第65話


「そろそろ時間か………、1度ピアスを取りに戻るぞ」

「はい」


 彼に言われるがままに頷いて立ち上がった結菜は、鞄を持ってきた道を戻る。ウィンドウショッピングというものをしているような心地でお店の入り口に飾ってあるマネキンが身につけたお洋服やショーケースに飾られたカバン、アクセサリーを眺めながら歩くのは思っていたよりもずっとずっと楽しいものだった。そんな結菜の心境に気がついてか否か、彼の歩みはとても遅い。だからこそ、結菜は何も気にすることなくウィンドウショッピングを楽しめる。


「………、」

「?」


 何か口を開きかけた彼に、結菜は首を傾げる。


「なんでもない」


 彼と共に静かに歩いて、そして店の前まで戻ってきた。


「お待ちしておりました」


 朗らかに迎えられた結菜と陽翔はピアスを受け取って早々に店を出る。


「あ、やべ………、忘れ物した。………ちょっと待ってて」


 結菜はこくんと頷いて彼が戻ってくるのを、ピアスを買った宝石店よりも少し先のお店の前で待っておく。

 時間にして数分だろうか。彼は慌てた様子で戻ってきた。


「忘れ物、ちゃんとありましたか?」

「あぁ。問題なかった」


 結菜は彼の言葉にほっと息をついて、穏やかに微笑む。


「じゃあ、ピアスの穴あけを買いに………、」

「安全ピンで十分です」

「え、」

「………開けたという実感が欲しいので、安全ピンではるくんが開けてください」


 結菜は近くにある手芸屋さんに彼を引き連れて入り、安全ピンを購入した。あまりの言葉に絶句してなされるがままになっていた陽翔も、安全ピンを無事に購入し終えたくらいにはだいぶ正常に戻っていて、オロオロとしてしまう。


「消毒液は常備していますので、遠慮なくブスッとお願いします」


 結菜はまっすぐと彼を見据えていつもの微笑みを浮かべずに真剣な表情でねだる。

 結菜の本気を感じ取ったのだろうか。彼は諦めたようにため息をついた。

 近くにあった休む用のベンチに腰掛けて、彼は安全ピンと消毒液を受け取った。


「すぐ終わらせるからなんか他のこと考えてろ」

「っ、!?!?」


 彼に預けた右耳にびっくりするぐらいの痛みが走って、結菜はとっさに身体を動かしかけて、けれどじっと我慢をした。じんわりと熱を持った耳から血が溢れる感覚がある。

 初めてのピアスは、大人の苦い痛みを結菜の耳に刻みつけた。

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