4階に火炎の吹く

帆多 丁

第1話

 防災センターを出て、高原は所定の警備ルートをまわり始めた。

 電気や通信設備の夜間作業で業者を入れることもあるが、この夜はそういった対応もなかった。都内、下町の再開発で建てられたショッピングモールに聞こえるのは、隣の広い公園にたむろする酔った若者たちの声と、床を打つ自分の革靴の音ぐらいが常であり、ぺちぺちぺちぺち、という湿った足音ではない。


 高原は歩みを止め、懐中電灯の光を向ける。支給された館内用の無線式内線電話PHSを取り出し、発信する。

「はーい、防災センター水沼。どうしましたぁ?」

 と、50代の先輩警備員の声が間延びする。

「巡回中高原。不審な足音が聞こえました。南側エントランス吹き抜け付近。監視モニター注視願います」

「防災センター了解。フロアは?」

「フロアまでは特定できずです。上方向からなので、2階か3階だと――」


 ぺちぺちぺちぺち


「発見! 2階の廊下! おい待て!」

 高原の目に映ったのは、小学校低学年ぐらいの子供に見えた。吹き抜けをぐるりと囲む廊下を、ぺちぺちと走っている。

 高原は電話を片手にエスカレーターを駆け上がる。2階に出るなり、子供の影を迎え撃つように円形の廊下へと駆け込む。影が慌てて踵を返したのが見えた。白いタンクトップにベージュの半ズボン。

 エントランスは広い。その円周となる廊下も長い。昼間なら店舗が開いているが、夜間はシャッターが下ろされているのだ。一本道である。子供の足に振り切られるはずはなかった。

 夜間とはいえ、ガラス張りのモールには隣接する公園や繁華街の光も入れば、非常口灯の光もある。高原はまだ若く、侵入者対応の経験は多くない。ましてや子供は初めてだ。何はともあれ捕まえて、対応を水沼と相談しなければと考えた矢先に、見失った。


 通話は切断していない。

「おーい、もしもーし」と水沼の声が聞こえる。

「すみません、見失いました」

「おう。こっちはモニターでバッチリ高原ちゃんが見えてるよ。でも他の人らしいのは……見えないねぇ。見間違いじゃない?」

「そんなわけは!」

「あー、ごめんごめん。べつに疑ってるわけじゃないんだ。でも2階の円形吹き抜けのそばだろう? いまんとこ人影は確認できてないよ」

 ちゃんとみたんですか、と言いたくなるのをこらえて、答えた。

「わかりました。もう少し探して、所定のルート巡回に戻ります」

「はいよろしく。引き続きモニター見とくよ」

 と、通話が切れた。

 電話を胸ポケットにもどし、高原が南北を結ぶメインデッキへ足を踏み入れた時、 だっだっだっだ、と音がした。

 高原はこの音を普段からよく聞く。

 停止したエスカレーターを登るときの足音だ。

 振り向き、人影を見る。

「待てって!」

 追って駆け上がる。子供の影はエスカレータを昇りきって、次のエスカレータへとすばしっこく移動する。遅れて高原も駆け上がり、次のエスカレータに踏み入る。

 数段駆け上がって違和感。

 今、3階からエスカレーターを昇っていないか?

 このモールには、3階までしかないのに。


 振り返り、駆け降りようとして高原は転んだ。ちょうど、下り階段の段数を間違えた時のように転び、

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