15話 森林大国ファルシマ
カタカタと、鼓膜を馬の蹄の音が揺らす。
硬い石の道を、この無駄に大きな客車が付いた馬車が走り始めてからどのくらいが経っただろうか。
コイツらは私達を捕まえてから定期的に、黒い髪をした地味な少女がルミリスの比にならないほどに練り上げられた強力な桃色の洗脳を使って私の精神を強く侵食してきた。何度もの洗脳によって私の意識を上書きした結果、拉致されてからの私の記憶は途切れ途切れになっている。
ペアを組むにあたって、ルミリスの魔法を受ける訓練を日頃からすることで幾らか洗脳耐性が付いてた。しかし、それは耐性でしかなく、それを超える精度の魔法色素の圧を受け続けた所為で私にもかなり効果が出ていることが分かる。そして、遂にここがどこなのかも分からなくなってしまった。
それから、逃走を防ぐためなのだろうか?常にローテーションで看守のような人達が私達を管理している。抜け目のない連中だ。
私はちらりと髪飾りに横目を向ける。あの合宿の最後にレイに貰った魔物の魔石を加工したものだ。淡い橙色の表面を丁寧にカットし整えられた魔石は、まるで宝石のような一品となっている。
貰ったことがつい嬉しくなり、すぐに王都の職人に髪飾りに加工してもらったものだが、今となってはそれが正解だったと思っている。知っての通り、魔石には魔力を貯めることができるからだ。魔填筒が回収されたとはいえ、魔力の塊さえあれば私1人なら何とでも出来そうだ。それにここには私の色素が貯めこまれている。準備は磐石だ。
問題はこれをどのタイミングで打てば良いのだろうか。好奇が巡ってこないまま日が経ち、旅はどんどん進んでいった。
ガタンと大きな音が立って、大柄の男が盆の上に軽食を乗せて私の方へ来る。この顔は確か魔法論学の先生だったやつかな。
「飯だ。食え」
「……」
「返事は」
「はい」
目の前の机に盆が置かれ、男は無愛想に言った。
盆の上には小さな黒パンと木のカップに注がれた牛乳、小さなベーコンエッグが乗せられていて、私はそれを錆びた機械のようなぎこちない動きを演じながら口に入れていく。
そんな時、小声で話す乗組員達の声が、微かに私の鼓膜を揺らした。
その声に耳を向けると、どうやら明日の予定を話しているようだ。
「どうすんだ。食糧もうねぇぞ」
「明日補給すれば良いさ」
良いことを思いついた。明日の食糧補給の際にこの案を決行しよう。魔石の魔力が体に入るかどうかを確認する。魔石を握ると、手の内側からずぶりと魔法色素が入り込む感覚を覚える。
いい感じだ。明日、私は自由を得られる。
翌日になった。私は寝ぼけ眼を監視から見えないように擦り、外を見る。
馬車は森の中を進んでいた。鬱蒼と生い茂る木々の隙間を縫うように馬車が進む。
鳥の鳴き声が鼓膜を揺らし、魔物の遠吠えが辺りの木々を揺らす。馬車は小道の傍らに停車すると、4人ほどが食糧調達のために馬車から降りた。
数分待ち、その4人が周囲から完全にいなくなったことを確認する。すぐに魔石を握り、妨害される事なく溜まった純度の高い私の魔法色素を体内へと戻していく。
そして、その爆発的な魔力をほぼ全て身体能力の強化に使用した。
「ハァッ!」
力任せに馬車の鍵を壊して床を蹴って外に飛び出すと、私はその勢いのまま馬車入口の右側に立っていた男の側頭部を殴りつけた。
私はその反動のまま受け身を取りながら芝の上にゴロゴロと転がる。男は衝撃をモロに喰らったらしく、口を開けたままビクビクと痙攣し続けていた。
すぐに周囲を確認すると、私は息継ぎをする暇もなく急いでそいつの足元に駆け寄り魔剣と腰帯を抜き取る。そして馬車の裏側にいた男が私の体に剣先を当てるよりも素早く剣を振るい当て、身を引いた。
剣身をなぞり、剣の中に私の橙色の魔法色素を入れ込んでいく。久々の戦闘だ。私は強く息を吐いた。
私の様子に思わず息を詰まらせる男。その隙を逃さず、地面を踏み締め駆け出して剣を振り下ろす。相手が剣で防御しつつも体勢を崩した瞬間を見逃さずに、そのままガラ空きの胴体に蹴りを入れる。男は嗚咽をこぼしながら馬車へと腹這いに進み、警報のベルを鳴らした。
森の中をも反響しながらけたたましく鳴り響くそのベルを聞きつけた待機班の奴等が馬車の中から影から姿を表す。
