第32話 最終決戦前
明らかになったエレノアの死。
それは青の国、赤の国、どちらにとっても衝撃的な事実だった。しかし、その影響の現れ方に関しては両国で大きな違いがあった。デメリットしか見つけられない赤の国と違って、青の国はそれを利用することができるのだ。
「ジョーは我が姉エレノアを
いいえ、許せるわけがありません! 残された我々青の国の民はエレノア前女王の仇を討たねばならないのです。それが人としてあるべき道でありましょう。それなくして青の国に未来はありません。
今こそ、我々はすべての力を結集して、国賊ジョー及びその国賊に従う愚かな赤の国の兵達を打ち倒すのです。我々には命賭けて悔いのない大義があります。この戦いはエレノア姉様の弔いなのです!」
青の国に戻ったはいいが、エレノアの死とヘイトリオンの狂悪・狂烈さに混乱しまくる青の国の兵士達。その精神的に不安定な者達を前にして、ミリアの演説が迅速に行われた。ミリア自身、方便と感じる部分がその言葉の中には多分にあったが、彼女はそれをおくびにも出さずに、始終使命感を漂わせてそれをやり遂げた。
そんな彼女の言葉は真実として兵達の心に響き、彼らの魂を震わせた。ミリアは兵達の心にあったヘイトリオンへの恐怖を忘却させ、エレノアの死に対する悲しみを丈に立ち向かうための闘志へと変換させたのだ。
かつてないほどに士気を高める青の国の兵達。その勇ましい
一仕事終え、外に溢れる兵達から見えなくなったところで、ほっと一息吐くミリア。その少し前方、狭い通路の中に、腕組みをして壁にもたれかかっている椎名の姿があった。
しかし、その顔はミリアの方を向いているでなく、俯きぎみにただ壁と地面との
椎名の姿に気づき、ミリアの歩き方が女王のそれから少女のそれに変わる。
すれ違い様、「たいした役者ぶりだな」そんな軽口を期待する。「まあね。これでも女王だから」そんな応えを用意しつつ。
だが、椎名の前を通っても椎名からは何の声もかけられなかった。それどころか、顔はもちろん視線さえミリアの方に向くことなく、ただ意志の光の見えない瞳が意味もなく下を向いているのみ。
ミリアは通りすぎてから慌てて振り向く。
「何よ! なんの感想もなし!?」
腰に手をあて前に身を乗り出した姿勢で、少し怒ったようにそんな言葉を吐こうとする──が、それはぎりぎり口元で抑えられた。
「……シーナ?」
ここにきて初めてミリアは椎名の様子がおかしいことに気づいた。その態度や雰囲気だけでなく、ラブパワーにもいつもの力強さがない。ミリアは自分の注意力のなさと器の小ささに情けなくなってくる。
(──どうして今までこのシーナの変化に気づいてあげられなかったのか。兵士達が動揺しているのならシーナだって同じ様に動揺するに決まっている。それなのに私は兵士達のフォローのことだけに気を取られ、シーナのことを放ったらかしにしてしまっていた。シーナを私と同じ種類の人間だと勝手に思い込んでしまっていたのかもしれない。私はシーナといることで、緊張の緩和を行ってきていた。でも、シーナは私といてもそれができていなかった。……いや、それよりも、エレノアの死、そしてそれを行ったのがシーナのよく知るジョーだったという事実が与える影響が大きすぎたというべきか。私はエレノアがこの国を捨てた時点で姉と思うことをやめた。けど、シーナはその後もエレノアに想いを持ち続けていた。それは私にもわかっていたこと……。それがわかっていながら、私はそのことの重要さを考えずにいてしまった。……もしかして、私自身がエレノアに対するシーナの想いを認めたくなかったということなの!?)
「……ミリア、ちょっと話がある」
ミリアにとってはとても長い沈黙の時間に思えた。だが実際にはミリアが呼びかけてから椎名が口を開くまで三秒と経っていない。
椎名の背が壁から離れる。ミリアを追い越し先に進む椎名。ミリアはその背中を見つめながら黙って椎名の後に続いた。
◇ ◇ ◇ ◇
「で、話ってなに?」
椎名の部屋へと連れられてきたミリアは、椅子に腰を下ろし、努めて明るくそう切り出した。椎名の方は窓の横に立ったまま、ミリアに背を向け、外に視線を落としている。
「あのロケットのヘイトリオンだが――」
エレノアのことだと思っていたがまずそちらから来たか、とミリアは表情を変えずに心で思う。
「ミリアも見ただろ、あの禍々しい黒い輝きを」
「ええ。はっきりとこの眼でね」
「……あれと同じものを俺も使ったことがある」
「えっ!?」
それは予想していなかった告白だった。椎名が思い悩んでいること──それに関してはいくつか思い当たる節があったが、このような展開は頭の片隅にもなかった。
「一度目は、あれはジョーが裏切った後、俺達が最初に攻め込んだ時。……あの時はまだミリアはいなかったっけ。……その戦いで俺の剣は、ヘイトリオンと同じ黒く輝く剣に変化した。あの不気味で凶悪な剣に……。その力で俺はルフィーニのラブリオンの右腕をラブブレードごと斬り落とした。……二度目はクィーンミリアでキングジョーを迎え撃った時。あの時も黒い剣に突然変化して……、その時、俺はルフィーニを殺してしまった」
「…………」
ミリアは言葉もない。
「ヘイトリオンは憎しみの心を糧にするんだろ?」
「……ええ」
