第26話 エレノアの想い
その夜、大勝して青の軍を退けた赤の国では晩餐会が開かれていた。堅苦しいものではなく、無礼講で自由に酒が飲めて、たらふく飯が食えるパーティーだ。
丈がこの国に来てからというもの、兵達は戦いの連続で、本当に休む間さえなかった。丈もそのことはわかっており、兵たちが完勝に気をよくしている今、できるだけの疲労と不満とを取り去ってやろうと考えたのだ。
美しく着飾らせたエレノアも会場に呼んでいた。
彼女のその姿は見た者に次も戦う気力を与え、もしも声をかけられようならば、命を賭してでも戦う決意を固めさせる。それだけの魅力がエレノアにはあった。
また、丈自身もできるだけ多く兵と接し、労をねぎらってやった。
昼間の激しい戦いにもかかわらず、兵達は疲れも見せずに、夜を夜ともせずに飲んで食って騒ぎまくった。
盛り上がりが最高潮に達した頃、丈は静かに席を外し、自室へと戻っていた。
自分で置いたのではないが、部屋の棚に並んでいるボトルとグラスとを手に取る。未成年なのだから当然だが、丈は元の世界でほとんど酒を飲んだことがなかった。せいぜい正月に御神酒をおちょこに一杯飲む程度。完璧主義者たる丈は、酒に酔って自分の能力が十分に発揮できないというのが許せなかった。
だが、今は何故か酒に手が伸びた。
ここにある酒は、ワインと同じ様な製法で作られたもの。晩餐会でも、付き合いでいくらかは口にしている。その時もまずいと思いながら飲んでいたのに、何故か今またそれを手にしている。
「酒を飲むことで、嫌なことを忘れられればと期待しているのか……。弱いな、オレは」
右手で掴んだボトルを見つめながら丈は自虐的な笑みを浮かべる。
「ん?」
そうしながら、丈は部屋のドアが音もなく開かれるのに気づいた。
「……エレノア女王。いかがなされました?」
少し開かれた扉から静かに姿を現したのはエレノアだった。後ろ手に扉を閉め、両手を後ろで組んだまま、丈の前に進み出る。
「やはりエレノア女王にもあの空気は馴染めませんでしたか。私もですよ」
少し明るめの丈の口調。だが、その言葉を向けられたエレノアは何故かひどく悲壮感の漂った顔つきをして、丈の瞳を見つめていた。今まで見たこともないエレノアの様子に、丈も訝しげな顔つきになる。
「どうされたのですか?」
「少し……お聞きしてよろしいでしょうか?」
「……ええ。私に答えられることでしたら」
エレノアの真意がわからぬまま頷く。
「ジョー様の心の中にいるのは誰なのですか?」
エレノアの質問は直球だった。
「なんのことです? 私には意味がよく……」
「今日の戦いでも、前の戦いでも感じました。ジョー様から流れていく強くて、大きくて、深くて、熱いラブパワーを。それは、私を包んでくださるジョー様のラブパワーよりもずっと……」
そこまで言ってエレノアは眉を伏せ、そして再び続ける。
「最初はルフィーニに向けられたものかと思いました。ですが、ルフィーニが戦死した後でも、それは変わらずに流れて行く……。一体誰なのですか!? ジョー様がそんなにも強く想っていらっしゃる方は! ジョー様が私よりも深く想っていらっしゃるその方は!?」
「そんな者はいませんよ。エレノア様の気のせいです」
あまりにも自然な丈の物言い。普通の者ならばそれを信じたことだろう。だが――
「ジョー様、これでも私は王族です。ジョー様ほどではないにしろ、私にもラブパワーはあるのです。ジョー様の偽りの言葉に気付けぬほど未熟ではありません!」
エレノアのラブパワーが膨れ上がり、まるで突風となって丈に吹き付けるかのよう。その真摯さ、想いの強さには、丈も観念せねばならなかった。
「……エレノア女王の気持ちはわかっていました。その片想いの辛さも……。なにしろ、私も女王と同じく片想いなのですから……」
「……あ、相手は?」
予想していたとはいえ、本人の口から直接聞くと、やはりその衝撃は大きかった。エレノアは震える口で、なんとかそれだけの言葉を紡ぎ出した。
「……それは言えません」
何故ですか、とは言わなかった。気にならないといえば嘘になるが、その相手の
「その人は私よりも魅力的なのですか!?」
丈はゆっくりだが、大きく確実に頷いた。
「か、代わりでも、その人の代わりでもいいです! ……だから、だから私にもその人と同じようにラブパワーを注いでください!!」
だが、丈はゆっくりと首を横に振る。
「私の愛はたった一人にのみ向けられている。エレノア、客観的に見て、君は非常に美しくその上聡明で、とても魅力的だ。私も君のことは好きだ。……だが、君を愛することはできない。君の愛を受け入れることはできないんだ」
「愛? これが愛だというのですか……。愛とはこうも辛く苦しいものなのですか……」
血を吐くかのごとく狂おしく呻くエレノア。絶望に沈むその瞳の中、丈はそこに狂気の光を見た気がした。
「エレノア……」
「どうあっても私だけを見てはくださらないというのですか……」
「逆に聞くが、君は私の代わりに誰かほかの人間を愛することができるのか?」
肯定の返事のできないエレノアはただ押し黙る。
「……それと同じで、私も私が本当に愛する者以外は瞳に入らないんだ」
「……わかります。それは、わかります。……ですが、納得はできません!」
後ろ手にしていたエレノアの手が前に持ってこられる。その手に握られているのは、薄明かりを受けて輝く鋭利な刃物だった。
「せめて私と一緒に死んでください!!」
思いあまった末に、エレノアが選んだ結論だった。
この部屋に来る時から、半ば予想できていた丈の反応。それ故に、持ち込まざるを得なかった最後の手段。
だが、丈にこの展開は予想できていなかった。
元の世界でも、何人もの女性の告白を断ってきた彼だが、その中にここまでの過剰な反応をした者などいはしなかった。それに加え、祝勝会でのミリアや椎名との話から、この世界の人間は温厚という考えが頭にあったのだ。
かん高い乾いた音が部屋に響く。
丈は身動きが取れなかった。ただ、動けぬまま、短剣と共に来るエレノアの衝撃を受けることしかできなかった。
手に重い衝撃を感じたエレノアは、荒い息をつきながら丈から体を離す。
丈の上着に広がる赤い染み。それはエレノア自身の体にも飛び散ってきている。
エレノアは自分の犯した行為の恐ろしさに、呆然とした顔で短剣を持つ手を激しく振るわせた。
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