第22話
俺は絶食や断水に慣れていた。
だから、どこまでも何も考えず歩けてしまった。
途中、街で色々な人から残飯やら缶詰めやら悪態やらを投げつけられた気もしなくもないが、もう覚えていない。ただただ死場所がないことに絶望をしていたことだけを覚えている。
俺はどうやって迷い込んだのか分からないが、歩いているうちに隠世に入っていた。
いつもとは違う風景に、冷たく心臓を鷲掴みされるかのような感傷に、俺はここを死場所だと考えた。
近くにあった尖った石に何度も何度も頭をぶつけて、幼い俺は簡単には死ねない方法でなぜ死ねないのか自問自答しながら死のうとした。
そんな時、彼女は鈴を転がすような困った声を出して俺に話しかけてきた。
「………
甘い香りをさせながら俺の前に立っていたのは、藍色の布地にの白蓮の刺繍が大層美しい漢服に身を包んだ、鈴春だった。肩上の長さの香色の髪を内巻きにし、琥珀を鹿の角の形に削り出したかのような角を持つ鈴春は、俺にとって初めて見る妖魔だった。
しゃらしゃらと風に乗って揺れる香色の髪と角に乗せられた銀飾りに眩しさを感じながら、俺は鈴春から月餅を受け取った。
ぱくっとかじりついた瞬間に口の中で広がった美味しさに、俺は涙を流した。
なぜ泣いているのかも、なぜこんなにも美味しさを感じるのかもわからなかった。
ただただほくほくと温かいパイ生地と生地に包まれた小豆餡と木の実がとてつもなく美味しくて、安心したのを覚えている。
鈴春はそれから俺のことを拾って、半年もの間育ててくれた。
お腹いっぱい食べられる沢山の食べ物、触り心地の良い清潔感のあるお洋服、そして何よりも、温かな愛情をくれた。
猫や犬や鳥を拾っては育てて野生に帰している鈴春は、たった半年しか一緒にいなかった俺のことなんて覚えていないだろう。
その氷色の瞳に宿る優しさに、俺が何度救われたかなんて分からない。
少なくとも、今の俺が人間らしく人らしい感情を抱けているのは鈴春のおかげだ。
半年して彼女のおかげで傷が癒えた俺は、自らの意思で屋敷に帰った。
屋敷に帰ってからは一悶着も二悶着もあったし、何度も死にかけたが、それはまた別の話だ。
それから文字通り血反吐を吐いて努力して、努力して、努力ではどうにもない理不尽に打ちのめされて、やっとのことで今の地位まで上り詰めた。
あどけない表情で眠る鈴春の頬をもう1度撫でた俺は、幼い頃から拗らせている恋情に振り回されつつも幸せだ。
………まぁ、朝比奈拓人への怒りにも苛まれているが。
ゆっくり息を吐くと、脳内が優しい酸素に包まれて、視界と思考が明瞭になる。
「さて、目覚めた時のためにご馳走を作っておいてやろう」
思い立てばあとは身体を動かすだけ。
(青菜の胡麻和え、肉じゃが、かぼちゃの味噌汁、鰻の炊き込みご飯、1番のおかずは………、そうだな。びーふころっけとやらに挑戦してみよう)
彼女が好きなものだけに囲まれて暮らせればいい。
彼女が幸せであればいい。
食後の菓子に用意していたヨーグルトが冷蔵庫の中でしっかりと冷えているのを確認した俺は、今日も鈴春のために割烹着を羽織る。
美味しそうに頬張る鈴春の愛らしい顔というご褒美のため、俺の料理への創意工夫は今日も通常運転でに向上し続ける。
(願わくば、彼女の本当の居場所がここになることを願ってーーー、)
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