第19話 ミリア立つ

 青の国においても、エレノア女王が赤の国に向かったという話はすぐに広まり、夜明け前には城内の人間すべての知るところとなった。このペースなら、青の国の民すべてに伝わるのにも、さしたる時間はかかるまい。


 城では官僚や軍の上層部の人間が集められ、緊急会議が開かれていた。もちろん椎名もそれに参加している。しかし、今まで女王の力に頼ってきた人間達だ、柱となる女王のいない今、話をとりまとめる人間も存在せず、会議は何の進展もないままただ無駄な時間だけを費やしていった。


 そしてそこへ更なる悪い報せが飛び込んで来る。

 兵達がラブリオンに乗り、青の国を捨て、赤の国へ投降し始めているというのだ。

 キングジョーというショックを受けていたところに、泣きっ面に蜂とばかりのエレノア女王の亡命。しかもエレノアは青の国の中心であり象徴であった人物。その女王がいなくなったということは、青の国の存在意義にかかわる問題である。今や、青の国は賊軍、赤の国こそが官軍となってしまった。

 これらのことにより、兵達の間に動揺が走り、官軍となった赤の国に走ることになっても、誰がそれを責められようか。むしろ、それは道理にかなった自然な行動とさえ言えた。


 兵達のその行動に対して、今の椎名達にできたのは、監視を強めて兵達が無断でラブリオンに搭乗できないようにすることだけだった。

 だが、それでは当然のことながら根本的な問題は何も解決しない。


 未曾有の危機を迎えた青の国。しかしそれは赤の国にとってはチャンス以外の何ものでもなく、丈はその好機を見逃すような男ではなかった。

 青の国からの投降者を受け入れ、戦える兵とラブリオンを増やす。しかし、それでも戦力の整備は十分とは言えない。茶の国を占領し、新しく興った赤の国ではいまだしっかりとしたラブリオンの生産体制が確立されておらず、地力では青の国にどうしても劣ってしまうのだ。

 だが、エレノアが味方につき、自国の兵の士気が向上し、青の国が混乱している今は、青の国に攻め入るまたとない機会であった。

 丈は自国のラブリオンをすべて赤色にカラーリングし、艤装を終えた戦艦型ラブリオン・キングジョーにそれらラブリオンを乗せ、青の国へと進軍を開始した。


 赤の国の侵攻。この情報は城にいる椎名達の元に飛び込んできた。


「ちっ! ジョーの奴、さすがに抜け目がない!」


 椎名は丈の行動の早さに舌打ちしながらも、戦意を失ってはいない。むしろ、前以上に戦闘意欲をかき立てているほどだ。

 だが、椎名以外の国を支えるべき者達は彼ほどには強くはなかった。

 戦いとは無縁の文官のほとんどは赤の国への降伏について議論を始めている。彼らの主題は、もはやどうやって赤の国に勝つかではなく、どれだけ有利な条件で降伏するかという点に移っていた。また武官においても、徹底抗戦派よりも、降伏派の方が優勢であった。

 この有様を見るにつけ、椎名はこの国におけるエレノアの存在の大きさを改めて実感せざるをえなかった。


「いくら丈とはいえ、こんな短期間ではまともな戦力は整備できていないはず。まともに戦えば、勝機いくらでもあるはずなのに……。戦う気がなくては、勝てるものも勝てない」


 不甲斐ない国の重鎮達の態度に、さすがの椎名も絶望の崖の手前まで追い詰められる。


「エレノア女王さえいてくれれば……。あるいは、彼女くらいのカリスマを持つ人物がいてくれれば……。悔しいが、俺は王の器じゃない……」


 口を開けている深く底のない崖に一歩踏み出す。だが、その足をとどめる光があった。崖の下から突き上げてくる目映き光、それが崖に引きずり込まれようとしていた椎名を跳ね上げ、元の世界に突き戻した。


「そうだ! どうして忘れていたんだ。あいつがいるじゃないか!!」


 ひらめきを感じた椎名は、心当たりの人物の元へと駆け出していた。


 目的地にたどり着いた椎名は、ノックも忘れて扉を引きちぎらんほどの勢いで開く。


「来ると思ってたわ」


 の光が差し込む部屋の中、その光を後光のようにまとってその人物は立っていた。


「ミリア王女……いや、女王! あんたが動く時が来た!」


「……姉は青の国の女王という立場にありながら、それを放棄しました。そのために、この国は今、混乱のただ中に突き落とされています」


 逆行でその表情を知ることはできないが、そのしっかりした張りのある声から、ミリアの真剣な想いが伝わってくる。


「もう姉に任せることはできません。この国は私が治めます! シーナ殿、力を貸していただけますね」


「もちろん!」


 椎名の知っている気さくなミリアとは違う堅い言葉遣い。だが、威厳に溢れるその言葉に、椎名は頼りがいを感じこそすれ、他人行儀さやお高く止まった傲慢さというものは少しも感じはしなかった。


