偏愛セレナーデ

晴坂しずか

前編 若島月葉

第1話 ゲームスタート

 物音がして目を覚ますと、わたしは見知らぬ場所にいた。

 木目の見える暗い茶色の天井に、やけに手触りのいいシーツの感触。寝返りを打てば、わたしのキャリーバッグの上半分が見えた。しかもかばんも置かれている。その高さからベッドに寝かされていたことに気づく。

「……ここ、どこ?」

 なんだか頭がぼうっとする。ゆっくりと上半身を起こして、わたしは自分のいる場所を確かめた。

 家具と言えそうなものは、壁掛けタイプのモニターが一台とクローゼット、それと小さな丸テーブルをはさむように、椅子が二脚置かれているだけだ。

 窓からは明るい日差しが差しこんでおり、室内に電気がついていないことが分かった。クリーム色のカーテンはきちんと端で留められていて、ホテルの部屋のようだ。

「待って、確かわたしは……」

 最新の記憶を思い出そうとして、わたしは左手を頭に置く。――二泊三日の婚活合宿に参加するため、わたしは集合場所へ向かった。到着するとスタッフに申し込みの確認をされて、別室へ案内され……る間に、どうやら意識を失ってしまったらしい。

 気づけば、知らない場所にいた。

「どういうこと? いったい何が起きたっていうの?」

 首をかしげるわたしの耳に、ふと音がした。顔を上げて見ると、モニターに映像が映っていた。

「ようこそ、こんにちは。皆様、お目覚めになられたようですね」

 ボイスチェンジャーを使った不気味な甲高い声だった。映像は真っ暗で何も映っていないように見えるが、かすかに動くものがあった。どうやら、誰かがいるらしい。

「これから皆様にはゲームのプレイヤーとなって、この洋館からの脱出を目指してもらいます」

 どこからか「はあ!?」という声が聞こえてきた。皆様、という言葉からも分かるように、わたし以外にも人がいるのだ。

「制限時間は三ヶ月。クリア条件は『愛を育むこと』」

 愛?

「洋館の外には高圧電線を張り巡らせてあります。外へ出ることはできません」

 はっとして窓の外を見ると、広々とした庭の向こうにフェンスが見えた。そこに高圧電線らしきものが張られている。

「館内にある設備は好きに使っていただいてかまいません。食事は定期的に食材を配給しますので、ご安心ください。また、館内および敷地内に、カメラを三百台ほど設置しています。不測の事態が起きた場合、すぐに我々が対処させていただきます」

 まさか、この部屋にもカメラがあるのだろうか? 天井を見上げると、扉のすぐ上の角にそれはあった。レンズがこちらを向いており、部屋全体を見渡せるように設置されているようだ。

「それでは、よい共同生活を」

 映像がぷつっと切れて、モニターの電源もすぐに落ちた。遠隔操作だろうか。

 なんだか気味が悪い。怖くなって家に帰りたくなるけれど、それができないからますます恐怖を覚える。

「そうだ、スマホ」

 はっと思いだして鞄を手に取る。すぐに側面のポケットを探るが、スマホがない。

「嘘、なんで無いの?」

 中も探してみたが見つからない。――スマホがない、ということは外部との連絡もできない。

「密室……っ」

 わたしはこの見知らぬ洋館という密室に、完全に閉じこめられていた。クリア条件は「愛を育むこと」だったっけ。

「ああもう、意味分かんない!」

 とりあえず他の人と合流しようと思い、わたしは部屋の外へ飛び出した。


 廊下へ出ると、空気がひんやりしていた。出てきたばかりの扉を見ると、203号室と書かれた札が付いていた。

 やはりここはホテルなのだろう、床には上質な赤い絨毯じゅうたんが敷かれていた。柵から下を見るとロビーらしきものも見える。ここは二階だったらしく、上にもう一つ階があり、三階建ての建物だと分かった。