私はすぐにコクリア達の救出を諦め、逃走だけを選ぶことにした。
森の中へ走りながら、私は剣を振るって戦い続けた。強化してるとはいえ、久しく動かしてない足は錆びたように上手く回らず、トップギアで走ることもままならなかった。
「くっ鬱陶しいなぁ!」
剣の柄の部分で男の一人を殴り気絶させ、怯んだ奥の二人を剣身を大きく振って怯ませたあと、私は瞬時に懐に入り連続で男達の鳩尾を思いっきり魔石を握りしめた方の腕を振るって殴りつけた。
胃液をこぼしながら男達が蹲るのを見て危機を察したのだろう。奥から食糧調達班の奴らが弓を放ってきた。私はその弓を避け、喘ぐように息を吸いながら森の奥へ駆け抜けていく。
遠くから誰かの怒号が聞こえたような気がした。
気が付けばうっすらと霧が辺りを包んでいた。この辺まで来れば追手は来ないだろう。
私は片手を木につけ、汗ばんだ顔を胸元の服で拭う。幾度か意識的に呼吸することで息を整え、私はまた歩き出す。
結局コクリア達を一緒に連れ出すことは出来なかった。莫大な魔力があったとはいえ、私一人ではやはり分が悪い。協力してくれる仲間を連れて奴らと再開し、今度こそ連れ出せたらいいものだが……。
「はぁ」
薄汚れた両手を見つめて思わずため息が出る。
それは結局理想でしかない。私の手にあるのは魔石と剣だけだ。
だんだん奥にいくにつれ、霧は濃くなり辺りの視界が悪くなる。近場で見つけた木の実を齧りながら飢えを凌ぎ、なんとか私は歩き続けた。
「あはは。メアちゃんこっちこっち。あぁ、また転んじゃった。楽しいねぇ。あはは」
森の奥から声がする。無邪気な声と、魔物の声だ。私は思わず駆け足になる。霧が薄くなり、前方にそれは見えてくる。
しかし、それは襲われているのではなく一緒に遊ぶ姿だった。あまりも異色の組み合わせに、思わず呆けてしまった。
完全に気が慢心していたのだろう。バキリと足元で音がなる。落ちていた枝を踏み折るまで、枝の存在に気づけなかった。小さく舌打ちしながら、私はすぐに腰の魔剣に手を当てる。
「アギ!アギ!!」
「どーしたんメアちゃん」
「アゲ!アゲ!」
「んおっと。新しい子だにゃあ」
女性は私の方へ近づくと、微笑みながら尋ねてきた。
「何処から来たの?名前は?」
「クリシュ=カリスです……」
「クリシュちゃんね。私はリシルス=ティニア。後ろのこの子は狼魔獣のナイトメア。綺麗な黒い体毛が特徴的なの。メアちゃんって呼んであげてねー」
「アガ!」
ナイトメアと呼称されたその歪な魔物は手を挙げると、優しく私にその手を振った。その仕草に思わず毒気が抜かれてしまい、私は剣から手を下ろす。
「おぉ。珍しく敵意を見せない。私が抗戦的な態度じゃないからかな?」
「アギ」
「そっかぁ」
笑う彼女に対し、私は「あの」と声をかけた。
「魔獣……って、なんですか?」
「魔獣ってのは、魔物の進化系みたいな感じだね。魔物は知性の発達によって、魔石の中に魔物としての、人とは違う魔法色素が溜まって行く仕組みになっててね。それが溜まりきると、魔物は『自身の生物的上位種族へ進化の段階』を獲得するの。その後、より多くの獲物を、メアちゃんの場合は狼魔物ね?を食べることで、自身の進化先へのエネルギーと肉体を確保して体を作りあげるの。それでこんな逞しい子が生まれたってわけ。ねー」
ナイトメアは楽しそうに「アギャ」と返す。
知らない知識の洪水に私は頭を抱えて整理していると、ふと思い出したかのように彼女、リシルスさんは言う。
「そういえば、迷い込んだとしてもここに来たからには王様に会ってもらわないとね……。着いておいで。客間に案内するよ」
「客間ですか?」
「そう。君は大切なお客様。いや、それ以上かもね……。ふふっ」
ニヒルな笑みを浮かべながら、リシルスさんはナイトメアと私の手を引いて歩いて行った。
抜け道ということで目元を隠されたまま私は連れていかれる。身の危険を感じない訳では無い。ただ、不思議と彼女ならいいかと思わせる何かがあった。
喧騒が聞こえ始め、目元の布を外される。すぐに大きな大木達が目に入り、その木をリシルスさんは『国樹モンティアス』と呼んでいた。
