第3話 生臭坊主のきな臭い話(2/2)
人魚。
人と魚類を掛け合わせた怪物。
実に想像に易く、日本だけではなく、各国に様々な形で伝承される想像界の生物。
ことに日本において、この人魚伝説はひとつの効能と共に流布されることが多い。
曰わく、人魚の肉を喰らわば、不老不死をえん。
「ぼ、僕に食わせたんですか!!」
僕は尻に辛しをつけられた猫のように飛び回り、かけまわり、跳ね回った。
誰もが望み、又、誰もが忌諱し、はたして不老不死になったら、どうしようか、などという『二億円宝くじ獲得妄想』と同じぐらい、宛てのない空想話が、急に、唐突に、胃の中に転がりこんできたのである。
一方、マッドサイエンティストよろしく、人魚の肉を喰らわせた男は、平気の平左の顔をして、丹念に焼かれた特選カルビをつぎつぎと自分の皿によそっていた。
「不思議だよなあ。俺は一向に信じられん」
「信じられないのはアンタの行為だ。げ、げ、げ。トイレで吐かなきゃ」
「おい、莫迦野郎。それ一切れで3000円する稀少部位だぞ」
「3000円!? 不老不死の肉切れが3000円!?」
「なんだ? 4500円のヤツが良かったか?」
「良いも悪いもないでしょ!? だってこれ、人魚の肉でしょう?」
まあな、と言いながら、カルビにタレをつけては、丼のように御飯の天辺に、丁寧にのせていく。
「味わいは上等なほうがいいよな、タンでも」
「味わいなんて、そんな・・・・・・・・・・・・タン?」
「タンだったろ、どうみても」
天春は手をあわせて、即席高級牛丼を食べ始めた。僕はそれを傍目にみながら、慌てて記憶の抽斗を開け放っていくと、たしかに、あの扁平で縁があかく、真ん中にサシがはいっている肉切れは、まごうことなく
「え、じゃあ僕。人魚とベロチューしたってことっすか?」
「莫迦。正真正銘の牛タンだ」天春は箸の上で、肉と白米を寿司のように重ね合わせては、口の中に押し込んでいく。「うむ、ぐむ。・・・・・・つまりだ。俺たちは人魚の肉なんてもの、見分けがつかないってことだ」
「はあ?」
天春は「まあ、待て」といって、レモンチューハイで即席牛丼を流し込んだあと、脂でテカる口をおしぼりで拭って、なんとも胡散げな話を始めた。
「実は、今、福岡に『人魚の肉』が出回っているらしい」
「人魚の肉?」
「曰わく、どこかの鮮魚店が第一水曜日の、とある時間にだけ卸しているとか、とある精肉店に、名前のない枝肉が置かれている、とか。博多の高級焼き肉店の、とある掘りごたつ席で『特選水牛上タン』という名前で食べられる、とか」
「都市伝説めいてますね」
「ああ。懐かしいだろ、都市伝説」
「そういえば、最近、都市伝説とか、聴かなくなりましたもんね」
「之については、まあオカルトブームが去ったからともいえるが、一方で、匿名掲示板など、不特定少数の人間が、ひとつの話題に長い時間、空想をそそがなくなったことも原因だとも言われている。いまのSNSじゃ、都市伝説めいた話が出てきたところで、一過性のもので、すぐさま消費されて、翌日には新しい話題に移り変わる。怪異や都市伝説ってのは、暗所で、ゆっくりと卵を羽化させるように、空想で温めてやらなきゃならない。それが羽化して初めて、拡散され、形を得ていく。だが、植物の種に過剰に水や肥料を与えれば、腐ってしてまうように、生まれる前から、消費と拡散が凄まじい、いまの令和じゃ、オカルトは夭折してしまう」
「・・・・・・だが、そんな令和の時代に、育ちきった都市伝説があった?」
「そう。この『人魚の肉』の噂。何の因果か、ここ半年のあいだ、福岡市内で養育され、どうやら今、爆発的に拡散され始めた」
「でどころは?」
「判らない。だが、俺が調べる限り、中洲や博多の夜職の女のあいだで、頻繁に囁かれ始めたことまでは掴んだ」
「夜職。風俗嬢やラウンジ嬢とか、ですか」
「あとはトクモク、デリヘル、ソープ、アロマ。だいたいその辺りだ」
僕としては、段々とこの辺りで興味が薄まってきていた。
というのも、オカルト系の話題において、この夜の街の女性というのは、比較的に相性抜群で、オカルトや奇怪な噂話というのに事欠かない。
おそらく接待業であるから、人から噂話を聞くこともあるだろうし、存外、オカルト話を浅く広く嗜むのは、この業界で働く若い女性のことが多い。
だから人魚の肉という噂も、あるいは、なにかの折りに、突発的に広まった噂のひとつだろうと思っていた。
ただひとつ、解せないことがある。
YouTuberでもある千眼寺天春にとって、このような夜職で広まった怪奇な話というネタは、格好の動画企画になり得るもので、とくに心霊関係に重点をおいている天春が、わざわざ所長のところに持ってくる話題とも思えなかった。
