革命のないぼくら
ミヅハノメ
プロローグ 『終焉で眠る』
「逃げんな、よっ!」
そう叫んだ俺にぶん殴られて、吹き飛びながら数メートル地面を転がった男。これで大人しくなるか、と思ったけれど、そいつは顔面を押さえながら片手で尻ポケットに手を突っ込む。反射的に動きが止まる俺にそいつが向けたのは、黒光りする拳銃だった。
「うるせえっ! 来るな、来るなァッ」
バンッッ! と強烈な音が数メートルの範囲で響き、防げなかった爆音が鼓膜をブッ叩いて顔が歪む。男が、俺の足を撃った。カッと熱さがふくらはぎを通り抜ける。動きを止めた俺を、そいつがホッとしたような顔で見る。
――そして、ニイッと口角をあげた俺を、絶望した表情で見た。
「ざーんねん!」
両足を踏ん張ったストレートが男の顔面に吸い込まれるようにして打ち込まれ、男は吹っ飛んだ先の壁に激突し項垂れた。
近づいて確認すれば、いちおう息はしていた。よしよし、と男の拳銃を回収。気絶しているのをいいことにべたべたと身体を触ってポケットを確認し、男の財布を抜き取る。中の金額を確認すれば、想定よりもずっと少ないそれに溜め息を吐いた。
「シケてんなぁ」
* *
数年前に戦争があった。
俺の国と、隣の国との戦争。続いたのは二年くらいかな。始めたのは向こうだった。戦力はこっちが勝っていたのに、向こうが予想以上に粘ったらしくて、しばらくずるずると戦争が続いた。俺もそれに召集されてて、終わるまで戦っていた。終戦後に働きはじめた店のバイトを、まぁなんだかんだ今でも続けている。――で、そのバイトの帰り道。
青年がぶっ倒れていた。
ダークブロンドの髪が肩につかないくらい伸びているが、顔に髭などはなく幼い印象を受ける。十代後半といったところだろうか。周りには荷物もなく、薄汚れた服装ひとつだけを身に纏っていた。
「……おーい、大丈夫かあ?」
完全な沈黙。つんつんと突いて、うつ伏せからごろんと転がして顔を見てみる。大丈夫かあ、と大声でもう一度繰り返してやればぼんやりと目が開く。この国じゃ珍しい、緑色の瞳。身なりからしてもこの国の人間じゃなさそうだ。
そいつは薄く目を開いて、ほんの少しだけ唇を開き、「みず」と言った。それからガクリ、と体の力が抜ける。
水かあ、と復唱する俺の声だけが響く。水なあ。どうしようかなあ……。
* *
「――で、なんでウチに持ってくるんだ」
「しゃあねえじゃん! あのまんま死なれても寝ざめ悪ぃしさあ」
俺のバイトの店の店主が腕組みをしてしかめっ面でそう言う。視線の先にいるのは、俺が連れてきたぶっ倒れてた青年。人ひとり連れてくんのは結構ダルかったけど、俺もあの時水もってなかったし。あのままいたらギャングとかに売り飛ばされそうだと思ったし。
ここは教会じゃねえンだぞ、いや別にいいじゃん、とぎゃいぎゃい言い合う。もう何年もの付き合いがあるのに、こういう喧嘩は結構な頻度で行われる。
――その声がうるさかったのか、青年はゆっくりと目を開けた。「お」と俺が声を漏らせば、店主もさすがに口を閉じる。そうして店の奥に引っ込んだ。
「――こ、こは」
「お前さあ、倒れてたから俺が働いてる店に連れてきたんだ。どうしたんだ? 旅人さん?」
「え、と。まあ、そんなところ、で……。あ? あれ、荷物、僕の荷物は?」
「? なかった。あんな所で行き倒れてたらそりゃあ物くらい盗まれるだろ」
命まで盗まれていなくて幸運だ。そう言えば、青年は頭を抱えてマジかよと呟いた。まあ旅人ならこの辺りの治安の悪さを知らなくても仕方がない。
上体を起こした青年は、「ありがと、ございました」と掠れた声でソファから立ち上がろうとする。止めようと俺も腰を浮かせたが、彼は驚いた顔でそのままふらっと元の位置に戻ってしまった。あれ、と狼狽した様子で己の手足を見つめる彼に溜め息を吐く。自分の体の限界も知らないらしい。