「国樹モンティスは私たちの王様が生み出した木なんだよ」
「......本当に人間ですかその人」
「アガッ」
そして、その間を私たちと同じような人間が少しと、ナイトメアのような多種多様の魔獣が行き交っているのが見える。木に家が絡み合うように建てられ、不思議な色使いの布地が目に引く。そこは不思議な世界だった。
私が惚けているとリシルスさんに行きを促された。そのままあるひとつの大樹の中に入り、螺旋階段を昇る。
扉を開けたその先には1つの部屋が大きく存在していた。前後左右全てが木で作られており、繊細で独特な模様が特徴的な部屋だ。貴族令嬢として様々な様式は見てきたが、これは初めて見る上に、なんだか心温まる部屋だった。
「ここは初めてこの国にくるお客様を招き入れる部屋なんだ。ところで飲み物は何がいいかな?珈琲に紅茶、ブランデーにエールもあるけど?」
「こ、紅茶で」
「おっけぇ」
鼻歌を陽気に歌いながらリシルスさんは紅茶を淹れる。見た目とは裏腹に、私の爺やにも劣らないその丁寧な仕事に私は思わず見入っていた。私の前にカップを置いてくれる。
「変なものは入れてないから安心して飲んで」
そう言われると、余計に怖くなってしまうが……。
少し迷ったが、彼女の笑顔に押されてカップを手に取る。そのまま香りを嗜み、口を付け、一口含む。ふわりと香る茶葉の匂いと、よく滲み出た紅茶の味わい。それを飲み下した後にある心温まる感覚がなんとも心地よい。リトヴィアの紅茶とはまた一変したその味わいに、私は思わず感嘆の声を上げていた。
「どうよ。美味いっしょ」
「えぇ。とても美味しいです」
リシルスさんは私の言葉に微笑んだ後、私の腰を見た。私の荷物と言えば、馬車から飛び降りた際に奪って腰に掛けてきた剣ぐらいしかない。私が腰の剣の鞘に手を当てると、彼女は頷く。その要求に従うように帯から剣を外し、彼女に差し出す。
彼女はそれを手に取ると、中から剣を取り出した。
「綺麗な銀色だね。これ使うの?」
「一応、剣の道を行くものとして……」
「そっか。魔剣士なんだね」
「はい。リトヴィア魔導学園ってとこで剣学に励んでいたんですけど……」
私がそう言うと、リシルスさんは「へぇリトヴィア……」と呟いて魔剣を返してくれた。
「こりゃ、ひと嵐来そうだねぇ。メアちゃん、本殿にさっさと行くよ。面倒ごとになる前にね」
「アグゲ」
「め、面倒ごとってなんですか!?」
「来ればわかるよ。君達がどれだけ大切に思われているかって言うのと、うちらの王が自国の民をどれだけ大切にしてるっていうのが。ね」
私はにこりと笑ったリシリスさんとナイトメア、兵士らしき魔獣に連れられて中央通りの奥へと進んで行く。
本殿と呼ばれた場所は王城に立派な巨木が貫通したような形状をしていて、リトヴィア城とはまた違った趣を感じさせる。そこ備え付けられた正面階段を登り、門を潜り中へと入る。その道中で私は初めてこの都の全体の姿を見た。
巨木に囲まれて自然が豊かな国だ。遠くに木を邪魔しないように作られた畑や豊富な果樹などが見える。
この緑の王が統治する国『森林大国ファルシマ』は自然と共存し、魔獣と多種多様な人々が暮らしているようだ。一見した感じ、そこに階級の差はないように見えた。
私がまた足を止めていると、前方からリシリスさんの苦笑が聞こえ思わず足が早くなる。
正面の大きな玄関をくぐり抜け、立派な螺旋階段を登っていく。兵の格好をした魔獣がリシリスさんにさっと敬礼し扉を開くと、そこは更に大きな客間があり、服と髪型を綺麗に揃えた背の高い女の人が立っていた。
「リシルス様。お久しゅうございます」
「やっほ。こっちの子、今回のお客さんね」
「……なるほど。失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「クリシュ=カリスです」
「……クリシュ様ですね。私はこの国、ファルシマの女王補佐を務めさせて頂いている、フォルティカ=リリスと申します。以後、お見知り置きを」
彼女がそう言って優雅に頭を下げるのを見て、私も慌てて頭を下げる。頭をあげると、それが自然であるかのようにすっと片手で行き先を示す。
「要件は伺っています。では此方から」