 他の人はどこにいるのだろう――と、思ったところで、扉の開く音がした。わたしの隣の部屋だ。

「あっ」

 と、出てきた女性がわたしを見て声をあげた。

「さっきのテレビ、見ました?」

 おそるおそる近づいてきた彼女へ、わたしはうなずく。

「ええ、見ました。ゲームがどうとかって」

 小柄で華奢きゃしゃな女性は、今にも泣き出しそうな顔をして言った。

「私たち、閉じこめられたってこと、ですよね?」

「ええ、そういうことでしょうね」

 答えてしまうと現実が重たくのしかかってきて、こらえきれずにため息をついてしまう。

 女性も涙をこらえるようにぎゅっと口を閉じていた。――いや、これではダメだ。制限時間もあるわけだし、とにかく行動しないと。

「とりあえず、人数を確認した方がいいかも」

 そう言ってから、わたしは再び柵の向こうへと視線を戻す。すると、反対側の廊下を一人の男性が歩いているのを見つけた。

 わたしは彼女に声をかけてから駆け出した。

「人がいる! 行きましょう」

「えぇっ、ちょっと待ってー!」

 がちゃり、がちゃりと扉が次々に開いていく。みんな、わたしたちの気配を察したのだろう。

 男性の元へ着いた頃には、他の人たちも廊下へ出てきていた。

「さっきの、見ましたよね?」

 と、わたしが声をかけると、ボサボサの黒髪で目が半分ほど隠れた男性は答えた。

「こんなところ、さっさと出ていくぞ」

「でも、クリア条件が」

 あとから追いついた小柄な彼女が言い、男性は返した。

「運営をぶっ叩きゃいいだろ」

 どうやら、彼はこのゲームに参加する気はなさそうだ。

「確かに、それができれば早いとは思いますけど」

 と、わたしが困惑すると、眼鏡をかけた知的な男性が近づいてきた。

「その前に情報を整理するべきでは?」

 はっとして見ると、他の人たちもこちらへ集まってきていた。

「そうですね。ひとまず、広いところに移動しましょうか」


 階下のロビーに場所を移し、わたしたちはそれぞれの顔が見えるように輪になった。床に直接腰を下ろすのは気が引けたが、人数分のソファはない。

「えっと、まずは自己紹介をしましょう。これから、ここで共同生活をしていくことになるみたいなので」

 自然とわたしが司会役になってしまったが、かまわずに名乗った。

「わたしは若島月葉わかしまつきは、二十五歳です」

 左隣にいた彼女へ視線をやると、緊張しながらも続いてくれた。

「わ、私は佐藤さとうひばり、です。えと、二十三歳です」

 その隣にいたのは穏やかな雰囲気の好青年だ。

「ボクは唐木珠紀からきたまき、二十四歳です」

 次に名乗ったのは背が高くて体格もいい、いかにも頼もしそうな男性だった。

「俺は長谷川飛鳥はせがわあすか。二十九歳だ」

 次は先ほどの知的な彼だ。

「僕は乱橋律らんばしりつ、二十八歳です」

 その隣にいた、明るい赤色に髪を染めた女の子が明るく言う。

「あたし、長山梨央ながやまりお。十八歳でーす」

 女性の中では一番背が高い、茶髪の女性が落ち着いた口調で名乗る。

竜野晴日たつのはるひです。二十七歳です」

 さっぱりとした雰囲気の爽やかな青年が、少し緊張気味に言う。

「オレは東卯月あずまうづきです。二十五歳です」

 その隣は、ちゃらちゃらとした雰囲気の青年だ。

「おれは間宮叶太まみやかなたっす。二十二歳です」

 最後にあの黒髪の男性が言った。

「オレは矢田京やたきょう、二十六歳だ」

 一通り自己紹介が済み、わたしは言う。

「全部で十人、ですね」

 男性が六人で女性は四人の、合計十人だった。

「さっき聞いたクリア条件は『愛を育むこと』、でしたよね」

「数、合わなくない?」

 竜野さんが口をはさみ、佐藤さんも言う。

「男性の方が多い、ですよね」

 言われてみれば数が合っていなかった。男性の方が多いのであれば、必ず二人はクリアできないことになってしまう。

「確かに変ですね。愛を育めって言ってるのに、これでは不公平というか」

「あ、あの」

 ふいに口を出したのは長谷川さんだ。全員の注目を集めた彼は、苦笑いをしつつ告白した。

「実は俺、同性愛者ゲイなんだけど……」

 空気が一瞬だけ固まった。長谷川さんは続ける。

「男が多いのは、男同士でもいいってことなんじゃないか?」

「……なるほど」

 つぶやいたのは唐木さんである。

「いや、えっ、そういうこと!? 確かに今の時代、別にありえないこともないですけど!」

 混乱したわたしが半ば叫ぶように言えば、乱橋さんがため息とともに言う。