ちょうどそこで店主が戻ってきた。水筒と小さなパンを一つ。さっきあんな口ぶりだったけど、やっぱり見捨てる気にはならなかったらしい。青年にそれらを投げれば、わたわたとそれを地面に落とさないようキャッチする。「おとなしく受け取れよ」と言えば、青年はさらに困った顔をした。
「いや、こんな。もらえません、僕、お金もないのに」
「いいよ。ここでハイサヨナラ、ってして死んだら助けた意味がないだろ。お前が何も持ってないこと知ってて連れてきたんだし」
「……すみません。ありがとう、ございます」
枯れた喉を癒すために、青年はぐいっと一気に水筒を呷る。中に入ってるのはホントにただの水なのに、随分美味そうに飲む。パンもむしゃぶりつくように食べたので、本当に腹が減ってたんだろうなと思った。俺が口元をゆるめながらそれを見ているのに気付いたのか、青年は一瞬だけ恥ずかしそうに目を逸らして、それからはゆっくりと食べた。
「で、おまえ。旅人なら、これからどうすんの。路銀も旅の道具もなくなったろ」
「いや、目的地は、この国だったので――旅の道具は、正直、そんなに痛手ではないんですが」
素直な疑問をぶつければ、食べ終わった青年は渋い顔をする。へえ、ここが目的地だったのか。だけど、そしたら住む場所や働くところも必要だろう。
それをわかっているのか、青年も表情が晴れることはなく、「どうするかは、ちょっと」と言い淀んだ。俺も一食分くらいならあげられるけど、無一文の彼に宿を斡旋してやれるほどツテがあるワケでもない。いちおうこの街は治安が悪いなりに、それなりのルールがある。金を借りたら返す、とかそういう最低限のこと。それを今の彼が守れるとは思えない。
気まずい沈黙が下り、俺も「そうだな。うん、あー。そう……」と意味もなく声を発することしかできない。つなぎの言葉がなくなればいよいよ沈黙が深まるばかりだ。
「――ウチで働いたらどうだ」
そんな状況を打破したのは、店主の一言だった。俺もぱちくりと目を瞬かせたが、青年はそれ以上に驚いた様子で「え」と瞠目する。狼狽した視線なんて気にもせず、店主が「見たところ、あんた不法入国だろ」と続ける。
――それは俺も思っていた。正規入国できるようなやつがあんなスラム街でぶっ倒れてるはずないし、こんな汚らしい身なりをしているはずもない。青年が唇を噛む。
「それならマトモなところで働くのも難しい。……その点、ウチはある程度のことなら見逃す。まあ、白よりのグレーだ。自分で言うのもなんだが、良心的な方の店だろう。もっとブラックなところで働くより、よっぽどマシなはずだ」
「そ――れは――」
「いいじゃん!」
口ごもってなにかを言おうとした青年は、俺の言葉にぎょっとした表情で振り返る。すごく良い案だ、それ。仕事がすごくキツイという訳でもないけれど、人がひとり増えるのはすごく助かるし。
それに、こいつはなんだか放っておけなかった。澱のような、暗い気配を足元に宿している。薄汚れていてもわかる整った顔立ちが、その気配のせいで翳を落としていた。彼は睫毛を伏せ、だけど、と言い募る。
「働く場所が見つかるまでさ。しばらくの辛抱だと思って」
「いや、でも。そんなの、迷惑じゃあ……」
「迷惑だったら最初から言わないって! 俺、ギル。ギル・カーク」
手を差し出して自己紹介を迫れば、彼は緑色の瞳をひどく困ったようにさまよわせ、観念したように溜め息を吐いた。
ニコ! と俺が笑っても、同じ笑みが返ってくることはなかった。
「――カイです。カイ・フォルスター」
握手は無視だったけれど、カイくんははまっすぐに俺の目を見てそう言った。それで俺は、単純な考えなのかもしんないけど、こいつはやっぱり悪いやつじゃないなって思ったんだ。
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