第3話 借り

 


 俺の母校を通り過ぎてしばらく歩くと河川敷があるのだが、母校とは反対側つまり通学路となる方向には、決して大きくはないがそこそこの行楽地となっている。温泉があるし、ホテルや旅館、色々な飲食店などのお店もあちこちに点在している。他にも遊ぶ所もあり割と立地条件の良い地域となっている。


 俺と朝倉さんは現在、その地域を目指して歩いている。特に目的地がある訳ではない。ただただ歩いているだけである。


 六月の中旬とはいえ季節にしてみれば夏だ。今日は暖かいぐらいの気候だが、たまに異常気象で真夏並みの暑さになることもある。もしそんな日に河川敷から町の中心地まで歩けば間違いなくぶっ倒れてしまう。それでも今日みたいな日でも、歩き続けていれば次第に額に汗が滲んではくる。それ程の距離があるのだ。


 さすがにノンストップで行くには体力的に厳しいので、途中噴水のある公園で休憩することにした。


「ふーやっぱり歩くだけあるな。足が痛いわ」


「だね」


 俺と朝倉さんはベンチに座って各々で足を揉んだり叩いたりして筋肉をほぐす。


「とりあえずこっち方向に歩いてるけど、どこか行きたい所でもあるのか?」


「んーん、特には決まってないよ。私この周辺は詳しくないし」


「だからってずっと歩いてるだけじゃ疲れるだろ。暇つぶしがひたすら散歩とかただの拷問だぞ」


「じゃあ楠川君はどこで暇をつぶそうとしてたの? そこでもいいよ」


「いや俺も特には決まってない。まぁとりあえず、ここからもう少し歩いたらカフェがあるから一旦そこを目指そう」


「近いの?」


「まぁ……二キロくらい」


 カフェを目指し再び歩き出す俺と朝倉さん。


 この辺りから駅周辺ということもあり風景が賑やかになってくる。更に数キロ進んで行けば行楽地に入るのだが、その道中の中間辺りにカフェがある。


「あっ」


 しばらく歩いていると朝倉さんが何かを見つけたようだ。


「何か気になるお店でもあったのか?」


「気になるというか、たまたま目に入っただけなんだけど……あれ」


 朝倉さんが指差した方向に視線をやると、看板に最強濃厚とんこつ醤油と書かれたラーメン屋があった。


「そういえば私、今日朝ご飯食べてなかったし、歩いてたらお腹空いちゃった」


「それでラーメン……ほほう……」


「なにかおかしかった?」


「いや別に、まぁいいんじゃない?」


 おかしいとまでは言わないが、意外な組み合わせだと思ってしまった。勝手に俺がそう思ってるだけなのだが、朝倉さんとラーメン屋、しかも最強濃厚とんこつ醤油。

へー普通に入るんだなぁとギャップを感じてしまっただけなのだ。もう少し女の子っぽいお店とかだったなら何も思わなかっただろう。


 というかこれまでの経験で、女子高生とラーメン屋に入ったことがないし、デートとかでも俺はラーメン屋は選択肢から外していた。別にラーメン屋が悪い訳ではない。こういう店の方が喜んでくれるのではないかと勝手に限定して、俺が変に背伸びをしていただけだ。


「じゃあ入るか? とりあえず開いているみたいだし」


「うん、入る」


 二人ラーメン屋の方へ歩いている途中、俺は大事な事を思い出した。


「言っとくけど奢らないからな」


「もちろん。自分で払うから安心して」


 ケチだと思われようと構わないし、知ったことではない。俺はこれまでデート費用は全て俺が払ってきた。時にはバイトをして頑張って稼いだお金をデート代やプレゼント代に使っていた。それが今までの俺の中での普通で、当たり前だった。だが、もう考えは改めた。俺は払うことはしない。


