キッチンの水仙

Tukuyo

第1話

 「あなたってば、本当になんの役にも立たないわね」

 真っ白な砂糖にそういわれて、水仙は悲しくなりました。

 

 屋しきの広いキッチンでは、お茶会の準備が進められていました。主人の友だちが来るというので、使用人たちは大はりきりです。香ばしい紅茶の葉っぱも、さらさらの砂糖も、おしゃれなティーカップも、きれいなレースのテーブルクロスまでもが、自分の出番を今か今かと待ちかまえています。

 

 食器だなの上で、水仙はぽつんと咲いておりました。青い一りんざしの花びんの中は、朝に井戸からくんだばかりの冷たい水で満たされています。みずみずしい水仙は、忙しいキッチンを、悲しい気持ちで見つめていました。

 本当に、自分はなんて役立たずなんでしょう。

 昨日の夜、水仙は屋しきにやってきました。泉のそばで頭をさげて眠っていた水仙を、一人の女の子が手折ったのです。一緒にいた野原の花たちにさよならを告げることもできないまま、水仙はひとりぼっちになっていました。

 屋しきの主人の娘は、ひとりぼっちになった水仙を、そっと花びんにさしました。

「明日の朝になったらまた咲いてちょうだい。わたしはお茶会に参加できないんですもの」

 お父さまがさみしくないように、ここにいてあげてね。


 今日、まぶしい朝日で目を覚ました水仙は、それはびっくりしました。あざやかな春の野原に咲いていたはずなのに、いつのまにかたくさんの使用人が行き交うキッチンにいたのですから。

 水仙はしばらくのあいだ、忙しくも楽しげなキッチンを見つめていました。

 そして今、自分はここで咲いているだけで、なんの役にも立っていないということに気がついたのです。

 水仙は泣きたくなりました。野原にいた頃はただ咲いているだけで幸せだったのに、どうしてこんなところに来てしまったのでしょう。ほろほろと涙を零しても、忙しい使用人たちは水仙に見向きもしません。

 

 お昼になると、広い庭からお茶会の声が聞こえてきました。りっぱな紳士たちが集まっているのですから、もちろんりっぱな話をしているのでしょう。

 ところがどうも、水仙にはそれが楽しそうには聞こえないのです。澄んだ空気を伝わってくる笑い声が、からっぽのティーカップにひびきます。りょう地の話や国の話、それからぜい金と結婚の話。それはまるで、知らない国のいびつな言葉のようでした。野原で遊ぶ子どもらは、はねる小川のような笑い声だったのに。風がそよぐような声で秘みつの話をして、はちみつのように甘い恋をしていたというのに。

 きっとむずかしい話ばかりしているとあんなふうになるのだと、水仙は思いました。答えのないことばかり考えて、果てしない心配ばかりしていると、からっぽな笑い声になるのです。

 水仙は耳をふさぎたくなりました。目をとじて野原を思い浮かべてみても、ますます悲しくなるばかりです。


 やがてお茶会が終わると、深いため息をつきながら屋しきの主人がキッチンに入ってきました。食器だなの上でうなだれてしまった水仙を見つけた主人は、ひっそりと語りかけました。

「やれ、なんてつかれるお茶会だったんだろう。お前が咲いてくれていてよかった」

 そして花びんに冷たい水を注いだのです。

 水仙は驚いて、それからやっぱり悲しくなしました。たった一りんの水仙が、この人にとってはどんなに大切なものなのでしょう。

 春の野原の色さいと、小さな女の子のやさしさが!


 いつのまにか、水仙はキッチンできらきらと咲き誇っていました。

 どこにでも咲いているはずの花は、食器だなの上で、かけがえのないものになっていたのです。

 なんの役にも立たないやさしさなんて、あるはずがないのですから。

 砂糖がすべて紅茶に溶け、その葉っぱの香りがなくなっても、水仙はりんと咲いていました。

 

 やがて屋しきの主人が神さまの世界に行くその日まで、いつまでもいつまでも、みずみずしく咲いていました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キッチンの水仙 Tukuyo @utautubasa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る