第3話

 ストレッチャーに縛り付けられた患者はぐったりとして動かなくなりました。針は長さからして患者の脳に突き刺さっています。あの医者は患者を殺してしまった、そう思うと奥歯がガチガチ震え始めました。

 その場から逃げだそうにも、恐怖に足が痙攣して動くことができません。


 不思議なことに、医者も看護師も冷静な態度を崩しません。看護師が患者を拘束するベルトを解きました。もう一人が倒れた車椅子を元に戻します。

 そして、患者をストレッチャーから車椅子に移乗させました。こちらを向いた患者の顔に見覚えがありました。


 病棟四階の山岸さん(仮名)です。糖尿病の治療で入院していましたが、精神疾患があっていつも病棟で奇声を上げていました。注射や点滴などの処置の際も暴れて殴られた看護師もいます。

 治療は続ける必要があるため退院させることも出来ず、四階では対応に苦慮していた患者です。


 山岸さんは虚ろな目をして、口の端から涎を流していました。先ほど医者が針で貫いた跡なのでしょう、目から赤い糸を引くようにように血が流れています。

 山岸さんは死んではいないようでした。看護師が山岸さんを乗せた車椅子を押してこちらへ向かってきます。


 見つかったらまずい。

 私は震える足を引き摺るように診察室を逃げ出しました。コンクリートの壁で身体を支えながら薄暗い廊下を必死で走りました。

 バンと背後で鉄の扉が開く音がしました。そして車椅子のホイールが床を噛む音が近付いてきます。

 私は振り返りもせず、とにかく走りました。


 最初に通った観音開きの扉を抜けると、そこはもとの地下室でした。


 あれほど薄暗くて不気味だと思った地下は、先ほどの九番診察室の通路よりも随分明るく感じて、私はホッと息をつきました。

 脱力して床にへたり込む私を見つけた技師さんが腕を持って立ち上がらせてくれました。病棟へのエレベーターの場所へ送ってもらい、私は勤務先の病棟へ戻ることができたのです。


 夜勤明けで帰宅し、私は高熱を出して五日間仕事を休む羽目になりました。あの恐ろしい手術の光景が瞼に焼き付いて何度も悪夢にうなされました。


 ようやく出勤できたとき、気になって四階に勤務するアシスタントの同僚に山岸さんのことを尋ねてみました。山岸さんはずいぶん落ち着いて無事に治療を終え、退院して施設に入ったということでした。

 私は虚ろな目をした山岸さんの顔を思い出し、全身から血の気が引きました。


 後から上席看護師に聞いたのですが、この病院はかつて陸軍の病院だったそうです。地下では秘密裏に人体実験が行われていました。兵士の力を限界まで引き出す手術や精神疾患や反社会思想の人間を手術が行われていたそうです。


 それは主に脳をいじるもので、私が第九診察室の奥で見たのはロボトミー手術という前頭葉を破壊する非人道的な手法だったことを知りました。

 病院は爆撃機の空襲により焼け落ちたそうです。私が見た前時代的な医者や看護師は空襲で死んだ人たちだったのかもしれません。


 彼らは人間改造の執念に取り憑かれ、今も地下室で手術をしているのでしょうか。

 それよりも怖いのは、


 私は翌月、その病院を退職しました。




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