第7話 殺そうとしている?
みゆきが働いていたキャバクラは、それほど大きなところではなかった。歓楽街の中でも、結構端の方にあり、小さい上に、立地条件の悪さから、人気店に比べれば、どうしても、見落とししていた。
収益もあまりよくなく、キャストの女の子にも、満足とは言い難い給料しか払うことができていなかった。
それでも、もっているのは、常連の客が多いからである。
彼らは、店が良心的な価格設定をしてくれていることで、他の店に2回通うことを思えば、ここに3回通うことができるからだ。
しかも、キャストのレベルは、値段の開きほど悪くはなかった。
当然、このような立地の悪さや、店内の狭さなどを考えて、これだけ良心的な値段にしてくれているのだから、キャストは最悪だと思うのは当然だろう。
しかし、実際には、明るい女の子が多かった。特に、女子大生などで、
「学校や親にバレたくない」
と思っている子にとっては、ちょうどいいお店だった。
客の質も、そんなに悪くはないし、彼らとて、しょせんは貧乏学生だったり、しがない単身赴任のサラリーマンだったりする。中には、既婚者もいたようだが、彼らとしても、プライベートの生活と隔絶したものを求めにきていたのだ。
賑やかなお店もいいのだが、どうも、雰囲気に圧倒されるというのか、あるいは、
「女の子が、誰にでも同じような態度を取っていると思うと……」
と思い、なかなか自分から行けなくなってしまう。
それを思うと、男性の方も、
「明るくて、いつもそばにいてくれるようなそんな癒しを求めているんだ」
という人が多かったりする。
そんな彼らには、この商売に染まっている、玄人の女の子は正直合わない。
「どこにでもいる女の子」
という雰囲気がありがたかった。
そういう意味では、女子大生のアルバイトというのは、じつにうってつけである。
彼女たちは、意外と結構いろいろ知っている。アルバイトとはいえ、男性客から教えてもらったことをちゃんとメモして、自分の教養に生かそうとする。
それらを、女子大生という、
「コミュ力の高さ」
を武器に、お客さんと接することが、いかにこの仕事でやりがいを見出せるかということが分かっているのだ。
そういう意味で、女子大生というのは、店にとってもありがたい。アルバイトとして、それほど高い給料を払う必要はないからだ。
下手にホステスのプロなどは、プライドの高い女性も多く、店の態度にちょっとでも不満を感じれば、本性を現して、店に凄みを見せるくらいのことをやってのける子は少なくない。
そんな女の子たちも、持ち前の明るさが、客にウケるのだ。
毎日、職場や学校で、虐げられ、大学生の場合は、女の子から相手にされないことで、せっかくの大学生活を暗黒の時間として、このまま黒歴史にしてしまいそうになるのを自覚しているのだった。
受験勉強を乗り越えて、
「大学に入ったら、彼女を作って、そしてバラ色の大学生活が自分を待っているんだ」
と感じていたのは、何だったのだろう?
「客と、キャストの一体化」
これがこの店の強みだった。
だから、お互いに気に入った相手であれば、別に恋愛関係になっても、問題ないということにしていた。
「恋人同士になれば、その男性は来なくなるが、他の客がついてくれる」
ということである。
「大学生活というのは、人間関係を養うものであるから、キャバクラのアルバイトというのも、同じ趣旨ではないのか?」
と考えると、女の子たちも、キャバクラでのアルバイトの敷居は、昔に比べれば、かなり低いものだったのだ。
そんなキャバクラの仕事は、みゆきにとって楽しいものだった。
大学にいるだけでは、絶対に経験できない人間関係。さらに、知識を得るということ。ちょっとした世間話から、普通の大学生で走ることのできない内容の話を聞けたりすると、何となく偉くなった気がした。
ホステスの中には、
「営業トークのために勉強する」
といっている人もいるが、
「勉強するために営業トークをする」
という考えもあるだろう。
人と話していると、自分でどんなことに興味があるのかが分かってくる。
「もっと知りたいな」
と感じることで、もっといろいろ勉強もできるし、勉強したことが、知識を得るだけではなく、今まで知り合うことのできなかった人と知り合えるようになる。
それは、意識していなくても、自分の中にあるものが、人を引き寄せるという感覚になるというのか、人と知り合うことが、勉強に繋がるというのか、それぞれを切り離して考えられないようになってくると、何が楽しいのか分かってくるような気がする。
確かに、
「楽しいということに、理由なんかいらない」
といえるのかも知れないが、その楽しいということを、自分から知りたいと思えるようになることが大切なのではないだろうか?