◇ ◇ ◇ ◇


「全面降伏では、国家統一後の我々の立場が不利になるではないか!」

「しかし、下手にジョー殿を刺激しては、ますます立場は危うくなりますぞ」

「お前達文官は、赤の国が内政官不足なのを知っているからそんな悠長なことがいえるのだ!」

「文句があるならば、こうなる前にあなた方軍人がなんとかしてくれればよかったのだ」


 豪! 開!


 空気を震わす音を響かせて開かれる扉。椎名が出て行く前よりも更に弱気な会話を繰り広げる者達の声がやみ、彼らの視線はあわせたように扉の方に一斉に注がれる。そこに立つのは仁王立ちする椎名。


「なに情けない会話をしている! あんた達は誇り高き青の国の民だろうが! それが国賊であるジョーに屈することを議論するなど、どういうつもりか!」


「しかしシーナ殿。エレノア女王が向こうにつかれた今、我らの方こそ賊軍となっているのではありませんか?」


 その言葉はその場にいる者全員の想いであり、彼らを今最も動揺させている事実であった。この問題がある限り、彼らの心を一つにまとめることはまず不可能といえる。

 だが、椎名はその言葉を受けても顔色一つ変えずに堂々としていた。


「エレノア女王は青の国の女王でありながら、逆賊ジョーの元へ下った。これは青の国に対する裏切りであり、そのような行動を取る者を女王と認めるわけにはいかない。故に、この城を出た時点で、エレノアの女王としての資格は喪失したと言えるのではないか?」


 芝居じみた椎名の言葉。これを椎名に言わしめているのは実のところミリアであった。


「だが、女王なくしてはこの国は成り立ちませんぞ! エレノア女王がおられないのに、誰が国をまとめると言われるのか!」


「これはおかしなことを言われる。エレノア女王が王たる資格を失ったならば、次の王位継承権を持つ者が王となるに決まっているではないか」


 椎名の言葉にその場にいる者全員がざわめく。


「次の王位継承者と言うと……ミリア様」


 彼らのざわめきは不平と不満のざわめきだった。だが、ミリアの普段の素行を考えれば、それも当然のことだと言える。


「ミリア女王こそ、この国を治め、我々を正しき道に導く力を持ったお方である。今こそ我々はミリア女王の元、心を一つにしてこの困難に立ち向かわねばならない!」


 『女王』の部分が強調された椎名の言葉が皆に投げかけられた。だが、彼らの反応は当然ながら芳しくない。


「しかしミリア様では……」


「あんた達はミリア女王の真の気高さを知らないだけだ! 女王のラブパワーに触れ、考えを改めるがいい」


 椎名が横にどくと、その後ろにはミリアが控えていた。いつも町娘のようなラフな格好で城をうろついているミリア。その彼女が今は、重要な国事の際にしか着ることのない儀式用の純白の衣を身にまとっていた。

 ミリアがこんな近くにいるとは知らずに無礼な言葉を吐いていた者達の顔が、彼女の姿を認めるなり硬直して青ざめる。しかし、当のミリアからはそれを気にした様子は微塵も感じられない。それどころか、今の彼女の表情は気高く、すぺての者を包み込むかのような大きさと深さを感じさせさえする。

 今まで、眉をつり上げ、口をへの字にした反抗的な彼女の表情しか見たことがなかった彼らは、初めて見るミリアの本当の姿に当惑の表情を浮かべる。


「シーナ殿の言う通りです。我が姉であるエレノアは青の国を捨てました。それは、とりもなおさず王位を放棄したということを意味します」


 言葉というのは完璧な情報伝達手段ではない。だが、今のミリアの言葉はその言葉が示す内容以上のことを聞く者に伝えた。それは、ミリアの言葉、いや、その声自体に力があるからだ。ミリアのラブパワー、それが伝えるべき想いと共に声の中に込められ、聞く者の心を直接打つ。


「私は今まで姉のために愚妹を演じてきました。ですが、姉が王位を放棄した今、その必要はなくなりました。これからは私がこの国を治め、軍を率います。皆は私にその力を貸してもらいたい」


