蛍の記憶
第1話
清流に蛍を見に行かないか、と同僚に誘われてぼくは子供のときに体験した蛍にまつわる恐ろしい出来事を思い出しました。
誘いをかたくなに断るぼくを同僚は不思議に思ったようですが、ぼくにとっては蛍は幻想的で美しいものではなく、恐怖を思い起こさせる禍々しい虫なのです。
ぼくの父方の祖母は九州の片田舎に住んでいました。戦争で夫を亡くし、女手ひとつで父や兄弟を育ててきました。
今は子供たちは都会に出て祖母はひとり、生まれ育った故郷を離れたくないと山と川に囲まれた田舎で暮らしていました。
祖母の家は山間の集落にあり、すぐ近くに小さな川が流れていました。夏でも冷たく澄んだ水が流れる川は大人の膝ほどの深さで、近所の子供たちの遊び場になっていました。
両親は子供の自立心を育てようと、夏休みには祖母の家にぼくを一人で行かせてくれました。新幹線に乗って二時間、改札を出ると親戚のおじさんが迎えにきてくれ、車で祖母の家へ送ってくれました。
ぼくは自然豊かな祖母の家で夏休みの10日ほどを過ごしました。ぼくが小学校4年生のときから始まった夏の恒例イベントになっており、ぼくは夏休みを毎年楽しみにしていました。
あれは中学校1年生の夏休みでした。例年通り祖母の家に泊りに行き、1週間ほどが過ぎた頃です。
祖母の家に行く楽しみのひとつは温泉でした。昔ながらの小さな銭湯で、祖母に連れられて毎晩通いました。
銭湯は家から川沿いに五分も歩けばつく距離にありました。肌がすべすべになるのが気持ちよかったし、都会のスーパー銭湯にはない温泉独特の匂いも好きでした。
何より楽しみだったは、祖母に買ってもらう入浴後のフルーツ牛乳です。
あの日は祖母が足が痛いというので、ぼくひとりで小銭をポケットに入れて銭湯へ向かいました。
温泉につかってフルーツ牛乳を飲み、夜道を祖母の家まで歩いて帰ります。アスファルト舗装のきれいな道が通っていますが、ぼくは川沿いのあぜ道を歩くのが好きでした。
車道側に古い傘がついたタイプの街灯が点々と灯るものの、夜になるととても暗く、気をつけて歩かねばなりませんでした。
この暗さは好都合でした。あぜ道に沿って流れる清流には夏になると蛍が飛ぶのです。
蛍を見た、とクラスの友人に自慢するとうらやましがられました。ぼくの住んでいる街はそこそこ都会で、こんな自然豊かな場所は車で一時間以上走らなければありません。
それだけに自然の蛍を見たという友達は少なかったのです。
温泉に行く日は毎晩、川沿いの草むらに舞う蛍の光を眺めて祖母の家に帰るのが日課でした。その日も同じように川を眺めていました。
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