そのことを教えてくれたのが、キャバクラでのバイトだった。
実際に好きになりそうな人もいたが、その時のみゆきにとって、
「恋愛が一番ではない」
という思いがあり、つまり、恋愛というものを、
「最終目標」
にしてしまうと、達成された時、腑抜けのようになってしまい、永遠に賢者モードから抜けられなくなってしまうと、考えるのだった。
目標を持つのは確かにいいことだ。目標に向かってしっかりとした足場ができ、経過を客観的に見ながら進むことができるので、達成感がハンパないところまでくることだろう。
しかし、実際に、達成してしまうと、それまでに、達成した後のことを考えておかないと、本当に腑抜けになってしまう。
「目標は達成するためにあるものだが、達成するだけが、目標ではない」
という話を聞いたことがあったが、理屈としては分かっているつもりではいたが、実際には、
「目標を達成してしまうということは、見失ってしまった時と同じ効果がある」
ということだ。
一つの目標を、半永久的なものにしていればいいが、そうしていると、実際の達成感を味わうことのない人生になってしまう。
かといって、達成してしまったその瞬間に、死が訪れたというのであれば、いいタイミングだといえるかも知れないが、せっかくの達成感を味わうことなく、この世をおさらばすることになると考えると、一番いいタイミングというのは、
「究極のタイミング」
でしかないのだった。
そんな達成できるかできないか分からないタイミングで、最高の達成感を味わうというのはどういうことだろう?
達成感を充実した瞬間に死を迎えるということが最高なのだろうが、それこそそんな都合のいいことは、自殺でもない限りありえない。
しかも、自殺では意味がないのだ。
自ら死を選ぶのであれば、
「達成するということは、死を選ぶことありきになってしまい、せっかくの達成感を、自らの命を奪うということで叶ったとして、それが果たして幸せだといえるのだろうか?」
と考えさせられる。
それでは、完全に、
「人間は死ぬために生きている」
ということになり、感情を出さずに客観的に考えると、究極、そういうことになるのであろう。
ということは、少しでも感情があれば、
「生きることと死ぬことを同じ土俵で考えてはいけない」
ということに気づく。
そしてそれが当たり前のことだとして、自分の考えが、成就せれることになるのだろう。
そんな目標を、
「何のために設定して、どうして達成させようというのか?」
と、もし他人に聞いたとすれば、
「そりゃあ、生きがいにもなるし、仕事や、家庭を持つなどという、社会生活をする上で、絶対に必要なものを継続させていく時、その指針となるものがなければ、挫折したり、見失ったりするからなんじゃないかな?」
と、いうだろう。
確かにその通りであり、それ以上の模範解答はないだろう。
ただ、
「それだけなのだろうか?」
と聞かれた時、果たして、何と答えるというのだろうか?
