第11話 懐郷(一)
母親が認知症になってから仁美伯母とは
「恵美子が、私の貴重品を勝手に持ち出していった」
「遠い場所まで恵美子が運転してくれるので助かっている」
「みんな、私のことを邪魔者あつかいしている」
「加代子は、いつも手料理を持ってきてくれるので有り難い」
などと、私のところに連絡してくるのである。
とりわけ仁美伯母が
母親が亡くなってからしばらくして、富山から
そんなある日、
「私もいつ死ぬかわからないので富山に来ないか」
と仁美伯母が私に連絡してきた。
「母さんの介護で金を使ってしまったので、金銭的余裕がない」
と私は言葉を返した。すると、旅費や宿泊費は仁美伯母がだすと言うのである。母親の介護期間中、仁美伯母からかなり経済的援助を受けていたので、そこまで甘えていいものか迷っていた。実を言うと、私も富山に行きたいと思っていた。仁美伯母が亡くなってしまうと、母方の親戚とは縁が切れてしまうのではないかと思っていたので、富山に行くとしたら今しかなかった。考えあぐねた結果、結局富山に行くことにした。ちょうど十月一日に
新湊曳山祭り(
射水市報によれば、その
『放生津八幡宮の秋季例大祭は、
仁美伯母が言うことには、私が赤ん坊の頃、母親の腕に抱かれてよだれを垂らしながら曳山を見ていたそうだ。幼い頃のアルバムを見ると、私が二歳の年と四歳の年の十月一日に、新湊で撮った写真が貼ってある。そのことから推測すると、少なくとも過去三回、私は新湊曳山祭りを見学したことになる。
今回の新湊曳山祭りの見学は、実に五十年ぶりのことであった。
富山行きを、九月三十日から十月二日に決定した。仁美伯母に富山行きを伝えたのが、九月二十六日であったため、急いで準備に取りかかった。
平成二十七年に、長野駅から金沢駅間に北陸新幹線が開業したため、上野駅から新高岡駅まで新幹線に乗って行くことが出来るようになった。十年前、母親を連れて新湊に行った時は、上越新幹線で
宿泊するホテルは、高岡駅付近のホテルを予約した。市内の循環バスが夕方までしか運行しないので、お決まりのDホテルでは、夜になると仁美伯母の家からホテルまで二十分以上歩かなければならない。そのため、万葉線に乗って高岡のホテルにもどった方が私には都合がよかった。
参考文献
・射水曳山3WEEKs 新湊 新湊曳山協議会 十月一日
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