「俺もあの時憎しみに囚われていたんだな。……俺はルフィーニに好意を持っていた。愛してたとまでは言えないかもしれないけど、好きだったのは確かだった……と思う」
ほかの女の子を目の前にして自分は一体何を喋っているんだろう──混乱している椎名の思考の中でもまだ冷静な部分がそんな感慨を持つ。
恥ずかしい椎名は、ミリアの方を向けるはずもなく、なおも背を向けたままで、照れ隠しに意味もなく指を窓に触れさせた。
「……でも、ルフィーニが見ていたのは俺じゃなかった。彼女の瞳に映っていたのは、いつもジョーだった。そのせいで俺はルフィーニさんと戦うはめになって……、戦ってる最中もルフィーニはジョーのことばかり考えていて……。だから俺の憎しみが爆発したんだろうな。いつも俺の好きな人に愛されるジョー、そして俺の気持ちに少しも応えてくれないルフィーニに対する憎しみが……」
「……シーナ」
思慮深く聡明なミリア。適応力、分析能力、判断力も優れている。そんな彼女に圧倒的に不足しているもの──それは経験だった。その中でも特に実践できずにいるのが恋愛に関する経験。そのため、今のミリアにはシーナにかける言葉がいくら頭をひねっても浮かび上がってこない。
「剣だけで済んだのは幸運だった。俺もロケットみたいになってもおかしくなかった……。いや、次に戦えば絶対にああなる気がする。なにしろジョーの奴はエレノアを……」
椎名の拳が、爪が食い込んで血が出てきそうなほどにきつく握りしめられている。
(怖いのね……)
椎名が苦しんでいたのは、想い人をなくした悲しみでもなく、ロケットのヘイトリオンに対する恐怖でもなかった。……いや、それらも確かにあったが、それ以上に自分がヘイトリオン化することへと恐怖と、自分自身を破滅させるほどに友達を憎んでしまっている今の自分の心に苦しんでいたのだ。
(仇討ちということで今、兵達の士気は上がっている。その中、ここでシーナが抜けるのは痛い。シーナ自身の戦力はもちろん、シーナが抜けることによる士気の低下がもっと辛い。でも、今のシーナに戦えというのは酷というもの。それに、シーナがヘイトリオン化して味方に被害が出るようなことになれば、勝てるはずの戦いも勝てなくなる……)
そこまで考えてミリアは自分が嫌になった。何故こんな時に冷静に戦闘の有利不利を考えてしまうんだ、と。
(可愛くないな、私って)
自嘲気味に肩をすくめる。
(たまには頭でなく、心で行動させてよね)
「シーナ、今度の戦い、あなたはブラオヴィントに乗らなくていいわ。姉さんの死が明らかになって赤の国は動揺しているはず。姉さんを殺した張本人であるジョーがそれをまとめられるとは思えない。今の私達の力ならシーナの力を借りなくても十分に勝てるわ」
「……だけど」
「もうこれ以上知り合い同士で殺し合いはさせられない。それに、シーナをヘイトリオン化させるわけにはいかないもの……。あなたはクィーンミリアの中にいて……、私の隣にいて……」
気がついた時には、ミリアは椎名の背中に顔を
「ミリア!?」
いきなりのことに椎名はひどく驚き慌てた。なにしろ、女の子にこんなことされた経験などいまだかつてなかったのだから。
しかし、その驚きは椎名一人のものではなかった。それを行ったミリア自身、自分で自分の行動に驚愕していた。いつも頭が先に立つのに、この時ばかりは体が勝手に動いていたのだ。
気恥ずかしさでいっぱいのミリアは我に返るや否や椎名から離れようとした──が、やっぱりやめた。
(もうちょっとこのままでいたい……)
もはや失われたと思っていた女王でない時間。それが再び自分の前に突然現れた。いや、再びという表現は少しおかしいか。道化を演じていた時には、こんなにも頭がぽーっとして動悸が激しくなるようなことはなかった。女王をやっている時の緊張感からくるドキドキともまた種類が違う。
(ジョーならこんな時の対応はお手のものだろうに……)
椎名は椎名で、真っ白になりそうな頭でそんな勝手なことを思いつつ、どうしたものか考える。
「……ミリア。俺、やっぱ戦うわ」
そして出てきたのはロマンティックの欠片もない言葉。
「ミリアが気遣ってくれるのは嬉しいけど……いや、そのおかげで決心できたんだが、ジョーとの決着はやっぱり俺自身の手でつける。そうしないと、俺自身が前に進めない気がする。それに、……今の俺なら憎しみだけに捕らわれたりしないように思えるし」
負けん気が強いくせに、うぶで自分の気持ちを表に出すのが苦手な不器用な男。でも、不器用なりに言葉と言葉の間に伝えたい気持ちを忍ばせておく。相手に知ってもらいたいけど、知られるのは恥ずかしい。だから、相手にわからないような表現をしてしまう──時には相手だけでなく自分にもわからないような表現を。
けれど、ミリアは椎名の不器用な純情さを知っている。付き合いはそれほど長くなかったけど、その内容は深かったと思える。だから、ムードの出るような飾った言葉を使ってもらわなくても十分だった。むしろ、そんな言葉でなかったから良かった。
「……わかった。頼りにしてるからね」
意外に広かった背中からそっと顔を離す。
それで年頃と男の子と女の子の時間は終わりを告げた。
二人の表情は、戦士と王のそれに戻っていた。
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