第2話 朝倉莉奈との邂逅 ②



 翌日、俺は学校へと向かった。


 とりあえず昨日は、あれから一日中寝て過ごした訳なのだが、睡眠の力はやはり凄い。十分な睡眠をとったおかげで、気持ちがだいぶ楽になった。


 とはいえ、まだ女に対する気持ちは変わることはない。しばらく彼女を作るという目標も頭から除外しよう。


 教室へ入るや否や突然、背後から肩を組まれもう見飽きたと言っていい親友の顔が視界に入る。


「おはようさん、くっすー。この不良生徒め。昨日なんで休んだんだよ」


「おはよう太一、先生から聞いてないのか? 風邪だよ風邪」


「お前、そんな嘘がこの俺に通用すると思ってるのか? 小学、中学と皆勤賞を取ってる健康体のお前が風邪? しかも前日はピンピンしてたじゃねーか」


「俺も人間だからな。急に体調を崩すことだってあるさ。まだ咳だって……ごほっ……ごほっ。ほらな?」


「下手な芝居をするんじゃねぇよ。くっすーが昨日休んだせいで、俺は昨日の授業のノートが真っ白だ。どうしてくれる」


 そう言って俺の頭を拳でぐりぐりとしてくるこいつは、旧友もとい見飽きた親友の古賀こが太一たいちだ。百八十センチという高身長で、筋肉質な身体に短髪が似合う好青年である。俺も身長は百七十センチあるものの太一が横に並ぶだけで小さく見える程だ。高校生になってから急に身長が伸びた為、筋トレに目覚めたという経歴の持ち主である。


 太一とは昔からの腐れ縁で小学、中学と低い方の成績の順位争いをしていた。今となっては俺の成績は上位にいるので、太一との順位は天と地ほどの差がある。成績の低レベル争いは唐突に終わりを告げたのだ。ごめんな太一。


「どうしてくれるもなにも、授業中に居眠りをする太一が悪いだろ。俺のせいにするなよ」


「俺はな朝起きたら筋トレをしてから学校に来るんだよ。そしたら俺の筋肉を休ませないといけないだろ? だから授業の時間は寝るんだよ」


「筋トレのしすぎで脳味噌まで筋肉か」


「うるせぇ、この真面目ガリ勉め。あーあ、昔はくっすーも勉強できる奴じゃなかったのに、何でいきなり頭良くなってんだよ。意味わからんぞ。変な物でも食ったんじゃねぇだろうな」


 まぁ太一には分からないだろうな。分からないだろうし知る由もない。俺が今回で八回目の高校生活をしているなんてことは。


 俺は自分の席に座り、鞄から教科書等を取り出す。太一も俺の前の自席へと移動すると、椅子とは逆向きに座り、背もたれに両腕を預ける形の姿勢で俺の方を向く。


「まぁ良くなってしまったものは仕方ない。だから、たった一日サボったところで俺の成績には特に影響はないんだ」


「やっぱりサボったんじゃねぇか。んで? そんな急に学校をサボってまで何か大事な用でもあったのか? ま、まさか……女か! 女とデートか!」


「そんなわけあるか。特に用事があったわけじゃないけど、ただ……急に物思いにふけたくなったんだよ。それで河川敷にな」


「え? なにそれ気持ち悪っ! なんか似合わないことしてんな。物思いって、何に悩んでるんだよ?」


「まぁ色々あるんだよ」


 若干引きながらジト目を向けてくる太一。


「でも知らない女子高生に邪魔された」


「邪魔されたっつうてもサボった挙句に女子高生との出会いだと! けしからん奴だな!」


「いや別に太一が羨ましいと思うような出来事は何もなかったぞ。ちょっと話をしてさよならしただけだし」


 実際本当にそうだし嘘はついていない。だが今思い出しても恐ろしい一日だった。


「どんな女だった? 可愛かったか? 名前は聞いたのか?」


「可愛いかどうかは人それぞれだろうから何とも言えないけど、名前は確か朝倉莉奈って言ってた気がするな」


 俺が朝倉さんの名前を口に出した瞬間、太一の眉が少しピクリと動いた。どうした痙攣か?


