THE BIRTH

YachT

第1話 THE BIRTH

 窓の外からセミの鳴き声が聞こえる。この病院は、少し古いながらも冷房がしっかり効いている。外の暑さとの対比が、この場が隔絶された場所である事を強調するように存在する。そして私は自らの容姿と、彼女に見せるための動画の確認をする。水族館で撮影した動画だ。彼女はクラゲが大好きで、いつかクラゲがたくさんの光景を見てみたいと言っていたのだ。もう少し早い段階だったら彼女は自分で見る事が出来たのかもしれない。今は私が彼女の目となっているが、彼女は案外それでも満足そうだ。私に本来の力が有れば助ける事も簡単だし、見せる事をスマホに頼る事もないのだが、と思う。


 「調子どう?今日元気そうだね。」


 窓から少し漏れた太陽に照らされた彼女の顔は明るかった。


「さっき薬入れてもらったから」


彼女は目じりを上げてほほ笑む。彼女の腰には管が繋がっており、硬膜外麻酔が行なわれていた。


 「そっか」


いままでも、何度か行われて来たやり取りであるにも関わらず、いつまでも慣れない私はうまく返答する事が出来なかった。私には口がないから、今の彼女と同じような笑みしか生み出せない。いつまでも不完全な私の体を恨み、彼女の力になりたいと復活を急くとうまくいかず、さらに遅れを取る。そうして彼女は刻一刻と死に近づいてしまうのだ。私の知る限り、正確には“覚えている限り”だが、この世界に「あの世」はない。生命が終われば、先刻まで行なわれていたはずの思考は消えてなくなる。今の私には、本当はあの世があって、魂があってという事を期待し、ただただ消えて無くなるという無慈悲な事が起きないよう願うしかない。もしかしたら、今の私が知らないだけで、体を取り戻せば思い出すかもしれないと妄想するのだ。


 「君が言ってた所行ってきたよ」


 私はスマホを取出し、練習の通りに動画を再生した。彼女が見やすいように少し上に位置を修正し掲げる。


 「めっちゃ綺麗じゃん」


 「プロモードで撮ったのあるよ」


私達は一通りの動画と写真を見て、話した。彼女が、自分で体験してきたかのようにリアクションを撮るのが嬉しかった。こういう事を繰り返すうちに、私は“だれか”の視点のように撮影する事を心掛けていた。VR機器で再生できれば、それはもうリアリティの高い様な構図である。あいにくここは病院だし、そもそも本人に負担がかかってしまうのでダメだ。


「こことかすごく海っぽかった」


私は、渾身のおすすめの光景を彼女に見せた。彼女はただ静かにそれを見つめて、しばらくすると遠くを見ているような目に変わった。普段はない様子に少し心配になり始めた頃に彼女は口を開いてかすれた声で話した。

その声は小さく、聞き取る事が出来なかった。最期の言葉なのかもしれないと心が落ち着かなくなる中、冷静を装って耳を傾けた。


「自由に、生きて」


その年齢にはそぐわない、詩的でありつつも確かなメッセージは私を驚かせた。

顔を遠ざけ、目的を失った視線はなんでもない場所に落ち着く。


 「友達を作って、自分の人生を生きて」


隣の病室の患者の咳払いが聞こえるほどの沈黙がしばし訪れた。私は一言述べるので精一杯だった。


 「考えてみるよ」


 「ありがとう」


感謝に足るほどの事は出来ていない。本来ならできるはずの事が出来ていない。こんな私が受けてよい言葉ではないのに。


 「生まてきて良かった。あなたに会えて良かった。」


この時ほど、涙腺と呼吸器が私の体にない事を感謝した瞬間はない。

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