それを思えば、目標、そして、それを達成させることというのは、結構大変なことである。
最近は、ほとんどの企業で、目標のための、人事考課シートのようなものを提出されるところが多い。
それを半期、つまり、半年間の目標として、営業であれば、数字的なもの、管理部であれば、刑事節減であったり、会社の体制改善などの目標を持って仕事をしているので、それを個人ごとに設定し、役職の階級ごとに、内容が異なった人事考課になったりするのだろう。
それを上司が見て、点数をつけるということになるのだろうが、目標設定にも、結果報告にも、上司との面接があり、そこで、その人の目標や評価が決定される。
最終的には、上司から、取締役からそれを査定し、それが、次回の賞与や、昇給に影響してくるというわけだ。
要するに、
「人から言われて、仕事をこなすのは当たり前であり、平社員であっても、会社に貢献するものを考えて、自ら行動に起こせるような人間でないといけない」
ということになるのだろう。
昭和の時代のように、
「終身雇用」
であったり、
「年功序列」
というものはない。
今の時代に沿った形で、コンプライアンスにはかなり厳しくなり、さらには、個人情報保護の問題も大きいことから、仕事がやりやすくなった人、やりにくくなった人に、ハッキリと別れることだろう。
平成に入った時くらいに、バブル掲載に浮かれていた世の中が、弾けてしまうと、一気に立場が、一気に、天から奈落の底に堕ちることだってあったのだ。
特に、バブルの時期の就活というと、完全に、
「売り手市場」
であった。
面接に行けば、少しでも成績がよかったり、体育会系の部活をしていたなどというだけで、企業は、他に行かれないように、
「抱え込み」
のようなことをする。
内定を出した後、
「入社前研修ということで、海外旅行に連れていったり、親睦会ということで、宴会をもよおしてくれたり」
そんな優遇を受けて、ちやほやされる形で入社してきたものだ。
しかし、今度はバブルが弾けて、リストラの嵐が吹いてくると、リストラ候補として、最前線に出されるのは、その時に過剰なくらいに雇った入社、3、4年目くらいの社員たちであった。
いきなり、許容できない部署への転属を命じられたり、出向させられたり、左遷ぎみの異動などが、横行してくるのだ。
そうなってくると、ほとんど、会社を辞めなければならないところに追い込まれたようだ。
甘んじて受けた辞令であっても、今度はそんな部署でも、窓際に追いやられてしまうと、さすがに、忍耐で会社に残ろうと思っていた人でも、嫌になるのは必定である。
「仕事なんか、もう嫌だ」
という精神疾患というおまけつきで、会社から放り出される。
そんな社会の目の当たりにしていた人間は、相当強くなったことだろう。
目標達成において、一体何をすればいいのか、
「上司と相談して、仕事をする」
ということになっているが、上司は上司で忙しい。
下手に声を掛けたりすると、
「今、忙しい!」
と言われて、仕事の邪魔をしているかのようになってしまう。
そうなってしまうと、決まずくもなるし、余計なプレッシャーを感じることになってしまって、できるはずの従来の仕事にまで影響してしまうことになりかねない。
それは避けなければいけない。
かといって、何も言わないと、時間だけが無駄に過ぎてしまい。結局何もできずに、シートの結果蘭には、
「達成できませんでした」
としか書くことがなくなってしまう。
しかも、その理由も書かなければいけない。
それが一番辛いのだが、まさか、
「上司が忙しそうにしているので、声を掛けられませんでした」
などと書くわけにもいかない。
それに、上司との面談で、
「どうして達成できなかったのか?」
と聞かれる時も同じで、こちらも、
「あなたが、忙しそうだったから」
などと言わるわけもないだろう。
そうなると、いかに言い訳を考えるかというのも結構大変で、変なことを書くと、
「こんなもの、上司に提出できるわけはないだろう? できなかったことでも、どこまでできたかということをよく考えて、再提出しなさい」
と言われるのだ。
つまり、この上司も、部下が達成できていないと、上司としての、才覚に欠けるということで、上司自体の指導力と、管理力のところが問われてしまい、自分の人事考課も落としてしまうことになる。
だから、部下に文句はいうが、せめて、
「目標に対して、ギリギリ達成」
というくらいまでの達成を望むのだろう。
そんなことを毎年続けていかなければならないのは、結構なプレッシャーであった。自分もそうだが、コミュニケーションが苦手で、
「報連相」
がうまくできない人は、この、
「人事考課シート」
は、最大の天敵だといってもいいだろう。
三枝は、めぐみから、
「人事考課」
されていたのだ。
そして、考課としては、最悪の点数をつけようとしていた。
しかも、これが会社だったら、
「完全なフライング」
であり、まだ、人事考課シートを渡される前から、結果が見えているようで、それこそ、
「出来レース」
の様相を呈しているといってもいいのではないだろうか?
