忘れられた者の愚痴

 ネットに書いてあったが人の脳というのは意外にも忘れやすいらしい。


 人の脳は一度学習したことは一時間後には五十六%を忘れてしまうそうだ。


 そう考えてみると人の記憶は案外当てにならない。


 というか、自分の記憶なんて当てにするものではない。


自分の記憶を当てにして良い事があったなんて人は殆どいないだろう。


 そのうえ痛い目にも遭った事がある人も多いんじゃないだろうか?自分を信じたのに自分に裏切られる――なんてそんな経験があるのではないだろうか?


 だが、色々な事をすぐ忘れるというのは一周回って良い事なんだろうと思う。


 嫌な事もすぐ忘れられたら、とても幸せな事ではあるんだろう――そう忘れる方はな。


 それじゃあ、話を変えようじゃないか。前述では忘れる話だったが、次は忘れられる話をしよう。


 人から忘れられるというのは悲しいものである。


 特に友人や家族に忘れられ他人の様に扱われるのは苦痛の所業と言えるだろうか。


 だが「一人は自由で楽」とか、「一人は人の事を気にしなくて良い」という人もいるだろう。気持ちはわからなくもない。


 そんな意見を言うと、『人は一人では生きていけない。人は支えあって生きている』という意見が出るのではないかと思う。


反論とまでは言わないが、ああ言えばこう言うの典型例のような意見だろう。面白くない意見だが、正論ではある。


 確かに、自分達は色々な人に関わって生きている。関わらずに生きるのは至難の業と言えるだろう。


 そんな風に毎日俺達は他人と関わり合っている。そう思うと、人というのは孤独には耐えられない生き物なのだろう。


 どんなに強がっても寂しさを感じてしまう。

 そのため、どうやら世の中には寂しいというだけで警察や救急車を呼んでしまう迷惑な奴もいるらしい。全くもって迷惑なものである。


 しかし、そんなものなのだ――人間という生き物は。


 そして俺も結局寂しがり屋なのだろう。

 ――ほぼ全ての人から忘れられたこの俺も。


 俺は呪いにかかっている。人から忘れられるという呪い。体の隅々まで調べたが原因が分からない病とも言える呪い。


 だが、正直この呪いとも長い付き合いなのでもう慣れてしまっている。


 もう忘れられるなんて慣れてしまった。

 本当は慣れてはいけない事だとは思っている。こんな事絶対慣れてはいけないものなのに。


 何か大切なものを失った感覚だけが残っている。


 でも、別にいいのだ、もう別に。

 こんな事は何度も考えてきたんだ。考えても無駄な事だ。


 だからこの俺のしょうもなくてくだらない愚痴を聞いてくれるだけで、とてもありがたい。


 もうそろそろ俺の愚痴を聞き飽きてきた頃だろうと思う。少し話し過ぎてしまったな。


 それなら俺の生活のルーティンを話していこうじゃあないか。面白い話ではないが、つまらなくはならないだろう。


 まあ、くだらない事には変わりないがな。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

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