その言葉に従うように、私たちを王城の奥へと案内してくれた。
広い通路を歩き、螺旋階段を登って三階へ上がる。ぐるりと回る形で入り口から最奥へ向かうと、そこには華やかで豪華絢爛な大扉があり、その左右を屈強な魔獣の兵士が立っている。その横にある、少し小さな扉の前に私たちは立ち並んだ。その扉には繊細で綺麗な装飾が施されており、花のような印が中心に刻まれていた。
一呼吸置き、フォルティカさんがその扉を軽くノックする。
「アムール様。お客様がお見えです」
「通しなさい」
「それではクリシュ様、リシリス様。失礼のないように」
フォルティカさんは軽く会釈し、ドアを開けてくれた。
部屋の中に入ると、スッキリとした甘い花の香りが私の鼻腔を刺激する。カーペットの敷かれたその部屋は上質な執務室のように見えた。
花があしらわれた木造の彫刻のようなデザインのロングテーブルを、同じデザインのロングソファが挟むように置かれ、その奥には大きな窓と立派な書斎机が見える。部屋の左側には一際大きく立派な鞘に入った剣が立てられており、その横のポールハンガーにはドレスのように華やかなコートと大きなリボンに巻かれた帽子が掛けられている。
更に右側には本棚があり、その横には箱がいくつか重なっていた。
でも、それらより一際目を引くような美しい女の人が椅子に座っていた。椅子から降りた彼女は、ゆっくりと私たちの方へ向かって歩いてくる。
白く長いワンピースの隙間から覗く、少女のようなしなやかな手足を白く薄い手袋とタイツが包みこみ、その先にはガラスのような美しい靴が嵌っている。長くサラサラとした髪で顔が隠れ、その上に花冠が収まった彼女はとても美しかった。
「貴方が、お客様?」
「はい。クリシュ=カリスです」
「ふぅん。不思議な感じがしますね。私はこの国の王を務めてます、アムール=ラティスです。仲良くしてくれると嬉しいです」
握手をするのと同時に、前髪で隠れていた顔が顕になる。見た目にそぐわぬ力強い眼差しに、思わず頬が強ばるのを感じた。
その私の様子に納得したのか、彼女はすぐに身を引いてくれた。
「あぁ、とりあえず座ってくださいね。話を聞きますから」
薄いメロンのような緑のクリーム色の髪の毛を軽く撫で付けると、彼女はすとんとソファに腰掛けた。私たちもそれにならい、ソファに腰を掛ける。
「それで、ご用件は何でしょうか?あぁ、フォルティカ。私と彼女に飲み物を。紅茶がありましたよね?」
さっき飲んだんだけどなぁ。そんなことも言えるわけなく、私は頷いていた。
一呼吸起き、私とリシルスさんの出会いを語る。貴族社会で生きていた私にとって、この手の報告は手馴れたものだ。今も相手を引きつける話し方ができると自負している。私の目論見通り、アムール様は深く関心を持ってくれたようだ。髪の隙間から覗く目の力が強くなっている。
一通り話し、私はフォルティカさんが淹れてくれた紅茶を啜る。リシルスさんと同じ種類の茶葉だけど、先程より更に繊細な味わいを楽しむことが出来た。流石女王補佐様。私の爺やとも遜色ない腕前だ。
「迷子ですか……。どちらからこの森まで?」
「リトヴィアです」
「それはそれは。随分な長旅でしたね。ここからリトヴィアは馬車でも数十日はかかりますから」
「いや、旅というか……何と言いますか」
「旅ではないのですか?」
声と視線に探るような色が増し、思わず冷や汗をかいた。やはり隠し事は出来なさそうだ。他国の問題に巻き込みたくなかったが……仕方がない。
「話せば長くなるんですけど、ある軍団に唐突に攫われて。桃色の魔法色素を使われたせいで意識が飛んでしまい、何処を経由してここに来たかも分からないんです」
それから私は、改めてアムール様に全ての経緯を説明した。
リトヴィア学園襲撃から攫われて洗脳、逃げ出して森で迷子になるまで。壮絶な話だったのだろう。私の言葉に合わせて、隣に座るリシルスさんの驚愕が伝わってくる。
話が終わると、アムール様は何か考え込んでいる様子だった。
顔が上がる。その目は慈愛に満ちていた。
「いいでしょう。何がともあれこの森に迷い込んだのは事実のようです。私たちファルシマは、あなたを国民として迎え入れます」
「……え、なんで」
私が国民?