そんな状況において、三枝も、まさか、相手がすでに評価を決定しているなど分かっているわけもなく、
「いい評価を受けたい」
と思うことから、相手の気持ちは決まっているというのに、相手の心を掴もうとする、完全に、
「相手から、後出しじゃんけんをされているようなものではないか?」
ということであった。
「出来レース自体が、後出しじゃんけんのようなもので、オーディションといっても、規模の小さなものは、同じ事務所の人気の子の、まるでおこぼれに預かるような、いわゆる、
バーターと呼ばれるもので、実は本人の実力とは一切関係のないものだったりすることが往々にしてよくある」
と言われている。
正直、そんな汚いと言われるようなことで、選ばれても、自分の実力を見失うだけで、その人にとっては、何らいいことではないのだった。
みゆきが、三枝のことを最初から嫌いだったことに、三枝は、次第に気づくようになっていた。ただ、その思いは、少し歪な形で表れてきた。
その一つとしえ、やはりみゆきのキャバクラ時代にいた、異常な男の存在が、みゆきに、おかしなトラウマを植え付けたのだ。
ストーカーまがいの行動をする男だったのだが、決して、みゆきを襲うようなことはしない。それだけわきまえているというわけではない。そもそも、わきまえていて分別のある男なら、ストーカー行為を繰り返したりはしない。
その男の意思がそこにはあるのかどうか分からないが、いつもギリギリのところで収めている。だから、彼女が振り返った時、誰かがいるのに間違いはないのだが、それが誰なのか分からない。
影だけが見えていて、その影は、みゆきを狙っているのだ。
これほどの恐怖はない。さすがに警察に相談したのも無理もないところだ。
相手は決して顔を出すことはなかった。だから余計に恐ろしさがあったのだが、一度だけ、
「これでもか」
とばかりに、一度露骨といってもいいほど、その顔を出したことがあった。
それが一番最初でも、顔を見てから、ストーカー行為が収まったわけでもない。まったく唐突に顔を見せたのだ。
「次回からは、自分だとバレてもいいという開き直りなのかな?」
と思ってが、結局顔を見たのは、その一回だけだった。
だが、その一回というのがミソで、これ以上ないというくらいの、恐怖を植え付けられた気がした。
そのおかげで、影が怖くなっていたのだ。
だから、暗い夜道を決して一人で歩こうとはしない。だから、一人暮らしを始めた時の住まい選びで最優先したのは、
「公共交通機関から、マンションまで、大通りに面していて、必ず、明るいところを通る場所」
ということだったのだ。
そのうちに、ストーカー行為は止んでいた。
どうしてなくなったのか分からなかったが、その男も店に来ることもなくなった。これは人から聞いた話だが、その問題の男は、他の女の子にストーカー行為をしていて、その時、たまたま居合わせた警官とぶつかって、御用になったのだという。
「他の人にストーキング?」
と思うと、
「私に対してのものは、何だったんだ?」
と思ったが、考えてみれば、ある意味、分かりやすい性格なのかも知れない。
つまりは、
「相手は誰でもいいから、ストーキング行為という行動に快感を覚えていたのかも知れない。相手の反応を見ることが男にとっての快感。だから、相手を決して襲おうとしなかったし、顔を見せることもなかった。だが、途中でそれだけで満足できなくなり、一度だけ、露骨に顔を見せることで、新たな快感を得るに至った。それが、この男の、段階的なストーカー行為であり、異常性癖の歪んだ現れなのではないか?」
ということではないのだろうか?
