第9話 哀惜(四)

 七月七日の朝、病院の看護師から連絡があった。


「お母さまの呼吸状態が悪いので、すぐに病院に来てください」


 私は、看護師に尋ねた。


「危険な状態ですか」

「危険な状態です」


 と看護師が即座に答えた。


 すぐさま寝床から飛び起きて病院に向かった。いま行けば、母親を看取ることが出来るだろうと思っていたのである。しかし、砂山すなやま駅の改札口に入ろうとした時、携帯が鳴ったので私は暗澹あんたんとした不安に駆られた。携帯にでてみると、さっき連絡してきた看護師だった。


「お母さまの心臓が止まりました」


「間に合わなかったか」と思わず言葉にでてしまうほど、私は意気消沈いきしょうちんしてしまった。何も考えが浮かばないまま、病院の最寄り駅がある西新井に向って行った。


 西新井駅に着いた私はすぐにタクシーを拾って病院に向かった。


 病院に着いたのは、午前十時頃だった。四階のナースステーションで、受付の職員に病院から連絡があったことを告げると看護師がやってきて、私を普段使われていそうもない個室に案内した。この病院では、その個室を遺体安置室として使用しているようであった。


 初夏の射光しゃこうさえぎるカーテンによって個室のなかは薄暗くなっていて、ベッドの上でおしろいを塗ったような白い母親の顔が、浮かんでいるように見える。とても、穏やかな顔であった。しかし、シーツをめくって母親の体を見た刹那せつな、私は驚愕きょうがくしてしまった。母親の体は、手羽先てばさきを食べた後の残骸ざんがいのように骨と皮だけに見えたからだった。


―やはり延命措置はとるべきではなかったのか―


 私は悔恨かいこんの念に駆られ、しばらく母親の顔を見つめていた。


 そうこうしているうちに、医師が部屋に入って来て脈拍を測ったり、聴診器で心臓の音を聞いたり、ペンライトで瞳孔を確認したりして、


「七月七日午前十一時十五分、ご臨終です。老衰ということにしておきます」


 と淡泊な言葉を言い放ち、医師はあっさり部屋を出て行った。


 私は、ただ茫然と立ちつくしていたが、そんな私の気持ちを察したのか、看護師が慎ましやかに囁いた。


「とても安らかに逝かれましたよ」


 病院から仁美伯母にだけ連絡しておいた。仁美伯母もある程度母親の死を覚悟していたようで、動揺している様子は感じなかった。ただ、九十歳を超えていることもあって、香典はどこに贈ればいいのかと、何度も私の携帯に連絡してきた。私は、茂義の娘加代子に代わってもらい、今病院で亡くなったばかりなので、香典の話はあとにしてくれるように伝えてもらうと、伯母は少し落ち着いたようで「わかった、わかった」と言っていた。


 母親が亡くなったことで九人いた兄弟が、高岡に入院している岳士叔父だけになってしまったため、伯母は心なしか寂しそうであった。

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