く感触が違う。君は明らかに後者、生身の腕の感触だ。」


「ほんとに気色悪いやつだな…そんなに肉潰すのが好きなら、自分の肉でも好きに潰してろよ。」


「無論試したさ。それが右腕その結果だよ。おかげで体の芯から肉の感触を味わうことが出来る。」


鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュは隣の墓石を殴りつけて砕く。

石が弾丸のように飛んでくるのを、ワタルは頭部や顔を両腕で庇い何とか受けきる。しかし、腹や足に命中した鈍い音が、痛々しいダメージを連想させる。


「さあ、そろそろ頃合いだ!」


再び大鎚を振りかざしワタルを攻撃するが、

ワタルはすんでのところでそれを躱す。


「驚いた!まだ動けるとは、タフだねぇ!」


地面を転がって攻撃をかわしたワタルが、

鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュの脛めがけて蹴りをいれた。

乾いたうめき声が一瞬聞こえたが、すぐに足元に振り下ろされた大鎚を見てメイヒは顔をそむけた。


「くそ、タフなのはそっちじゃんか。脛蹴り飛ばされたら、ちょっとはよろけろっての…!」


「っふふ、すばしっこいねぇ。楽しいが、そろそろ焦らされるのはごめんだ。」


これまでの攻防を見ている限り、素人目にみても

劣勢なのはワタルの方だ。鉄鎚の半魚人はほとんどダメージを受けていないように見えるのに対し、ワタルは初撃で腕を負傷している。


「(このままだと、ワタルは殺される?そうなったら――――)」


「メイヒ!大丈夫!!」


その時、見透かしたようにワタルが叫んだ。


「メイヒ…メイヒ…そうか、お嬢さんはフォーテ人だね…?外国人の肉をすり潰すのは初めてだ…貴重な経験になりそうで心が躍るよ!」


鉄鎚の半魚人はじろりとワタルを見て、

不愉快に顔を歪ませて笑い舌なめずりをした。


「となると、ますます君のことは早めにすり潰したくなってくるなぁ…さっさとデザートに手を付けるなんてマナー違反かもしれないが…これで、ダメ押しだ。」


鉄鎚の半魚人は不自然に突起した肘の関節に鉄塊をはめ込んだ。ガチャガチャと不快な音を立てて腕を動かし、その大鎚は先ほどよりもさらに大きくなる。


「次は受け止められるかな?」


「アンタこそ、そんなに重くしたら俺についてこれないんじゃないの?」


「安心したまえよ。これは常に携帯して持ち歩いてる…むしろ、腰回りが軽くなって動きやすいとも。」


その言葉に嘘はない。動き出した鉄鎚の半魚人は先ほどよりも素早く、ワタルは墓石を使い何とかそれを躱している。メイヒは恩人の命の危機を感じ取った。


「私が…!」


意を決してメイヒは走り出した。それを見た

鉄鎚の半魚人がしわがれた声で笑う。


「おお、おお、見てみたまえ!君が命がけで守ったお嬢さんが、ここから逃げようと走っていくよ!どっちにしろ逃がしはしないというのに、バカな子だねぇ…!」


メイヒが走る先にあったのは、乗り捨ててあったワタルの風車板。


「(アレに乗って逃げる気か―――?)」


一瞬浮かんだ可能性を、鉄鎚の半魚人はすぐに捨てた。

メイヒはフォーテ人である。ジェパーニの中でも

ライセンスの必要な風車板を使いこなせるものは少なく、まして他人の改造された代物を一瞬で乗りこなせるわけもない。


「(あの出力は改造品に違いない。そうでないとあの速度は出せないからねぇ。素人の、フォーテからきたお嬢さんが、あれを使いこなせるわけがない。)」


パニックに陥って、自分だけでも逃げるようにと選択したことなのだろう。鉄鎚の半魚人はそう結論付けると再び舌なめずりをした。


「首を突っ込んだばかりにとんだ厄災だ、少年!」


ワタルが再び重心低くしゃがみ込み、

振り下ろされる大鎚の衝撃に耐えようとした。

遠心力と重さで威力は先ほどの倍以上。鉄鎚の半魚人は勝利を確信した。







「がぁ…!?」

左脚に鈍い衝撃が走り、自身の身体バランスを崩すのが分かった。鉄鎚の半魚人が事を理解するのには時を有した。