「くっすー、お前……今何て言った?」


「朝倉莉奈って言ったけど」


「桜野丘高校の?」


「いや、それは知らん」


「茶髪でボブヘアの?」


「うん」


「大人っぽくて、スタイル抜群の?」


「ん? ん~? あぁ~まぁそんな感じだったか? スタイルは知らんけど。よく見てないし」


 というか太一のやつ随分詳しいな。こいつの方が気持ち悪いじゃないか。


「もしかしてこの人か?」


 太一が携帯を取り出し、俺に画面を向けてくる。画面には俺が昨日出会った朝倉莉奈の写真が写っていた。登校中なのか下校中なのかは分からないが、歩いている所を撮影されたような写真だった。太一の奴、これやったな。


「太一、お前……ストーカーに落ちたのか」


「ちげーよ。送ってもらったんだよ。桜野丘高校にいる俺の知り合いがめちゃくちゃ可愛い女子高生がいるって言ってたからな。で? どうなんだよ、この人か?」


「その人だな」


「はい、くっすー死刑確定だわ。みんな~くっすーの奴、昨日学校サボって朝倉莉奈ちゃんと会ってたらしいぞ」


 太一が教室中に響く声で言った。すると、太一の一言が合図となったかのように談笑していた者、日直当番をしていた者、惰眠を貪ろうとしていた者等、自分達の用事をそっちのけで教室にいた男子たちが一斉に俺の席の周りに集まってきた。えっ? 何事?


「楠川くぅーん、今の話は本当かい?」


「とりあえず地中、空中、水中、好きな場所を選んでみようか」


「その前に朝倉さんの連絡先だけは置いてけや」


「みんな落ち着け! 俺たちクラスメイトで仲間じゃないか!」


「「「昨日までな!」」」


 なるほど、昨日の敵は今日の友ならぬ昨日の友は今日の敵という訳か。うん、自分でも意味がわからない。


「処刑の前に手始めにこの黒板消しで顔をパンパンしてあげようか?」


「いやいや、この塵取りで顔をぺちぺちってのはどうかな?」


「それとも、このモップと箒で顔をガシガシ磨いてやろうか?」


 俺の席に来る前に各々で武器となりそうな装備を持ってきたようだ。それにしても、みんなの怒りレベルの割にやることが小さい! でも地味に嫌だ。


「よーし、俺がくっすーを押さえておくからお前ら……フルコースだ!」


「退却!」


 太一に捕まる前に、俺は自分の席から立ち上がりみんなの隙間を縫って、一目散に教室から逃げ出した。


 逃げている途中で担任の先生とすれ違う。


「楠川、廊下を走るな。それとホームルームが始まるぞ。席に戻れ」


「すいません先生、風邪がぶり返したので早退します」


 俺は先生にそう言い残し、全速力で学校を後にした。




 校舎を後にした俺は通学路を逆走し、家の方向へと歩いていた。


「あーあ、昨日に続いて今日もサボってしまった。まぁいっか、どうせ俺に関する他人の評価なんてリセットされるし」


 そう考えると、このループする状況は活用次第ではある意味便利だと言える。真面目に過ごそうが、不真面目に過ごそうが、三年生の卒業式時点で彼女がいなければもう一度一年生からやり直しになる。それによって俺以外の人の思い出もリセットされる。だったら一度くらいは不真面目な学生生活を味わってみるのも良いかもしれない。まぁどうせすぐ飽きてしまうのがオチだろうけど。


「つか今からどうしよう。今日は母さんが家にいるしな」


 昨日サボった時は、両親が仕事だったので普通に家に帰れたのだが、今日は母さんの方が仕事が休みで家にいるのだ。家の中に一人でいるのと、親の目があるのとでは居心地がやっぱり違う。