そんなことを考えていると、逆にみゆきの中で、
「その男の性癖が伝染しているのではないか?」
と思うのだった。
三枝は、今まで女性に対して感じた感情とはまったく違うものをみゆきに感じた。みゆきのことを今までであれば、すぐに好きになってもいいはずなのに、なかなか、好きになったということを自分で認めたくないところがあった。
三枝は、
「好きになったから、好かれたい」
というよりも、
「好かれたから、好きになる」
というタイプだった。
よほどの一目惚れでもない限り、好かれていることを確認し、
「確認できなければ、その人を好きになることはない」
というほどの極論を持っていた。
だから、感情よりも頭で理解する方が、その人を好きになるタイミング的に、かなり遅れてくるというものだった。
だから、三枝は、余計に慎重になり、なかなか好きだという実感が湧いてこない。
それまで、これもいつものことだが、相手を好きになるという時まで、三枝は自分のことで精いっぱいだ。相手の女性が自分のことをどう思っているか? それも、
「好きか、好きではないか?」
ということの二択である。
つまり、
「嫌い」
というワードはそこには入っていないのだ。
ということは、自分のことを嫌いだと思っていて、早急に結論を出そうとして黙っているみゆきのことは、一切頭に入ってこない。
普通であれば、これから恋愛対象として見ようと思っている人であれば、いくら自分のことで精いっぱいだったとしても、もう少し、観察するものだ。
正直、知り合ってすぐの相手を観察するという行為は、結構心地いいもので、精いっぱいのことを考えている頭で、
「癒し」
すら感じられるほどだった。
それなのに、相手の心を考えようとしないのは、最初から無理があったということだろう。
そのことは分かっているはずだった。
今まで、相手を最初に好きになったことのない理由は、最初に相手のことを考えすぎて、きっと、相手がしたたかな計算をしているのが、垣間見えたからだろう。
そう思うと、白けてしまい。夢から覚めてしまうのだった。冷めてきたところで相手を見ると、今度は見えてこなかったいい部分が見えてくるようになり、
「何で、俺は冷めちゃったんだろう?」
と考えてしまう。
だったら、もう一度、
「夢の中に入ってしまえばいいのではないか?」
というのだろうが、
「夢というものは、一度冷めてしまうと、同じ夢を、しかも続きから見ることは不可能なんだ」
ということも分かっているだけに、その時点で、
「この恋はもうダメだ」
と、その最後のとどめを、自分で刺してしまったことを激しく後悔するのだった。
それは、サッカーにおける、
「自殺点」
のようで、何をどう言っても、格好の悪いものである。
一番自分が、その情けなさを分かっていて、理解もしているつもりだった。
そんな時、ふと、みゆきのことを考えていた。
「あの目は、今までい見た、いろいろな目で一番怖い」
と感じたのだ。
三枝は、まだ好きにもなっていないのに、感じたこの恐怖は、
「きっと、みゆきさんのことを好きになるという予感が自分にあって、好きになった時に見た表情から感じることなのかも知れない」
と思った。
その形相は、悪魔のようで、それこそ、
「この俺を殺そうとしているのではないか?」
と思うのだった。
人はそれぞれに過去があるということは自覚していて、何がトラウマになるかも分からない。その過去をいかに恐怖として感じていて、二人の間の距離の詰め方に、最悪のバランスと、タイミングがあることで、本来であれば、
「交わることのない平行線」
を描くのだろうが、
「その平行線が、どこまで繋がっているのか、ひょっとすると、どちらかが、途中で切れてしまっているのではないか?」
と思うと、急にその平行線が、自分の手相となるような、手のひらの線のようなものに感じられた。
「切れてしまっているその線は、運命線なのだろうか?」
と考えたが、それなら、まだいいのではないか?
「まさかとは思うが、生命線だったらどうなる?」
と考えたのが、飛躍してしまって、
「この俺を殺そうとしているのではないか?」
という妄想に取りつかれた。
果たして、ただの妄想で済むのだろうか?
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