第12話 懐郷(二)
令和元年九月三十日、午前十一時三十分、私は上野駅から金沢行の新幹線に乗った。
新高岡駅到着予定が午後二時。その間約二時間三十分。窓外では、ビルや舗装道路や自動車が、フイルムの映像が連続して映しだされるように通り過ぎていく。その景観はしだいに山や畑や点在する木造の建物に変って行った。私は、ほとんど何も考えずに車窓から外の景色を眺めていたが、時々十年前のことを思い出していた。幼児ほどの知能しかない母親が隣に座っていた。東京駅のホームで購入しておいた、母親が食べられる分量の弁当を渡すと、無言のままただひたすら弁当を
新高岡駅に着いた時、私は新湊まで行くのに割と不便であることに気がついた。直通で新幹線に乗って行けるので便利になったのだが、万葉線に乗るためには、新高岡駅から
城端線の高岡駅は無人駅になっていて、ホームのなかにキップの自動販売機が設置してあった。濃い橙色の車両は二両だけで豪雪に耐えられるように重厚なつくりになっている。ドアに手動と書いてあった。冬の季節になると、手でドアを開閉するようだ。車両のなかには、私以外に制服を着た女子高生が三人乗っているだけだった。一時間に一本しか運行しないのもわかる気がした。
高岡駅に着いた時は午後三時を過ぎていた。出来るだけ早く新湊に行きたかった私は、すぐにホテルへ向かった。ホテルAは、駅の階段を降りてすぐの所にあった。宿泊費が格安のそのホテルは、レストランもなければ土産も売っていない、ただ宿泊するだけの典型的なビジネスホテルである。それでも、建物の一階にコンビニが併設してあるので、必要品はすぐに揃えることが出来た。とりわけ、駅に近いということが私にとって利便性が高かった。このホテルを選択して正解であったと私は思った。
狭いロビーのカウンターで、チェックインの手続きを済ませた。設置してある一台だけのエレベーターに乗って七階で降りると、深閑とした薄暗い廊下と左右にドアのある壁が直線に伸びているだけである。七〇一号室のドアを開けて部屋のなかを見ると、部屋のなかは清潔でインンターネットやワイファイなどの設備も十分整っていた。
ホテルに着いたら仁美伯母に連絡する手はずになっているので、伯母に電話をかけて「これから万葉線に乗る」とだけ伝えてホテルを出た。
出来るだけ早くと思っていた私は、万葉線の改札口で時刻表を見た時、さらに落胆した。十分くらいで着くと思っていた西新湊駅まで四十分もかかるのである。
万葉線は、二両編成の路面電車で新湊に行くための主要な交通手段である。駅と駅の間隔が狭いので、すぐに停車してしまうことがさらに私を苛つかせた。西新湊駅に到着したのは、午後五時頃であった。駅前で仁美伯母の住所を地図で確認していると、背後から私の名前を呼ぶ女性の声が聞えてきたので、私は少し当惑した。仁美伯母の声ではなかったからだった。振り向くと、私と同じくらいの歳の女性が微笑みを浮かべながら
仁美伯母が住んでいる港町は、昔漁師の町であった。今は漁師の姿はほとんど見られなくなって年老いた住人ばかりである。新築の家もほとんど見られない。古びた家々は長屋のようにつながっていて造りが似ているので、はじめて訪れた者は道に迷ってしまう。
伯母の家の玄関は四枚引き違いの引き戸になっている。戸を開けると四畳半の畳部屋が広がっており、ベッドやテレビや電話がその部屋にあった。仁美伯母は一日の大半をこの部屋ですごしているのである。
引き戸を開けて部屋のなかに入ってきた私を見た仁美伯母は、目を丸くして何か不思議な物でも眺めるように私の前に立っていた。
「あんた
「剛だよ」と私が言うと。
「へえ、こんな顔だったか」
「この前新湊に来たのは何年前だった?」
加代子が私に尋ねた。
「十年前」と私が答えると、
「おばちゃんが四年前といいはるのよ」
「十年前だよ」
「十年前でしょ。十年も経てば顔も変わるわよ」
「へえ、そうだったか」
「岳士おじちゃんが亡くなってから少し変になったのよ」
仁美伯母に聞こえないような低い声で加代子が囁くように言った。
伯母が「こんな顔だったか」と言ったのはもっともなことだった。私の頭は、母親の介護のストレスから頭のてっぺんがカッパのように禿げあがっていたからだった。私も仁美伯母の姿を見た時はとても驚いた。健全だった仁美伯母がすっかり痩せて杖をついて歩いていたからだ。伯母は
雑然とした四畳半の畳部屋のテーブルのうえには、射水市から配布された新湊曳山祭りのリーフレットが無雑作に置いてあった。私はそれを手にとって眺めた。リーフレットには、十三基の曳山と巡行経路が描かれている。それぞれの曳山には、昔の町の名前を墨汁で書いた白い紙が貼られている。
仁美伯母は「この曳山がうちの曳山だ」と言って奈古町の曳山を指で示した。奈古町は、祖母が住んでいた町だったのである。私が幼い頃、奈古町の曳山のミニチュア模型が家にあったことを思い出した。伯父や伯母の誰かから送られたものだった。私はそのミニチュア模型の曳山を、車のおもちゃを走らせるようにして遊んでいたのである。
今日はもう遅いから明日午前中に仁美伯母の家に行くということになり、私は頼まれていた土産のカステラを渡すと、ホテルにもどるために伯母の家を離れた。
物思いにふけりながら歩いているうちに、鋭い葉を茂らせている
西新湊駅に着いた頃は日がすでに落ち、町中は街灯だけで古びた家々の明かりは見られなかった。道端を歩くひともいない暗闇である。
ホテルに着いた私は、軽くシャワーを浴びたあと早く眠るために、一合の紙パックの日本酒を飲みながら鮭弁当を食べて早めの夕食を食べた。一階のコンビニで買っておいたものだった。アルコールを摂取したこともあってすぐに深い眠りについた。
―明日は曳山祭りだ―
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