「そういえば朝倉さん、何日か河川敷に来るって言ってた気がするけど、本気で待ってるなんてことはないよな?」


 朝倉莉奈から別れ際にまた会えるかと問われたが、気が向いたらだと、期待はするなと釘は刺してある。果たしてその言葉がちゃんと釘の役割を果たしているかどうかは分からないが。俺自身も女が嫌いだと言うなら、キッパリと会わないと断るべきなのだ。だがしかし、昨日の俺は最後の最後まで甘かった。


「うわヤバイ、思い出すんじゃなかった。思い出したせいでめちゃくちゃモヤってきた。これで本当に待たれてたら後味が悪いなんてもんじゃないぞ」


 本来、気にしないのが一番なのだが、それができたら苦労はしない。俺は不器用で未熟なのだ。とりあえず待っていないことが確認できさえすれば、このモヤりも晴れるに違いない。


「パパッと確認して、どっか遊びに行こう」


 そう自分に言い聞かせ、昨日の河川敷へと向かって行った。




「おいおい……マジかよ……本当に待ってるよ」


 河川敷が見えてきた所で、遠目にもその存在がはっきりと分かる。朝倉莉奈は昨日と同じ場所に座り込んでなにやら本を読んでいた。


 うわーどうしよう……居ないことの確認の為に来たのに、ばっちり発見してしまったよ……これで見て見ぬふりなんてしたら、明日以降ずっと今日も待ってるのだろうかと気にしてしまいそうだ。はぁ……仕方ない。


「何やってんだよあんた」


 俺は朝倉さんの方へと近づき声をかけた。


「あ、楠川君おはよ」


 声をかけられた朝倉さんは俺の方を向き挨拶をしてきた。目は相変わらず生気を感じない。


「本当に来たのかよ、昨日あれだけ釘を刺したってのに」


「うん。もしかしたら一回くらい会えるかもって思ってたから。でもまさか、昨日の今日で会えるとは思わなかったよ。二、三日は待つ覚悟だったんだけど」


「俺は今日は普通に学校に行ってたから、ここに来るつもりは全くなかったけどな」


「じゃあ何で来てくれたの?」


「まぁ……色々あった」


 何と説明しようかと一瞬思案したが、言葉を濁すことにした。


 クラスメイトに昨日あんたと会ったことを話したら酷い目に遭いそうになったから逃げてきただとか、帰りにあんたが本当に待っているのかどうか気になって確認しに来たとか、一から説明するのが面倒くさかった。なにより後者に関しては何だか言いたくなかった。


「ふーん、なら今からどうするの? 家に帰るの?」


「いや、今日は母さんが家にいるから下校時間までは帰れない」


「じゃあさ、それまで私の暇つぶしに付き合ってよ」


「えー何で俺が」


「いいじゃん。家に帰れないんだし、どこかで暇をつぶす予定だったんでしょ?」


 確かに暇をつぶす予定だったが、あくまで一人でぶらぶらするつもりだったのだ。


「駄目?」


 膝に頬をつけて上目遣いで尋ねてくる朝倉さん。


 ここで断らないと一緒に暇をつぶす羽目になってします。頑張れ俺! 男を見せるんだ! ただ一言「断る」と言えばいいんだ。それだけで一人の時間が、自由が手に入るのだ。


 俺は朝倉さんの目を見て少しだけ息を吐いた。


「……ちょっとだけだぞ」


 そう答えた。


 はい、知ってた。これはパターンっていうやつですね。ええ俺は馬鹿です。きっと女を完全に嫌いになるのは無理なのかもしれません。天命というやつですね。分かります。


「ありがとう、じゃあ行こっ」


 朝倉さんは立ち上がるとスタスタと歩き出した。俺は後ろを渋々ながら着いて行くのだった。



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