 結局、女に優しくしたって調子に乗らせるだけなのだ。あの時も……あの時も……そしてあの時も……。やべっ、また泣きたくなってきた。思わず自滅してしまった。


 伝えるべきことを伝え、暖簾が掛かったドアを潜り店内に入る。


 店内は壁やカウンター席、椅子、座敷に至るまで木造となっており、カウンター席の上の方には提灯が等間隔で横一列にぶら下がっている。古風と言うべきか、和風と言うべきか……そんな印象だ。


 開店してからまだそんなに時間が経っていないにも関わらず、お客はそこそこ入っていた。


「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」


「二名です」


「それでは座敷の方へどうぞ」


 店員さんに人数を伝え座敷の方へ案内される。


 座敷に座りさっそくメニュー表を開く。表にはランチメニュー、好きなラーメンとサイドメニューとご飯を選んで組み合わせることができるセットメニュー、ちょっとした居酒屋のメニューなど多種多様に揃っていた。


「はい、お水」


「え? あ、ありがとう」


 メニュー表を眺めていた俺にスッと水の入ったコップを差し出してくれる朝倉さん。つい反射的に優しい口調になってしまった。せめてそこは「ふはははは、気が効くではないか」とでも言うべきだった。いやどんなキャラだ。


「俺決まったから」


「もう? 何にするの?」


「豚飯ランチの大盛り」


「じゃあ私も同じやつ」


「俺大盛りだけど?」


「食べれるから大丈夫。あ、今女の子なのに大食いとか思った?」


「いや思ってないけど。控えめな女よりはマシだと思っただけ」


「それって褒めてるの?」


「さぁどうだろう」


 むぅーという表情をする朝倉さんを見て、ハハッと軽い笑みが出る。


 はっ! いやいやいや、何を笑っているんだ俺は。気持ちがたるんでいるじゃないか。女は敵、女は敵、常に警戒し疑心を忘れてはならない。これまでの経験で学んだことじゃないか。


 俺は首をぶんぶんと横に振り、緩んだ顔を引き締めた。


「どうしたの? 頭なんて振って」


「気にするな。食事前のちょっとした首の運動だ。そんなことより注文しよう。すいませーん」


 俺は店員さんを呼んで、豚飯ランチの大盛りを二つ注文する。その数分後、先にラーメンの方がテーブルに運ばれてきた。


 ストレートの細麺にチャーシューや煮卵などの具材がトッピングされたとんこつ醤油のラーメンだ。


「美味しそう。いただきます」


 両手を合わせた後、朝倉さんはレンゲでスープをすくい口に運ぶ。


「あ、意外とあっさりしてる。でも美味しい」


 続いて俺もスープを一口頂く。


 朝倉さんの言う通り、確かにスープはあっさりしていた。最強濃厚とんこつ醤油と看板にあったので、てっきりちょっとドロッとしたこってりなスープかと思っていた。全然そんなことはない飲みやすいスープだ。細麺もスルスルと口に入っていく。


「なんだか学校サボって食べるラーメンって背徳感を感じない?」


「え? いや全然。むしろ気分が良いけど。もしかして申し訳ないって思ってんの?」


「ううん、全然。あれ? こういうの背徳感って言わない?」


「もしかして優越感って言おうとした?」


「そうそれ、優越感」


 ここでもう一つの豚飯が到着した。細かく切ったチャーシューとネギと海苔がご飯の上にトッピングされており、ご飯にはタレがかかっている。


 それを二人同時に口に運ぶ。


「おぉー美味いなこれ」


「うん、美味しい」


 ラーメンのセットには白飯か炒飯が俺の定番ではあったが、この豚飯というのも組み合わせとしてアリだなと思った。


 しばらくお互い無言で黙々と食べ進める。朝倉さんはスープは残していたが、俺は完飲した。


「お腹いっぱい」


「ホントに大盛り食べたな」


「さすがにスープは入らないけどね」


「それじゃあ会計するか」


 そう言って俺は財布を出そうと制服のポケットに手を入れた。その瞬間、とんでもない事実に気付いてしまった。


(あれ? あれれ? マジで? ちょっ、ちょっと待て。財布が……ない)