思わず素の声が出てしまった。貴族失格だ。でも突然何を言い出したのだろう。
「ただ、私たちもその軍団とやらに当てがあるわけではなく……。今出来ることは、貴方を国民とし、奪い返しに来るであろう人達から貴方を守ることくらいです」
成程。納得した。私を守るには大義名分がいるのだろう。私を一時的に国民とすることで、守る対象にしたのか。
しかし、やはり奴らについては何も掴めないか。思わず下唇を噛む。
「ありがとうございます。それだけで充分です」
そう返す私の背後から、鎧に身を包んだ人間が部屋に入ってきた。さっきまで魔獣の兵士ばかりだったから珍しい。
「陛下。敵襲でございます。十一時の方角から赤い印をつけた騎馬隊の侵攻が確認されました。既に建物への被害が出ている模様」
「それは困りましたね。お灸を据えに参りますか」
彼女は立ち上がってコートを羽織ると、大きな大剣を軽々と持ち上げた。フィルエットちゃんの大剣よりもっと大きい剣を、あんな小さな子が持ち上げていることに驚きを隠せない。
「貴方も来てもらえませんか?国民として、まずは私たちの防衛力を知って欲しいのです」
にっこり笑う彼女の後に続いて、私達は戦場へと赴いた。
外へ出ると、悲鳴が波のように押し寄せて聞こえてくる。遠くの方から何かが破裂する音がした。
私達はサーベルタイガーのような魔物の背に乗り、木々の間をすり抜けるように進んでいく。その先頭として、更に一際大きなサーベルタイガーの魔獣の背に乗ったアムール様は、先程の人間から詳しい状況を聞いていた。正直に言って凄い体験だ。魔物の背に乗るというのは案自体リトヴィアでは聞いたことが無い。
でも、私はそれらより気になることがあった。
リトヴィア王国で馬を使う、赤い部隊……。
「まさか」
私の危惧を証明するかのように彼らは現れた。
アイリーン子爵家の騎兵隊。指揮官が確か子爵の次男坊だったかな。私によく詰め寄ってきた奴だったので覚えてる。名前は確か───
森の中、開けた空間で相手が止まるのと同時に、私たちも足が止まる。やはり魔物に怯えない。よく訓練されている馬達だ。
「やはりここにいたか!カリス家のクリシュ伯爵令嬢!」
「何様でこの様な遠い地まで?」
アムール様の声は低かった。騎馬兵がいた奥の方から煙が見え、人の悲鳴が聞こえるせいだろう。周りのみんなも怒気が溢れている。
「しらばっくれるな緑の王よ。我々はそこに居られるクリシュ様を返して貰いたく馳せ参じたのだ。素直に交渉へ答えてくれるなら、森を焼き払うことはしな……い……」
その力を前に、男は言葉を止めた。私達も止まった。あの精鋭の馬たちは怯え腰を落とし、唯一彼女だけが動いている。
「交渉は決裂です」
圧倒的な魔力を放つ彼女は、魔獣の背から飛び降りるとゆっくりと担いだ大剣の鞘を取り外す。
豪華な装飾の施されたその大剣は、柄の近くに綺麗な緑色の魔石が埋め込まれていて、大きなの芸術品のようだ。プラチナのような美しい剣身からは、夥しい量の魔力が深い緑のオーラを放つように溢れており、その本質は深淵のように思わせる何かがあった。更に、彼女が放つ濃密な魔力が次々とその大剣に吸われていくのを否応なく感じさせられた。
彼女はそのまま大剣の先端をゆっくりと地面に突き刺し、目を閉じた。
「伏せてッ」
「伏せろ」
リシルスさんの悲鳴のような声の直後を被せるようにアムール様の声が響く。それよりも素早く動いたフォルティカさんによって私は優しく地面に五体投地されていた。と同時に、圧倒的な力の余波が周囲を襲った。
それは一瞬だった。目の前の空間が歪みひしゃげ、世界の重力の理が揺るぎ、彼らは地面にプレスされるように潰された。壊れた体のパーツが飛び散ることも許されず、ただの地面のシミへと変化していく。
その中で唯一、魔力を持った子爵の次男坊だけが地面に這ったまま奇声を上げていた。
「どうして貴方たちはいつも私の国を、国民を穢すのですか?」
彼女は歩を進め、剣先を彼へと向ける。
超重力に煽られたまま男は口を紡ごうとするが、それを彼女は許さない。