「それなら納得だな。念のために聞くが、彼のような人間は他にいるか?」

 思わず緊張するわたしたちだが、おずおずと手をあげる人がいた。竜野さんだ。

「白状するわ。あたしはバイセクシュアルよ」

 女性の中にもマイノリティがいた。驚きをこらえるわたしたちへ、彼女は呆れたように息をついた。

「けど、あたしが参加したのは婚活合宿。今回は男性を探しに来たの」

「ああ、オレもそうです。女性との出会いを求めて」

 と、東さんが言い、他の人たちもそれぞれにうなずく。わたしだってそうだった、のだけれど。ふいに気づいてしまった。

「あれ? 長山さん、十八歳って言った? わたしたちが参加したはずの婚活合宿って、二十代限定だったはずじゃ……?」

 今度は長山さんに視線が集まり、彼女はにこっと笑う。

「お姉ちゃんの名前で申し込みしちゃったんです。彼氏が欲しくって」

「その年齢なら、わざわざこんなものに参加しなくても――」

 間宮さんの言いかけた口を、乱橋さんがさえぎった。

「君も十分に若いと思うが?」

「す、すみませんっ」

 見た目通り、間宮さんは口の軽い人らしい。この先、トラブルを起こさないといいのだけれど。

「話を進めましょう。わたしたちは何者かによって、この洋館に閉じこめられました。制限時間は三ヶ月、でしたよね」

 と、気を取り直して話を進める。

「さっきも言ったように、クリア条件は『愛を育むこと』。つまり、カップルが成立したら外に出られる、ってことだと思うんですけど」

 それぞれがそれぞれの顔を見回す。この中にいる誰かと、わたしたちは恋をしなくてはならないのだ。

「三ヶ月経っても成立しなかったら、どうなっちゃうんでしょう?」

 わたしの問いかけに矢田さんが言う。

「殺されるに決まってるだろ。これは密室系のデスゲームだ」

 小さく悲鳴があがったが、確かにそうとしか思えない。

「婚活合宿は人数を集めるための嘘で、どこかの暇を持てあました金持ちがこのゲームを企画したんだ。カメラもあちこちに設置してあるし、オレたちの恋愛リアリティショーを見たいんだろう」

 なるほど、そういうことなのか。

「だが、オレはそんなのごめんだ。運営のしっぽをつかんで、叩きのめしてやる」

 言い切った矢田さんは、本当に早くここから出ていきたい様子だ。

「けど、あなたも婚活合宿に参加したんですよね? 彼女、ほしくないんですか?」

 おっとりとした口調で唐木さんがたずねると、矢田さんは彼をにらんだ。

「二泊三日のはずが三ヶ月だぞ? 仕事だってあるんだ、早く出ていきたいに決まってるだろ」

「それもそうだな」

 長谷川さんが同意し、矢田さんはため息をつく。

「そもそも、クリア条件が抽象的なんだよ。愛にも程度があるだろ。ただカップルが成立すればいいとは思えない」

「うーん」

 言われてみれば、「愛を育むこと」というのは曖昧あいまいな感じがする。

「またモニター越しに、やつが何か言ってくる可能性はあるが、どこかにトラップがある可能性もある。スマホを取り上げられちまったから、外の情報は一切得られない。運営の正体も思惑も分からない現状、恋愛なんかにうつつを抜かしてる場合じゃねぇぞ」

 矢田さんの考察は鋭いと思えた。これがデスゲームなら、ただ恋愛をすればいいわけじゃない。きっと何かあるに決まっている。

「っつーわけだから、オレは部屋に戻る」

「えっ!?」

 彼は早々に背を向けて歩きだしており、わたしは叫ぶ。

「なんで戻っちゃうんですか!?」

「眠たいに決まってるからだろ。夜勤明けで難しいこと考えられるかよ」

 矢田さんが階段を上って行ってしまい、わたしたちは呆然とするばかりだ。

「仕方がない、彼抜きで話を進めよう」

 乱橋さんの言葉で我に返り、わたしは再び気を取り直した。

「えっと、今後、共同生活をしていくんですよね。そのためには、ルールと役割分担をするべきだと思います」

「僕も同じ考えだ。食事はもちろん、掃除や洗濯もする必要があるだろう」

 矢田さんと違って、乱橋さんは協力的でありがたい。

「お風呂はどうなんでしょう? 男子と女子で別れていればいいんですが」

 と、佐藤さんが言い、わたしははっとした。

「そうですよね。まずはこの洋館の内部を確認して、それから役割分担をしましょうか」

「それがいいな」

「ええ、そうしましょう」

 みんなが同意してくれたため、わたしたちはそろって館内を探索することにした。

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