 反対側のポケットの中を探ってみるも財布は入っていない。額から嫌な汗が出てきた。


(あ! 財布、鞄の中に入れてたんだった! で、逃げてきたから鞄は学校だ……うわぁヤバイ……どうしよう……)


 店に入る前に朝倉さんに奢らないからなと言っておきながら、財布を忘れたから奢ってなんて死んでも言えない。


 ジャンケンで負けた方が奢るという提案を出そうか。いやそれで俺が負けたら結局払えないし、負けた上に実は財布がないなんて言ったらクズの極みだ。そんなの、マジでこいつ何言ってんの案件だわ。


(どうする……どうする……)


「どうしたの楠川君。行かないの?」


 顔面蒼白になりながら固まっていると、そんな俺の様子に気付いた朝倉さんが声を掛けてきた。


「あーえっと……実はですね……あのー何と言いますか……」


 パニックのあまり敬語になってしまった。もう腹を括るしかない。


「奢らないとかなんとか偉そうに言っておきながらですね、非常に申し訳ないですというか……大変恐縮なのですが……」


「もしかして、楠川君」


 名前を呼ばれ肩がピクっと動く。


 いつの間にか姿勢が正座をとっており、目がめちゃくちゃ泳いでいた。身体からの汗も尋常ではなかった。


「財布を忘れたの?」


「誠に申し訳ございませんんんん!」


 朝倉さんの言葉が言い終わると同時に、それはそれは見事な全力の土下座を披露した。


「それで私に奢ってほしいと? えーどうしようかなぁ~だって奢らないって言ってたしなぁ~」


「ぐうの音も出ません!」


「皿洗い頑張ってみる?」


「お慈悲を下さい! この哀れなゴミ野郎にお慈悲を下さい!」


「あ、でも私今日千円しか持ってないかも」


「へっ?」


 ガバっと顔を上げて、この世の終わりの様な表情で朝倉さんの方を見る。すると朝倉さんは横を向いたまま肩を震わせ、必死に笑いを堪えていた。


「ぷっ、あはははははは! ごめんごめん、いじわるが過ぎたね。でも……あははははは!」


 爆笑する朝倉さん。


「あー笑った笑った。大丈夫、ちゃんと二人分くらいのお金は持ってるよ。楠川君の反応が面白くてついからかっちゃった。ここは私が払うから。この借りは高いよ?」


「ありがとうございます!」


 再び土下座の姿勢でお礼を言う。


 朝倉さんが会計を済ませている間に、靴を履いて一緒にラーメン屋を出る。


「あー美味しかった。それに久しぶりにあんなに笑ったよ」


「俺はもう味が思い出せん……ホント助かったよ。ありがとう。金はちゃんと返すから」


「どういたしまして。でもお金は返さなくていいよ。その代わりこれからも私と会ってよ。それでチャラってことで」


「これからもって、学校はどうするんだよ? ずっとサボるのか?」


「ううん、学校にはちゃんと行くよ。今なら頑張れる気がする。だからこれ私の連絡先。楠川君のも教えてよ」


 朝倉さんが携帯電話を取り出し、画面に表示されている連絡先を登録する。今の俺には断る権利も、とやかく言う権利もないので素直に交換に応じる。受け取った連絡先にメッセージを送りこれで交換完了だ。


「これからもよろしくね」


 そう言ってにっこりと微笑んだ朝倉さんの目には、いつの間にか生気が宿っていた。初めて出会った時よりも表情に明るさを取り戻したそんな笑顔。さっきの笑い声も今までの朝倉さんからは考えられないことだった。


 今回の件で少しは打ち解けたのだろうか。嫌な打ち解け方ではあるけども。


「さーて、下校時間までまだあるし、もう少し付き合ってもらおうかな」


「はい、喜んでお供させて頂きます」


「なんかキャラ変わってるんだけど」


「今日は致し方なし」


 その後は、あちこち歩きながら色々なお店を巡り、下校時間を迎えた所で解散となった。


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