「言いたいことは判るぜ、坊主」と、坊主にいわれる。「なんで、そんなご馳走を自分たちのところに持って来たのか、ってことだろう? まあ、ひとつは、この都市伝説の情報に、たしかな確証が欲しかったってことだ」
「たしかな確証?」
すると天春は、無精ヒゲの伸びた顎を太い指でさすり、軽い気持ちで厄介事を背負い込んだのだという。
「噂がな、どうも広がりすぎたんだよ」
「というと」
「世の中には、今も昔も、不老不死に憧れる莫迦ってのがいるってこった」
「まさか」
「ああ、そのまさかだ。莫迦なやつばらが、噂を本気にして、人魚の肉がほんとうにあるのなら採ってきてくれまいかという金満家が居てな。まあ、美味い酒と綺麗な女を横に置かれたから、俺も気分がよくなって、『そんなもの、拙僧にかかれば、すぐに見つけてみせましょう』って大言壮語をしたら、翌日、前金で1000万、振り込んできやがった。俺もテレビやネットで大口叩いているから断るに断れず、まあ、こんな中洲くんだりまできて、徐福の真似事よ」
「坊主のくせに守銭奴め」
「金は天下の回り物だからな。坊主の懐に入ったとて、不都合はなかろう」
「しかし、ようやく得心がいきました。それで所長のところに来たんですね」
「まあ、それと、もうひとつ、少し小耳に入れておきたい話があったんだよ」
「耳に入れておきたいこと?」
「いいか、坊主。さっきの嘘を思い出して欲しいんだがよ」と、天春は前のめりになって、突き出た眉骨に太い皺をよせてる。「お前がさっき『人魚の肉』といって信じたのは、オレたちがまあ、怪異や心霊ってやつに縁深いから、信憑性ってのを感じてしまったが、普通の人間が、牛タンを出されて、人魚の肉ですって言われて信じるわけねえよな?」
「まあ、そうでしょうね」
「じゃあよ、サシの入った枝肉や、白身魚の腹部、干した根菜のような根を見せられたあと、実はこれが『人魚の肉』だと言われて、はたして信じるか?」
「まあ、信じないですよね」
「だろ? だが、中洲や博多で広まっている噂は、『人魚の肉を食べた』っていう噂なんだよ。人魚を目撃した、とか、人魚のミイラを見た、とかじゃない。ただ『とある店で、人魚の肉が提供された』っていう噂。つまり人魚は登場せず、すでに解体された部位だけが出てくる」
「なるほど」僕は合点がいった。「『人魚の肉』という信憑性を担保するものがないんですね?」
「流石はお嬢の助手だ。頭の巡りは悪くない」天春はいう。「つまり、こいつは典型的な都市伝説なんだよ。――友達の友達の話。噂のでどころの判らない、信憑性が不透明な噂がたり」
「じゃあ矢っ張り、ただの一過性の噂では?」
「そうかもしれない。だが、そうでないかもしれない。なんたって、都市伝説が夭折する令和の時代に、なぜか、こいつだけはしぶとく生き残っている。大物事務所のスキャンダルや大物芸人のスキャンダルすら一週間も経てば、誰もが興味を失うこの時代に、『人魚の肉』なんていう、平成の遺物のような都市伝説が、半年以上も生き残っている」
「つまり――この都市伝説には『根拠』があると?」
天春は頷いた。
「少なくとも、人魚の肉として提供されるその奇怪な肉に、なんらかの信憑性を与える『根拠』がある可能性が高い。そいつは密やかに、夜の街に卵を産み落とした、都市伝説の化物鳥だ。そいつを見つけ出したい」
天春はそういうと、伝票が貼り付けられたプラスチックのケースに、どんと紙帯のついた札束をおいた。
「しめて百万。依頼料だ」
叩きつけられた、見たこともない万札の束に魂消たが、すぐに正気をとりもどして首を振る。
「悪いけれど、いま所長は居ないんだ。依頼は受けられない」
「勘違いするな、これはお前個人に向けた依頼だ」
そういうと、天春はもう一束、どんんと重ね置いた。
「成功報酬で、もう百万。で、どうする?」
僕はあまりの破格の依頼に眼が廻るようだった。あまりにも怪しく、そしてあまりにも魅力的な依頼に、尽きない煩悶をくりかえしていると、遠くから店員が追加の注文を運んでくる気配がした。
「さ、どうする?」
天春は札束を隠そうとしない。
僕は泡をはく蟹のように目をギョロギョロさせて困惑した。
そして――。
「失礼します。こちら追加の上ホルモンと冷麺でございます。あ、はい、ではこちらに。これは、あ、ありがとうございます。ではこちらに置かせていただきますね」
白いエプロンにレモン色の和服をきた女性店員は、配膳をおえると、追加の伝票を貼り付けるため、伝票のケースをとりあげた。
無論、そこには百万円の束はない。
あるのは、勝ち誇ったように、ニヤついた天春の顔だけだ。
「それじゃあ守銭奴同士、人魚捜しと行こうぜ、坊主」
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