「私達のこの緑の国は外で迫害や辛い経験を受けた人たちの憩いの場です。何故辛い外へ逆戻りさせようとするのですか?何故、ここで生きては駄目なのですか?」
彼女はそう言った後、大剣を軽々しく持ち上げた。綺麗な金色と銀色の塊が日光を反射し、涙に濡れた彼女の頬を照らす。光り輝くその光景は私に美しいと感じさせた。
剣が振り下ろされ、男が死んでいく。それでも、私にはただ見ていることしか出来なかった。
***
同時刻、狂蒼本部にて。
No.002が閣下への秘匿回線で緊急報告をしていた。
『作戦コード5-2なのですが、ファルシマの周辺にて1名が脱走。戦闘員二名死亡、三名が傷を負いました。対象は色素持ちだった模様。指示をお願いします』
「ゼルノアがミスを……?いや、作戦はそのままでいい」
『宜しいのですか?』
「ああ。それと余った人員で新たな作戦を追加する。No.003の手が空いているだろう?」
『作戦の詳細をお聞かせ願えますか?』
「作戦コードを5-1からコード6-4に変更。レイ=マーシャライトを聖国へと誘導させる。No.005と各裏部隊に伝えろ。それから聖国へNo.003を配置しろ」
『了解致しました。それでは』
ゼプルが無線を切り、深く息を吐きながら椅子に座る。それに合わせ、僕は珈琲を差し出した。
「ん、ありがとう」
「どういたしまして」
書類を持ち上げ、そのまま僕を追い出すようにしっしと手を振る。1人になりたいのは彼が集中したい時のくせだ。僕は何も言わず、軽く笑って部屋を出た。
「おっと」
流石に今のは驚いた。部屋を出ると、扉の目の前にNo.007がいたのだ。
「えと、あの、その……」
「訓練は終わった?」
「は、はひ!」
「良かった。君に頼みたい事があるんだけど、いいかな?」
「な、何でも……」
僕は軽く笑って、隣の僕の部屋へと誘導する。
「実はミーデンのチューニングがもうすぐ終わるんだ。そこで、二機の稼働テストを行いたいんだけど、一度に二機破損させちゃったら流石に勿体ない。ここまではわかる?」
「は、はい!」
「よろしい。そこで、君にはミーデン・ワンの方を連れ、テストをしに行ってほしいんだ。丁度閣下の方から『レイ=マーシャライトの近況調査をしろ』なんて言われてたしね。丁度いいタイミングだよ。僕らにも、彼にとってもこの再会は、とても良いタイミングのものだ」
「は、はい!ありがとうございます!」
「よって、この作戦を作戦コード8-1とし、閣下やみんなにも通達します。それから、No.005の方にも一報入れておいてくれないかな?近辺で新しい作戦を始めるとだけね」
僕がそう言うと、彼は大きく頷きすぐに部屋を出て行った。
***
「メアちゃん!右斜めと後ろ!投げて飛ばして!」
「ヴォファ!!」
私はあの後から、ただひたすらとアムール様を目で追っていた。被害を修復した今、先程までの魔力や涙は収まり、ただ美しい剣捌きで残党となった騎馬兵を翻弄していく。
リシルスさんもフォルティカさんも、洗練された動きでどんどんと相手を倒していく。
「木よ。汝に悪しき物を滅する力を与えん」
フォルティカさんがそう言って木を撫でると、木は刀の形へ変化する。
「はぁぁっ!」
フォルティカさんは力強く地を踏み飛ぶと、騎馬隊の屈強な男の太い首を刎ね飛ばす。
兜に包まれた頭部をそのまま掴みあげ、「リシルス様、とりあえず副隊長と思われる男の首は取りました」と、手を血で赤く染めながら言った。
「後は奥の騎馬兵が……7か。メアちゃん、晩ご飯食べよっか」
にこりとリシルスさんがそう言うと、ナイトメアは至極嬉しそうに大きく口を開け、涎を垂らしながら突撃していく。
悲鳴が絶えない。同国の、仲間だったはずの者たちの声が森の中でこだまし、私の耳に痛いほど突き刺さる。
「戻りましょう。アムール様、クリシュ様」
にこやかに微笑むフォルティカさんに手を取られ、連れていかれる。今の私には、黙って見ていること出来なかった。
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