 今までミリアは自分のラブパワーをほかの者に悟られないように、コントロールして自ら抑えてきた。だが、その必要のなくなった今、一気にミリアのラブパワーが解放される。

 ラブパワーを制御し、ゼロ近くにまで下げて維持できるということは、逆に言えば自分のラブパワーをマックスにまで引き上げて放つことも可能だということなのだ。

 解き放たれた気高く高貴なラブパワーの圧力。台風の暴風のような強さと、木陰に吹く風のごとく清々しさを有したその力は、皆の心を打ち、不安を取り除いて心地よい安心感を与える。

 ラブパワーは口以上に雄弁に語る。このわずかなやりとりで、この場にいた者は、エレノア以上ともいえるミリアの底の深さ、カリスマ、器の大きさを理解した。いや、ミリア自身のラブパワーが理解させたというべきか。


「皆の命、私に預けてもらいたい」


「喜んで!」

「ミリア女王のためなら、この命捨ててもおしくはありません!」

「粉骨砕身の覚悟でミリア女王のために力を尽くす所存にございます」


 数分前とはまるで違う反応。しかも、それらはおべっかではなく、心から出る素直な言葉なのだ。


「敵はもうすぐ近くまで来ている。すぐに戦闘準備を始めよ」


 ミリアの命により、つい先程まで猫に脅える鼠のごとくうち震えていた者達が、豹のごとき光を宿した目で素早く行動を開始した。

 戦闘部隊をまとめるために部屋を出て行く彼らを見送りながら、椎名はミリアに近づく。


「見事だな。羊の皮を被っていた狼がついに牙をむき出しにしたってところか」


「失礼ね。私のどこが狼なのよ。アヒルのふりをしていた白鳥がその優雅な姿をあらわにしたとか、孔雀が今まで隠していた翼を広げたとか言ってよね」


「勝手に言ってろ」


 将校達に語るミリアは、威厳や高貴さに溢れていたが、そのぶんどこか人を寄せ付けない雰囲気を持っていた。

 そんなミリアを見て椎名は、彼女が女王となったことにより奔放さを失い、女王という枠組みの中に入ってしまったのではないかと危惧していた。

 だが、今の軽口を叩くミリアは、理知的なようで時にとぼけたことをし、また、ふざけているようで鋭い突っ込みを入れてくる、そんな椎名のよく知るミリアだった。

 同じ女王であるにもかかわらず、ミリアに接する椎名の態度はエレノアに接する時とは決定的に違っている。エレノアの時は、椎名が好意を持っていたという点を差し引いても、どこか他人行儀で対等の関係ではなかった。だが、ミリアと接する椎名はとても親しげに話をする。女性が苦手なところのある椎名が、普通の友達以上の気さくさで話すのだ。


「しかし、とにかくこれで、エレノア女王がいなくなったことによる心の乱れは防げるな。キングジョーに対する兵達の脅えは払拭できないが、俺がジョーのドナーを討てばなんとでもなる」


「そのことだけど、キングジョーに対抗できる戦艦型ラブリオンはなんとかなると思うわ」


「どういうことだ!?」


「私もラブリオンを運べる戦艦の必要性は前から感じていたの。だから、かなり前から製造方法を考えていたんだけど、ようやくある程度のめどがついたのよ。ホントは、まだまだやりたりない部分があるんだけど、今はそんなこと言っている場合じゃないしね」


 ミリアの言葉に椎名は確かな光を見た。丈に対抗することのできる大きいな力を秘めた輝きを。


「すごいぞ! さすがミリアだ!」


 思わず抱きつかんばかりの興奮のしようだった。だが、それでも冷静な部分も残っていたらしく、自分の失言に気づき、椎名ははっとした顔をする。


「……いや、ミリア女王……ですね」


「ばーか。シーナはこの国の人間じゃないでしょ。だから、私とあなたは個人としては対等なのよ。私を呼ぶならミリアだけで十分」


 屈託なく笑う。

 冗談とはいえ、相手に向かって「ばーか」などと言う女王が世界に何人いるだろうか。


「そう言ってもらえるとこっちも気が楽だ。いっちょ赤の国の奴らを蹴散らしてやるか」


「期待してるわよ、シーナ」


「おお、任せておけ。そっちこそ、戦艦型ラブリオンの件、頼むぞ」


 二人は視線を交わすとうなずき合い、互いの行くべき場所へと駆け出した。


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