メイヒは自他共に認める博識である。

もちろんそれは育ってきた環境の中で、伏せられていた

真実を悟るほどに神がかり的なものではない。

しかし、彼女にはそれとは別に「神がかり的」と言えるほどの能力を内に秘めていた。


それは「記憶力」である。メイヒは一度見聞きした

ことを聞き漏らすことも記憶から抹消することもない。

それは一部の用語として「カメラアイ」とも呼ばれ、

子細は違えど彼女はそれと似た力を持っていた。


「(コイツ…コイツ!風車板に誰も乗せず、無人機としてこっちに起動させたということか!逃げたんじゃなかったのか!?)」


メイヒは戦闘の専門家ではない。

メイヒの目に映った光景は明らかな「劣勢」であり、

それを打破するために自分が庇護対象でいるわけにはいかないという強迫観念にも似た責任感を芽生えさせた。何より、自分を命がけで助けに来てくれたワタルを救いたいという想い。彼女は記憶を呼び起こし、ワタルの風車板起動の手順を脳内で書き下ろした。


ワタルは風車板に乗っての逃亡を選ばなかった。

壊れている?外傷は目立つほど大きくはない。

初撃、風車板に打撃があった。

起動の手順を踏んでみる。問題なく動く。

だとすれば、故障の可能性があるのは内部。

自分はこれの操縦方法を知らない。一度きりの起動かもしれない。あらゆる思考回路を瞬時に組み合わせ、メイヒは風車板の単身突撃を選んだ。



「ワタル!」


「くそっ!」


軸足を攻撃されたことでバランスは崩れ、

威力はお粗末なものになってしまった。

しかし、ここで逃がすわけにはいかない。ここでの一撃をワタルに決めさえしてしまえば、あとは丸腰で今度こそ逃げる術のない少女のみが残される。抵抗軍たちから逃げ延び、生存戦略を培ってきた鉄鎚の半魚人の経験と機転が、目の前のワタルを仕留めろと信号を出す。


「(どちらにしても腕は砕けてなくなるぞ!!)」


振りかざした大鎚に対し、ワタルは応戦を姿勢を崩さなかった。






この国に来てから感じていた違和感。

そのうちの一つは、地下に広がっている

この炭鉱跡の空間そのものだった。


『黒鉱石の採取が出来るのは、

深海二千メートル以上の深海・海溝でのみ。

それより浅瀬での採掘はもちろん、

陸上や地下で見つかったなんて話はどこにも記載がない――――』


メイヒが学んでいた黒鉱石ブラックアースの採掘場所、方法は全くの間違いではなかったし、紛れもない真実である。地下都市の旧炭鉱は黒鉱石を発掘するための場所でない。


かつての大戦、大国であるフォーテに対し

ジェパーニが抵抗を続けられた材料、

フォーテがジェパーニに手間取った原因は

「からくり」だった。黒鉱石を使用した

「からくり」兵器は非常に多彩かつ多種多様で、

多勢に無勢の状況に関わらず彼らの抵抗を手助けした。

その中でも特に、異質な存在感を放ち、畏怖の対象となっていた鉱物と兵器があった。


「結果的にはメイヒに助けられちまった。腕もげるなんてことにはならなかったろうけど、今の万全じゃない威力でコレなら、骨にヒビくらいは入ってたかもしれないしな。」


最初の一撃から今に至るまで。

墓石の攻撃においては、薄く伸縮させ

ダメージを最小限に抑えた。

昼間の兵士に対してもそうだ。伸縮させることで右腕全体を覆い、衣類やグローブで隠し身体を守る。生身の腕が残っているから、鉄鎚の半魚人が「からくり武装」だと予想したのはあながち間違いではなかった。


それはかつての大戦でジェパーニの主戦力として使われ、黒鉱石とともに「からくり」兵器として広く使われた、銀色の流動する鉱物。


「その腕…君の持っているのは、呼吸する石ケミカルアースか…!?」


「別に覚えなくていいよ。」


そういったワタルの心に慈悲はない。


「名前なんて飾りだ。それに、アンタがこのことを話すやつなんていないんだから。」

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